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ファッション遍歴を振り返る


あきやさんの第3回講演会を終え、私の中で変化がありました。
あんなに欲していたインプットを身体が受け付けなくなっており、とにかくアウトプットしなければ新しいものが入らないという感覚です。
とにかく排出しなければ、ということで殴り書きのようですが書いてみます。
自分語りで長く何の役にも立ちません。ですが、自分のために書いてみます。


講演内でいくつかアウトプットする際におすすめの議題がありました。
その中のひとつ、「ファッション遍歴」について書いてみようと思います。

ファッション遍歴。
と言われても、正直私は自分が何系に分類されるものを好んできたのか全く分かりませんでした。

幼少期から振り返ってみます。

幼少期
第一稿「お洋服に悩まれたきっかけはありますか?」でも書いたのですが、兄が2人いる末っ子で小学校の間はほとんどずっと兄やそのお友達のお下がり、フリーマーケットで買った洋服を着ていました。

3歳の頃から大盛りのラーメンを平らげるという食いしん坊ガールだったためか身体も周りの子に比べて縦にも横にも大きく、所謂肥満児の類でした。
母や兄2人はとても細くてスリム、父もスポーツマンで肥満とは無縁。家族の中で私だけが太っていました。

兄とは少し年齢も離れていたので「末っ子の女の子でとっても甘やかされて沢山食べているのね」という印象を持たれがちでした。
あながち間違ってはいなかったのかもしれません。母には怒られてばかりだったけれど父は私に甘く、確かにたくさん食べていました。今でも食べることは執着と言っていいほど好きです。

家族は皆スポーツ観戦やスポーツをすることが大好きで、私も幼少期はテニスやらスキーやら卓球やら色んな所に連れていってもらい何度もやってみました。にも関らず全く運動神経が無かったためか上達することも好きになることもなく今に至っており、「私だけが太っているしインドアだな」と感じていました。
それを引け目に感じる訳でもなく、「家族はそうだけど私はこう。できないものはできないし、好きになれないものは仕方ない。何でも全員で楽しまなきゃいけない訳じゃないし美味しいものは食べたいから太っていてもまあいいか」と線引きしていたように思います。

親戚の子供たちも男子ばかりで私だけが女子、遊びの中にも中々入れず家では淡々と本やマンガや兄の見るアニメを見て過ごしていました。
とはいえ全く1人遊びしかしなかった訳ではなく、幼稚園では友達もいて楽しく過ごしていました。
人形遊びが好きで友達の家ではいつもリカちゃんやジェニーちゃんで遊び。
魔法騎士レイアースが流行っていたので記憶の中で初めてねだって海ちゃん風ちゃんの人形を買ってもらい、友達と一緒に人形遊びをできるという喜びも覚えました。

外見は気にしたこともなく兄の本棚にある少年漫画の単行本や毎週少し早く売る本屋で買ってくるジャンプを読み耽り、兄達のプレイする風来のシレンやドラクエを横でずっと見ていて、兄達のいない時にこっそりセーブせずバレずにできる最初の部分だけを繰り返しプレイする。
そういう男子っぽい遊びをする自分が嫌いではありませんでした。
お下がりの服も男の子の服の方が当時の体型にも合っていたし、女の子っぽい服やかわいい服に惹かれることもあまり無かったように思います。服自体には惹かれても、自分が身につけるという発想がなかったかもしれません。
お人形や漫画の中の登場人物が着るものだ、と思っていたのかも。

縦にも大きい私は同級生の女の子たちよりも背が高くて男役のようなポジションになることも多く、自ら好んでやっていたような節があります。
兄のお下がりの斜めがけのスポーツバッグを持って小学校に通い。スカートを履くことはほぼ無く、ズボンしか履いていませんでした。
お小遣いをもらっても買うのは漫画。
少年漫画も変わらず好きだったけれど周囲が読んでいたのでりぼんを毎月買って、種村有菜先生のイラストの模写をずっとしていました。
ちょうど時空異邦人KYOKOの連載が始まった頃で、ドレスやお城、杖など細かく書き込むのが好きでした。
絵やイラストや漫画を描くことは好きだったけれど、そこまで上手という訳でもなく自分だけのノートにどんどん溜め込んでいきました。
グレーのパーカーにズボンにスニーカー。この頃の制服です。



