それでも、できる。
手先が不器用というのは、損することはあれど得することはない。
彫刻刀を持たせれば足を怪我し(あばれていたわけではない)、大縄跳びには飛び込めず(もとから入っていれば飛べる)、包丁を持たせれば指を切る。親は「不器用なのはわかっていたのだから、もっと小さい時から練習させればよかった」と嘆き、包丁を使う時は軍手でもしておけと言う始末だった。
そんな不器用の権化がなんの間違いか、「果物をむいて社内で配る」という業務のある会社に就職してしまった。いわゆる「お茶汲み」というわけではなく、取り扱い商品の試食が必要な食品会社だったのだ。
当時、りんご1個丸剥きするのに10分はかかっていた。あまりに遅いと見にきた先輩は、呆れて「…あんた、飢え死にするで」と言い放った。
あれから十数年。自分だけでなく、家族分のご飯を用意するようになって十年ほど経った。毎日和洋中いろいろ作っている。最近は食事だけでなく、クッキーだのホットケーキだのをよく作っている。ここ数年帰省しづらくなったこともあって、おせち料理にも挑戦している。たまに失敗もするが大概食べられるものが作れている(はず)。
が、いまだに子どものお弁当にうさぎりんごを入れるなどという高等なことはできない。なんならあの時のようにくるくると丸剝きをしようものなら、分厚く皮の削げたりんごが10分後にできあがるかもしれない。なんとか独自の剥き方にたどり着いて凌いでいる。
それでも料理はできる、のだ。
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