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KANさんの想い出~③教室の前で落とした歌詞カード

生まれてはじめて自分のお小遣いで買った『東京ライフ』のCD。カセットテープにダビングして、AIWAのポータブルカセットプレーヤーで何度も聴いた。やがて、次の新曲が出るということで、KANさんのアタックヤングでは、新曲がローテーションされるようになった。

アタヤンでKANさんがこんな話をしたことがある。
「ある大学の入試でね、Polandの形容詞形を書けって問題が出たんだけど、Polishだなんてわかるわけないよね!そんな問題も解けないで受かるわけないんだけど。」
なんて、大学受験の思い出を語っていた。そんな、まだ大学を卒業して数年の新人ミュージシャンらしいトークが、中学生の自分からすると「なるほど!」と知的な番組だ、と思いながら布団の中で聴いていた。
「今度の新曲は『REGRETS(リグレッツ)』っていうんだけど、男が女の子と別れちゃって、ああしておけばよかった、こうしていればよかった、っていう、たくさんの後悔を歌った曲です。英語でregretは『後悔する』って動詞だから、これ、名詞じゃないので『s』を付けるのは英語の使い方としては正しくないんだけど、ニュアンスとして伝わればいいな、と思ってこのタイトルにしました。」
ふざけた話がメインの番組の途中で、こんなまじめな話をするもんだから、中学生リスナーとしては、また「なるほど!」と布団の中でうなづいてみたりする。
(調べてみると、名詞的な使い方もまんざら間違いではないらしいんだけど、後年の歌詞集の中で「歌い出しの英語の文章がなんだか変な感じで、歌うたびにそれを引きづっている」と書いていることから、まだ、作詞家としても語学的にも未完成の時代の曲なのでしょう。)

この『REGRETS』もいい曲で、シングルを買おうと思ったのだが、2曲しか入っていないシングルCDが千円、10曲入ったアルバムが3,200円、1曲あたりはアルバムのほうが安い、なんて中学生っぽい論理でシングルは買わず、アルバム『HAPPY TITLE~幸福選手権~』が出るまでお預けにした記憶がある。

続くアルバム『野球選手が夢だった』を買ったときは、もう、中学3年生になっていた。相変わらずKANさんは、知る人ぞ知る、的な立ち位置で、まあ、それがいいのだが、学校でもKANさんの話をできるのは例の友人だけ、しかもその友人はKANさんの音楽には興味がないらしく、むしろアタヤンに投稿してときどき番組で読まれる、という純粋なアタヤンリスナーになっていた。いいなぁ、と思って私も何度か出してみたものの、今のようにメールやホームページのメッセージ・フォームから投稿できるわけでなく、ハガキを買ってネタを書くということがなかなかできず、結局一度も読まれたことはない。

中学3年生ということで、高校受験を控え、受験勉強もしなければならない。とはいえ、勉強が好きなわけでもないので、勉強をすると言いつつ『野球選手が夢だった』の歌詞カードを眺め、親が来た時だけ歌詞カードをノートの隙間に隠して、勉強をするフリをしていた。

ある日、学校の教室前、次の授業は理科というとき、理科室に移動するべく、理科の教科書とノート、ペンケースを持って教室を出たところで、何かが廊下に落ちた。それは、廊下の床をすーっと滑って、ある女の子の足元に・・・
それは『野球選手が夢だった』の歌詞カード。
「えっ、○○(私の苗字)、なんでこれ持ってるの?」
恥ずかしかった。何が恥ずかしかったって、有名ミュージシャンの歌詞カードならばともかく、鳴かず飛ばすの売れないミュージシャンの曲を聴いているということを知られてしまったから。大人になった今では、自分が好きで聴いているのならば、売れているかどうかはあまり気にすることもないのだが、当時中学生の私は、そんなことを気にするような小さなヤツだった。KANさん、ごめんなさい。
しかし、そのあとの女の子の反応は、私が想像しているものと違っていた。
「ねぇ、このCD持ってるの?貸してよ!ねぇ、お願い!」

私は、あまりテレビを見せてもらえない家庭だったので知らなかったのだが、この頃、KANさんの『愛は勝つ』があるテレビ番組の挿入歌に採用されていたらしく、流行に敏感な女子からすると「男子の中でも目立たない○○が、いま流行りの曲が入ったミュージシャンのCDを持っていること」がかなり意外だったらしく、その女の子に貸した『野球選手が夢だった』のCDは、その後クラスの数多くの女子、しかも、ふだんはほとんど交流のないクラスの中でもおしゃれでイケイケ系の女子の間で又貸しされることとなった。

又貸しされている間に、『愛は勝つ』はどんどんヒットしてゆき、ヒットチャートで何週も連続で1位になるという、この間までの鳴かず飛ばずのKANさんはどこに行ったんだ?という不思議な状況を目の当たりにすることになった。とはいえ、それまで交流のなかった女子とも仲良くなるきっかけをつくってくれたこの出来事は、今でもKANさんを忘れることができない、大きな理由だと思う。

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