中学高校

幼い頃から勉強に関してはストイックだったので中学受験をし、中学高校は私立の一貫校に入りました。男子の方が圧倒的に数が多い学校でしたが、この年頃の女子あるあるで男子と一切話さないというスタンスを貫いていたので、兄の影響の趣味を持ちながら女子としか交流しませんでした。

また、週7で活動する吹奏楽部に入部したため私服を着る機会はほとんどありませんでした。
ストイックな部活生活と、中学3年生の時ずっとメガネをかけていたのをコンタクトに変え、思春期を迎えたことでダイエットに目覚め10kg超の減量。
ようやく普通体型といえる程度になりました。身長も小学校で成長が止まり、いたって普通、むしろやや小柄な部類になりました。
少しずつ自分に目を向けるようになり、それと同時に少しずつ周囲の目も変わっていきました。
「あれ、いたんだね?」という目です。
1人の世界に閉じこもりがちだった私が少しずつ世界に迎合し始めました。


そんな折たまたま高校1年生の時にクラスで部活のない休日に集まって女子会を開くことになりました。
困りました。フリマにも行かなくなったしさすがに兄のお下がりを着る訳にはいかないだろう。

たまたま家の近くにあった雑貨屋にそういえば服も売っていたな、と見に行きました。
そこに飾ってあったのは緑色のベロア調のワンピース。黒いリボンが胸元についているもので、クラシカルなそのワンピースに何だかすごく惹かれてしまってお小遣いをはたいて購入しました。
当日はそれを着て参加したのですが、後日噂話が聞こえてきました。
クラスで1番のかわいい子がこう言ってたよ、と。

「○○ちゃん(私です)の私服って結構個性的なんだね」

どういう意図でその言葉が発されたのか不明ですが、当時の私はそれが本当に恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなくて、ワンピースを棚の奥に追いやって二度と出すことはありませんでした。
どうしたのか明確に覚えてはいませんが、多分、捨ててしまったのだと思います。

それからは「個性的と言われない」ものを選ぼうと心に決めました。
この頃non-noがクラスで流行っていたので必要経費!と買い始め、田中美保ちゃんや森貴美恵ちゃん、竹下玲奈さんのかわいさにクラクラしながら切り抜きをしては無印の透明のフォトブックに色紙を台紙にして貼り付けてその中に収めて眺めていました。
「服装を見て参考にする」というより「色んな田中美保ちゃんがいてかわいくて楽しい」感覚でした。
とはいえそこまで私服を着る機会も多くなく、あったとしてもできる限り理由をつけては制服で毎日を過ごしていたように思います。


大学生
さすがに私服を選ばないとやっていけなくなりました。
「どんな服が普通の女子大生らしいのだ?」
分からなかった私はnon-noだけでなく他も含めてひたすらファッション誌を読み漁りました。
読み漁る、と言っても立ち読みです。立ち読みですから、流し読みです。パラパラと入ってくる情報を速読のように吸収していました。
中高はメイクも禁止でメイクも分からなかったのでメイク雑誌も含めて月に10冊以上は雑誌を読んでいたと思います。
垣間見たファッション誌の世界はそれぞれ個性的で楽しくて楽しくて、それはもう異世界の話のようでした。

今思えば満遍なく読んでいたつもりでも
mina、SEDA、zipper、PS、ar、Sweet、MORE、with、などなど、青文字系・サロン系・大人しい私でも受け入れてくれそうな系統の雑誌が多かったように思います。

