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もういない君の姿を探して

先日、三浦春馬さんの訃報について
ここに記した。

才能ある芸能人の死でさえ
今でもなかなか信じられないが、

まさか自分の身近に同じことが起こるなんて
あの時は1mmも考えていなかった。


ココに書き記した直後、
身近な人にも同じことが起こった。


きっと三浦春馬さんの周りにいた人も
何度も何度も思ったであろう、


「どうして」
「なにが辛かったのだろう」
「彼を救うことはできなかったのか」


その想いに襲われ、
しばらく心が迷子になった。



彼とは去年まで同じチームで仕事をしていた。


異動してしまってからも、よく社内で会い、
挨拶と少しの話をしていた。


しかし最近は食堂でたまに見かけるくらいで、
話をする機会がなかなかなかった。


そうしているうちに新型コロナウイルスにより
こんな世の中になってからはテレワークも増え、
見かけることもなくなってしまっていた。


7月の上旬、
ふと、彼のフロアに行ったときに
彼のデスクのほうを見ると
部署ごとガランとしていた。


「最近見かけないなあ、、、
テレワークしてるのかな、元気かな」
と頭をよぎった。


しかし、そう思っていたときには
すでに彼は亡くなっていたのだった。


その数日後に社内の掲示板で知り、
事故にでもあったのかと思ったが、
違うと知り言葉が出なかった。



彼は、
中途で入った会社での同期であったが
私よりも年齢は5つ以上年下で、
まだまだ若いのにどこか達観した
落ち着いた男の子だった。


私が業務での揉め事の間に挟まれ、
かなりストレスを抱えてしまっていたとき、


「大丈夫ですか?」
「ツノさんはなにも悪くないのにね」


彼からのその一言に
すごく心を救われた。


張り詰めていた心がふっと軽くなり
こんな年下の子に救われるなんて、と
涙が出そうになり、


「ありがとう」


と返すので精一杯だった。



三浦春馬さんは、
「優しい」人であったという報道ばかりをみる。


とても周りが見え、相手が欲しい言葉を
かけられるような素晴らしい人だったという。


そんな三浦春馬さんの記事をみるたびに
姿が重なってしまうほど心の綺麗な人であった。 


私自身、彼の言葉によって
どれだけ救われたか分からない。


誰にも気づかれない、
気づかれまいとしていた心のモヤに
どうして彼は気づいたのだろうか。


きっと私の他にもこれまで
心を見透かされたように
優しい言葉をかけてくるその存在に
助けられた人がたくさんいたことでしょう。


外ですれ違ったときに
目を細めて柔らかな笑顔で
挨拶をしてくれる姿


食堂で1人でも手をしっかり合わせて
いただきますと口を動かしてから、
食事を始めてる姿


心の綺麗な少年だと
何度思ったことか。

だから彼のことは異動後も
なにか存在が気になり、
時に癒しをもらっていた。



あの時の感謝の言葉も伝えられていないのに、
どうして1人でこの世を去ってしまったのか。

どうして心の綺麗な優しい素晴らしい人が
この世を去らなくてはならないのでしょう。

いくら願っても考えても
存在は戻ってこないことは分かっているが

まだある彼のデスクや名前をみるたびに
時間が止まっているような感覚に襲われる。


これから先、
もう誰ひとりこんなかたちで
失いたくない。


後悔のない人生なんて難しいが、
優しい彼らを忘れず彼らの心の分まで

周りの人を大事に感謝をして生きていこうと
改めて心に誓った。

この世には優しい人が必要です。
どうか来世も優しいあなたのままで。

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