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“本当の友達”ってなんだ?

大人になってふと、「あれ、友達ってなんだっけ?」と思った。

学生時代は小学校・中学校・高校・大学とそれぞれのコミュニティで自分と近しい人が『友達』だった。
クラスが同じ子、部活やサークルが同じ子、帰り道が同じ子、アルバイトが同じ子...。
何かしらの共通項を見つけては友達になっていた気がする。
色んな人と交流する過程で「この人は友達だ!」と感じていたため、気が付けば膨大な数の『友達』ができていた。
学生時代の友達は、集団生活を共に過ごす仲間。
友達が多ければ多いほど学生生活は生きやすく楽しいものになる。当時はそう思っていた。

ただ、大人になってからこの『友達』という概念が少し変わったように思う。確かに色んな人と出会い仲良くなるのは楽しいが、深い関係を築くのは数人でいいかなと思うようになった。

元々私は色んな人と交流するのが好きな性格だ。
コロナ禍になる前は、先輩後輩含め色んな人と飲みながら話すのが趣味だったほどである。
そんな私だからこそ、去年のコロナ禍は心にきた。スケジュール帳が人と会う予定でびっしりな私にとって、誰とも会えない日々が続くことはまさに青天霹靂。加えて就職活動が難航しているせいでますます心がしんどい。私は色んな人と話すことでその寂しさや虚しさを紛らわせようと、数々のオンライン飲みを企画した。

幸いにして、私がオンライン飲み会を呼びかければ多くの人がそれに応じてくれた。その結果、私は色んな友達たちと話したのだが、話したからといってみんながみんな私の気分を晴らしてくれるわけではなかった。むしろ話すことでかえって気分が悪くなった人もいる。

例えば、就活について話している時、とある先輩は「お前の努力不足なのでは?」と言ってきた。またある時は、私の現在の状況なんてお構いなしに「でも結局は何とかなるよ!まずはあなたのその性格を改善してもっと妥協すべき!」などと言ってくる人もいた。彼らは決まって話す前に“あなたのためを思って”という枕詞をつけ、ひとしきり話し終えたと思ったら私の話を無視して自分の自慢話をしてきた。当時の私は、彼らの話を聞くたびに「自分が悪いのかな」という自責の念に駆られていたのである。

でも今になって思う。そういう人の意見を馬鹿正直に受け止めるべきではなかったのだと。

自分に対する忠告を全て無視しろというわけではない。アドバイスを受け取り自分を改善することも必要不可欠だ。でも、この場合はアドバイスとは違う。あくまで彼らの目線で語ってくる一意見でしかない。自分が正しいと信じて疑わないからこそ、他人にも自分の考え方を強要するのだ。

しかし、自分の人生を決めるのは自分である。相手のものではない。だからこそ「あなたのためを思って言っているのよ」とかいう“クソバイス”は気にしなくていいのである。しかもそういう人は、「あなたのため」と言っているが大抵はたいして私のことを見ていない。そういうクソバイスをしてくる人は『友達』ではなく、『友達の面をした他人』なのである。

一方で、オンライン飲みを通して私にはいい友達がいることもまた再認識した。
私がしんどい時に何も聞かず傍にいてくれた人や、励ましてくれた人、一緒にどうやって現状を打破しようか考えてくれた人。
私は彼女たちと話すたびに心が軽くなったのを覚えている。彼女たちの存在にどれだけ救われたことだろう。
私はこういう人たちこそ『本当の友達』だと思っている。今後も付き合っていきたいと思える存在だ。

思えば私は、色んな人に笑顔になってほしくて、友人の面を被った他人にまで優しくしすぎていた。親切は大事なことだが、みんなに親切にするとそのうち自分が疲れてくる。また、他人に尽くすことでしか自分を確立できなくなる危険性も孕む。それでは自分の人生を生きることができない。だから、本当に大事だなと思う人にだけ優しくすればいいのだ。

友人関係はいつだって取捨選択すべきなのである。仕事や住処を自分で選べるように、友人関係にも選ぶ自由と権利があるのだ。

友人関係とクローゼットは似ていると思う。
クローゼットには好きで買った服がたくさん仕舞われている。
どれもお気に入りの服に見えるが、ちゃんと確認すると、今はサイズが合わなくなった服もあるかもしれない。
あるいは、今の自分のファッションとは違う服もあるだろう。
そういう服は思い切って手放すべきだ。
友人関係も同じである。今の自分に合わない人だと感じたら、その人からそっと離れてもいいのだと思う。

不要なものを手放すと、自分に今必要で好きなものだけが残る。その方が見ていてテンションも上がるのではないだろうか。かつ、不要なものを捨てたことによってスペースが生まれる。そのスペースに次はどんな服や友人が入るのかきっと楽しみになるはずだ。

大事な人を手元に残しつつ、新たな出会いを楽しむ余裕も持ち合わせる。
自分のことを大事にしてくれない人とは縁を切る。

これが“今の私の友人関係の気分”だ。

若干脱線したが、要するに今の私にとって友達とは「私を本当に大事に思ってくれる人」であり、「私が本当に心から大事にしたいと思える人」である。

自分の考え方や生き様を尊重してくれる存在。そこに変なアドバイスや気遣い、甘やかしはない。
ただ、本気で私のことを考え、時に優しく、時に厳しいことを言ってくれる人こそが私の『本当の友達』だと思っている。

最後に私の友達たちに言っておきたいことがある。直接言うのは気恥ずかしいのでnoteで。といっても、私の友達たちはnoteを見ていないだろうが。

私が本当に辛い時、傍にいてくれた友達たちへ。
あなたたちのお陰で私はまた頑張ろうと思うことができました。
私の友達になってくれて本当にありがとう。