法学部に進み、ここでも男子の方が多くあまり煌びやかな格好をしている子が周りにいなかったのに加え私のメンタル的にもあまり目立ちたくなかったので、あまり華やかすぎる格好は避けていたように思います。
その頃読者モデルをしていた田中里奈ちゃんや武智志帆ちゃん、青柳文子ちゃんやAMIAYAちゃんなどのスナップをずっと読み込んでいました。
真似をする、というよりはここでも「眺めて慈しむ」という感覚でした。


雑誌を読んで何となくこういう感じ、が分かっても実際に自分が買える訳ではありません。
バイトも始めたばかりでお金もない、週5回以上活動するサークルに入り750円の時給で働く私には2990円の服だって大金でした。

それに加えこの頃私はコスメの方が「絶対に毎日使うし自分自体が良くなる方がお得なのでは?パッケージかわいいしいつでも持っていられる!」とデパコスに少しずつお金を使うようになっていったので、服にあまりお金を使いたくなかったというのもあります。

そこで頼ったのはブランド古着です。少し流行遅れだったり傷や汚れはあるものの、お店で売っているものと似ていたり同ブランドであればさほどおかしくはないだろう、と。
古着屋で試着をしていく中で当時の自分にはどうやら短めの丈が似合うらしいと判断し、古着屋に通ってはそれらしいミニ丈のワンピースやショートパンツを買ってよく履いていました。
ブランド名は好きかどうか、ではなく元の値段を知ってよりお得かどうかを判断するために覚えていきました。

その中でもやっぱり好みはあって、たまたま新宿乗り換えだった事から当時のルミネ新宿2の2階やルミネエストをぐるぐる回るのが大好きで、買ったり試着はできないものの回遊魚のように毎日のようにウインドウショッピングを楽しんでいました。
特に好きだったのはaquagirlやJewel Changes、FREE'S SHOP。
買えないので、憧れでしかなかったのですが今調べたら全部ブランド終了していました。
Jewel Changesはエメルリファインズとして残っているし、フリーズマートやAGバイアクアガールもありますが、やっぱりちょっと悲しいな…
似たような服をこっそり買っては着てみて、この頃かわいいものを身につけることに抵抗が無くなってきた感覚はありました。


足元は当時の流行もあったのと、スタイルがよく見えること、そして何より「同じ値段を出すならヒールがあった方が物質的にお得感がある」というトンデモ理由から少なくとも5cm以上、10cm級のヒール靴ばかり履いていました。
雑貨屋や中古でサイズもそこまで気にせず買っておりほとんどの靴が足には合っていなかったので、いつも足の指にタコができていたのですが「痛いけどヒールも高いしまあそんなものかな」と無理を無理とも思わず履いていました。

ミニ丈にハイヒール、私の思う女子大生のできあがりです。「かわいい」スタイルですね。
お金は無かったけれど、皆と同じような服装をできている感覚もあって、ある意味ファッションを好きなように楽しめていたのかもしれません。


社会人
毎日スーツの職場だったためほとんどインナーを選ぶだけでいいという環境になりとても気持ちが楽になりました。
ジャッジされない心地よさ。
これさえ着ていれば誰にも何も言われない、と。
その中でもお守りのような存在はありました。
はじめてのボーナスで買ったアニヤのボルドーの長財布。仕事で役職が上がった時に正価で初めて買ったダイアナのビジネスシューズや、元・水色のブラウス。今の配偶者に買ってもらったageteの腕時計やアクセサリー。

少しずつ愛着のある衣服というものが自分の中でできていきました。
とはいえ休日は数も少ないので、私服は大学生の時の衣服や古着屋、母からのお下がりなどでやり過ごしました。

それが産前産後。一気に崩れます。
社会人の私のスタイルはほぼスーツだし、大学生の私が築いたスタイルは危なっかしく子と共に歩むには全く向きませんでした。
悩んだ辺りの話は既に書いているので割愛しますが、古着屋は頻度高く通っていないと中々いいものに出会えないため活用度が下がっていきました。

