インプットとアウトプットについて、それから〝自分なりの言葉で語る〟ということ。

インプットとアウトプットは対(セット)であり、同時に起きるというか連動している。そして、連動してこそ、より効果があり、知識や能力がより洗練される。
どっちの方が重要ということはない。アウトプットしたければインプットがなければ話にならないし、インプットを深めるためにはアウトプットが不可欠。
ってなことを日々感じています。

例えば学生時代の私。
テスト勉強の時には、教科書やノートに書かれたものを「見る」=【インプット】するだけでなく、再び「書い」たり「音読」したり=【アウトプット】しておりました。練習問題を解くのもアウトプットかな?これだけだと、連動しているとは言い難いかもしれないけれど、「音読」すると自然と自分の声を「聞く」わけで、これが再び【インプット】になるんですよね。「書く」ことでも、どういう風に書く(表現する)かを考える際に、語句や文章の意味を今一度捉え直す=【インプット】になると思うのです。練習問題解いた後は、解説を「読み」ますしね。
英語なんかは、教科書の文章を暗記するくらい音読していて(暗記するためにではなく。ここ結構重要だと思うのですが)、そうすると、英文の語感というかリズムがなんとなく身に付いて、テストの時にその感覚を思い出せれば、例え問題が教科書と全く同じ文章でなくても正しい英語にたどり着きやすかった。(かつて、通信教育の英語講師をしていて、その時に振り返ってみて気づいたので、当時はそれほど強烈に意識していたわけではなかったけれど。というかもっと意識的に取り組んでいればもっと上達したのではないかと少し後悔?笑)
ドイツに留学してた時も、学校で習ったことを日常生活で実際に使い、日常生活で使って間違えた時に指摘されたり、わからない単語を聞いたり調べたり、インプット⇔アウトプットが常にセットであったからこそ、言葉が上達したんだと思うのです。

社会人になって、自己啓発本とか読むようになって、吸収するものの量や質の違いもここにあるよなって、最近になって(やっと)気づいた。書いてあることを「読んで」納得しても、それだけで終わってしまうとイマイチ自分が変わった気がしない。その瞬間は明るく〝できた〟ような気分になったとしても、それも1週間ともたない。そこから先、そこで得た知識を自分で実践・体験してみて、自分の〝肚に落ちて〟こそ、本当の意味で理解が進むのだと思う。逆のパターンもある。自分が体験したこと・感じたことを、改めて本などで知識として論理的に取り入れることで、すごくしっくりいくことがある。あの時感じたことはこれだったんだ!と、結び付くことでとても心地よく自分の中に財産として蓄積される。

何より、絵日記はその最たるものだと、ここ最近改めて痛感している。「絵日記を書く・描く」という行為は当然アウトプットだ。しかもここで重要なのは、〝絵〟日記だということ。言葉・文章だけでなく絵を使うことで、よりその時の臨場感をノートに残せるのだ。出来事+感情を書く・描くためにも、絵は欠かせない。言葉ではどう表現していいかもわからない感情を、絵でなら表現できることが多々あるからだ。そしてやはり、絵日記をかくというアウトプットをしながら、私の場合はインプットが始まる。書くあるいは描くことで、自分の中の〝得体を知れないもの〟が、紙の上に具体物として現れ、「あぁ、私はこんなことを感じていたんだ」とか、「これがいやで、本当はこうしたかったんだ」ということを読み取ることができるから。
さらにさらに。
絵日記は、〝読み返すことができる〟という特徴も、とても重要だ。読み返すことで、「あの時自分はこうだった。今の自分はこうなった」と成長を実感できる。それだけじゃなく、「あの時こう感じてしまったけれど、それは事実か?」と過去の自分に問いかけることもできる。当時は、問題の渦中にいて、感情に囚われ振り回され上手くいかなかったことも、今になって冷静に振り返って見ることができれば、「もっとこうできた。次に同じことが起きたらこうすればいい」と、インプットと同時にアウトプットを行うのだ。そうすることで成長につなげていくことができる。ここでもやはり、言葉と絵によって出来事と感情がリアルに記録されていることが大きな意味を成している。出来事だけだと、「そういうことあったな、ふ~ん」で終わってしまうものも、感情が乗っていることで不思議とないがしろにできないのだ。
私に〝自分との向き合い方〟を教えてくれた「大人の絵日記学」はこちらをご覧ください!→http://enikki-gaku.com

インプットとアウトプット。この二つは切り離すのではなく、同時に行うべきだ。というより、自然と同時に行われるものだから、それを自覚すべきという方がより感覚的には近いかな?

それにはきっと、Try & Errorも欠かせない。自分の頭の中だけで思っていても実はあまり意味がなくて、外に出してみて、というのは要は行動してみて、それに対する外の世界の反応を受けて、またそれを自分の内側にあるものにフィードバックする。失敗もあるだろうし、恥ずかしい思いや、もしかしたら痛い思いをするかもしれない。でも、少なくとも、〝事は動く〟。自分のその時いる場所から、一歩前へ、場合によっては一段上へ進めるはず。すなわち成長、進化できるのだ。



まぁ、こんな話、とっくにわかってて実践しているよって人はたくさんいると思うのです。きっと、この文章を(しかもめっちゃ拙い)最後まで読んでくれた人って限られるだろうと思ってます。実際に私自身、似たような内容に触れていることは一度や二度じゃないんじゃないかな。でも、それでも、〝自分の言葉で〟語りたかった。自分にとってこれは大きな気づきであり、これからも続けていきたいことだったから。そのためには人からの受け売りでは不十分だから。ほらやっぱり、ここもアウトプット&インプットが同時に起きてます。
そして、〝自分なりの言葉で表現する〟こと。これが自分のこれから取り組んでいきたいことにおいて、とてもとても重要になると思うから。

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