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ある日の会話の記録


配偶者と、不定期だけどこの先の人生の話を話し込むことがある。
家は欲しいか、この先住むならどんな場所がいいか、子どもたちとどんな場所に行きたいか。
そんなライフプラン的な話もありつつも、いつも大体私のキャリアの話になりがちだ。

私は育休中でもうすぐ2度目の復職を迎える。正直言ってものすごくビビっている。
それは休んでいた分何も分からなくなっているのでは、という懸念と共に、前回復職した際に感じた「振り出しに戻らされた」感覚と居場所がなくて何とか仕事を作り出そうと頑張っても認められるような成果が出せなくて、毎日が憂鬱でたまらず1分1秒でもその場にいたくないという感覚が忘れられないのだ。

私の陰鬱な空気を感じていたのだろう、「復職、嫌なんだね。」と言われた。

堰を切ったように私は不安だ、何もできない気がする、時短の社員なんてお荷物でしかないし異動もできない、できた所で思うような成果を出し続けられる訳がない、数字ができなければどうせまたそういう扱いをされるに違いない---
休みをもらって戻らせてもらえるのに贅沢だよね。でも贅沢な悩みかもしれないけれど、そもそも低い自己評価を更に下げる場所に行きたくないんだとのたまった。

「なんかさ、そもそもなんで全然やりたくもなさそうな仕事に就いたのさ」

私が選べる選択肢の中ではお給料が良さそうだったから。

「確かに報酬は大事だよね、
多分性格的に一度始めた習い事はやめられないみたいなタイプなんだろうけど、このまま「いやだいやだ」って30年くらい同じところでジタバタ働いてそうだよね」
「もしくは身体か心がダメになる、とかそういう決定的な理由がないと動けないんだろうね」
ああ、確かに。

「でも少しでも心健やかに働けた方がいいよね。楽しみがないと、折角一日の大半を過ごすんだからさ。続けていくのも辛いだけにならない?」

それは、確かにそうなんだけどさ、綺麗事だよ。
先立つものは必要だし、今子供がいて転職といっても現職ほどの給料はもらえないよ。
全く違う部署に行くのは難しいだろうけど少しずつリモートで仕事ができるように希望を出すとか、今の職場で何かしら別の働き方ができればなとは思うけど。

「んー、それもそれで大事だけどね。
働き方もだけど、好きなものに関われる所はないの?」

好きなもの、好きなもの??

「じゃあ聞き方を変えよう。今の職場に縛られずに好きな仕事していいってなったらさ、何がしたいの?」

(これ、自問自答でやったやつだ!)
(でも答えはやすやすと言わないぞ)

うーん、なんだろう。

「君はさ、そうだな。伊勢丹が好きだよね!」

(爆笑)そうだね、大好きだよ!
ここのところ特によく行ってるもんね。

「あとさ、服、というかファッション、好きだよね」

ああ、最近よく見てるからね…

「いやいや。確かに最近特にだけど、昔から好きだったでしょ」

ん?そうなの?

「大学の頃から見てるし、結婚してからもそうだけど、話はしないけどずっと見てるでしょ。雑誌読んだりお店見に行ったりさ、ずうっとしてるでしょ。好きなんだろうなって思ってたけど、違うの?」

ああ、そうか。
なんだか急に合点がいった。

オシャレじゃなくてもお洋服って、ファッションって、好きでいていいんだ。
好きと言ってもいいんだ。
レベルは人それぞれかもしれないけど、その気持をランク付けする必要もないんだよな。

他人にはいくらでも言える言葉が自分のことになると全く気づけないことってあるよな。

「ま、今の職場だと中々ないんだろうけどさ。でも、人生が一度しかないんならどうしたい?って考えてみてもいいんじゃない?」

人生が一度しかないならどうしたい?
いや、一度しかないんだけど!
でもこの聞き方に私はすごく閃きを覚えたのだ。

確かに私は守りに守りに守りを固めて人生を歩んできた。
周りから何も言われないように強固な鎧を築き上げようと必死だった。
しゃかりきに頑張ってきた、と思うしそれなりに成果もあった。
成果が上がっている時はある程度自信もあったし職場でも息がしやすかった。
役職について次々と大きな仕事を与えられ、「これを続けなければならないんだ」とプレッシャーを更に積み上げてしまった。
うまくいかない月は自分は本当にダメな奴だと呼吸困難に陥りそうになった。いつもいつも綱渡りだった。



でもさ、でも、せっかく世の中には楽しいことがたくさんあるんだから。それを享受してみてもいいんじゃない?
今まで頑張ってきた。頑張る筋力はつけてこれたんだから、これからは楽しく頑張ってもいいんじゃないだろうか?

「まあお金は必要だけどさ。人生楽しそうだなって人になりたいよね。ほら、孤独のグルメの作者の人とか楽しそうだよね〜」
と笑う配偶者を見ながらああ、そういう生き方ってあるんだよな、と妙に腹落ちしてしまった。

私は仕事とは辛さと引き換えにお金をもらっているのだと思っていた。
辛ければ辛いほど偉い。辛い報酬を得ている。そういう一面もあると思う。多分、私がお金に執着と安心を感じすぎるタイプというのもあるだろう。
でも世の中には、プラスの気持ちを作り出してその報酬を得ている人たちがたくさんいる。
仕事をするなら、できることなら人に喜ばれ、そしてその報酬で美味しいごはんを食べたい。



この先、結局の所は変わらないかもしれない。そもそも休んだ後元の通りに働く約束だったからね!けれど、変えたいと強く思っている自分がいる。こういう思考を巡らせたという経験が、私のこれからを少しだけ変えるかもしれない。
そういう今の気持ちを残しておきたい。


(画像は銀座三越のラデュレのサンドイッチです。ポテトが銀の器で出されてジャンキーなのに貴族の気分になれます。)

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