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波紋を眺める


また思考の井戸に波紋ができるnote に出会ったので、つらつらと思考の断片を書いてみる。


わたしにとって東京は赦しの街。

30年前の地方と東京の情報格差は、進撃の巨人のウォールシーナとウォールマリアぐらいあった。ネットもSNSもケータイ電話もなく、ポケベルすらなかったから。

地方出身者が大学に進学することは親にお金をだしてもらいつつ過去を切り捨て、学生という身分で東京で暮らせる最高に素敵な手段だった。その選択に迷いなんて1ミリもなかった。


東京という街は「記号」になれる。
例えば、「女子大生」「丸の内OL」「東大生」「商社マン」「クリエイター」
もちろん各個人個人はまったく別の存在で同じ属性であっても括れるものではないし、その記号によって想起されるイメージも人によって違う。属性の区切り方もいくらでもある。

でも、街を歩いても知り合いにばったり会う確率なんてかぎりなく低く、生い立ちも属性も何も知らぬ膨大な量の他人の中に紛れると心の底からわたしは「自由」を感じた。

何者でもない自分ってなんて自由なんだろう。承認欲求を持て余し自己嫌悪や劣等感に悩み苦しむ自分はもちろん消せないけれど、
大衆に紛れ単なる「大学生」に記号化された自分を感じると、なぜか東京に赦されている気がした。

それともう1つ。

時はバブル最高潮、一瞬後に弾けるのだがあの時代が自分に与えた影響の大きさを今になってとても感じる。
東京にいれば、とりあえず稼げるという根拠のない自信があった。19歳で(笑

東京だったら何とかして生きていける術があるという安心感。
この点でも自分にとっては「赦しの街」だった。

https://note.mu/rnashiron/n/n7aa4ba517619

そして、今回、ましろさんのnote を読んで
気づいた。

「私は東京に依存してるいるのかもしれない」


記事中に登場するましろさんの先輩が地元に戻られたこと、上手く言語化出来ないけれど、
「東京」を自由に往き来する場所、にするっていいなあと感じた自分に驚いた。


歳をとって、大衆に紛れ込まなくても若いころより遥かに精神的に自由なのに、あまりにも依存し過ぎて怖くて東京から抜けられなくなっていないか。

「何者かになりたい」ともがくことって、
まるで沈んでいっているように感じられても、実は浮上の原動力なのです。
もがくこと自体が。

狂乱のバブル時代とロスジェネ世代のはざまで、わたしはもがきが足りなかったのかもしれない。

#もぐら会
#もぐらのこぼれ話

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