紆余曲折あり、途中貴金属を買ったりもしながら今に至ります。



人には色んなコンプレックスがあると思うのですが、私にとっては「オシャレ」「センスがある」「個性的でスタイルがある」この辺りの言葉は全てコンプレックスの対象でしかなく、そんな私が自問自答ファッションに出会ってファッションを愛する私から縁遠かった人たちと共にモグラをしているということは少し前の自分にとっては信じ難いことです。

「これでおかしくないかな?」
「変じゃない?普通かな?」
「私に求められそうなもの、TPOに合ってるかな?」
といつも「一般的な正解」を勝手に解釈して求めてしまう。
これは多分ファッションだけではなくて、自分の保身のためもあるかもしれませんが周囲を気にしすぎる、自分がどうあるべきかを他人の判断に委ねてしまいがち、正解を一般論に委ねてしまいがちな習性があるせいかなと思います。
言われたことはやらなければならない。
周囲に気を遣い、謙虚でいなければならない。
別にそうしなくたって、死なないんですけれど。


比較することはNGと言われながらも、浅く広くで色んなものに触れてきたので深く語れるものもあまり無くて中身がない、きっと誰かに会って話しても「個性がない、つまらない奴だな」と思われそうで怖いなと思っていました。

それでも私は踏み出したい。
講演会に行ったのも、声をかけるのも、高価な買い物をするのも、本当は自分が知らない世界をもっと見てみたいという欲があるからです。

講演会の後は熱に浮かれてしまって何も考えられなくなりすぐに帰宅してしまい、自分の体力の無さを痛感しました。
それでもお声がけいただいたりお話してくださったガールズの皆様、本当にありがとうございました。ここまで読んでくださっている方がいるかわかりませんが、本当に楽しかったです!


遍歴を振り返るはずが脱線しました。
振り返ると、

ボーイッシュ期

non-no期(制服期)

青文字、ミニスカハイヒール期

スーツ期

産前産後カジュアル訳わからない期

でしょうか。
自問自答ファッション教室で「かわいい」というコンセプトワードが出ましたが、やっぱり振り返った時にファッション的に楽しくてワクワクするのはどう考えても大学時代です。
「かわいい服を着るのが普通!当たり前!」と胸をはっていられたからかもしれません。

それと、ここ最近で購入したブラウスはおしゃれと思われなかろうが、公園や抱っこ紐には不向きだろうが洗濯後干したりアイロンがけしているだけで「かわいいねえ」と愛でていられるので最高です。着ていない時も「今日はお留守番だねえ」とできます。クローゼットにいてくれる安心感。
かわいいもののコレクション癖があるのかもしれません。「それを身につけた私がかわいい」よりも「物体としてかわいくて愛でたくなる」ものを手に入れたい欲がある。ジュエリーなんかはまさにそう。
だからファッション的にはおしゃれになりづらいのでしょう、それ単品で満足してしまう。
かわいいものがそこに在る、いつも側にいてくれる、それでOK!というような。
だからコスメや長く使えるポーチや財布、貴金属などの小物には投資できていたのでしょう。
その範囲を自分そのものに広げればいいのかもしれません。
自分を意志のある着せ替え人形と思ってコレクションを集めてあげればいいのかも。

自分の中で今欲している「かわいい、素敵」をもっと具体的に言葉や画にしよう。インプットの膨大な海の中から自分に合うものを選び取っていく形式が多かったのですが、第3のアウトプットの方法を考えてみよう。
ファッションはもちろん、日記やエッセイみたいに気軽に書ける文章もいいかもしれない。
あとはこんな気持の時はこのお店のこれ、という食べ物での表現も楽しそう。

書き殴ってしまいましたがアウトプット第一弾、ひとまず終わります。
あまりにまとまっていないのでもしかするとその内消すかもしれません。

ここまで長々とお付き合いいただいた方、ありがとうございました!

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