福元、バスケ辞めるってよ【15歳で家を出る】

1、実は、二回バスケットボールを辞めている

これ、知ってる人は知っているだろうけど、『謎に包まれた空白の期間』として認識している人の方が多い気もします。

そう、実はぼく、バスケットボールを2回辞めています!

やめた経緯はもちろんのこと、それだけでは面白く無いと思うので、その経験から何を学んだかを書いていこうと思います。

2、一度目の引退

これは下記の記事を読んでみてください。
人にはほとんど語らずにきた部分を書いてます。

3、大濠高校田中國明先生との出会い

これはこの記事を読んでみてください。
結構人間臭い記事です!

4、単身福岡へ

そんなこんなもありつつ、間も無くして僕の頭に浮かんだ奇策。なぜこんな発想に至ったかは今でもわかりませんが、恐らく当時は「(いろいろと僕に後ろ指を指した人たちを)見返してやりたい。」のが大きかったと振り返っています。

何を思ったか。

「ん??これって、もし大濠の練習に毎日行けるとしたら、要は同世代よりも半年間アドバンテージとしてスタート切れるということでは!?」

ここまでは、向上心溢れる良い発想ですね。

「そのためには、福岡に行かなければいけない。そうだ、転校しよう」

ここまでくると、とんでもない発想です。
この時、どんなやりとりがあったのかは、今度実家に返った時に母と思い出話しようと思っています(笑)

ここまで来ると、ブレーキという概念はありません。走り抜けるだけです。早速手続きに入り、夏休み明け(=中3の2学期)から福岡県城西中学校に転校することに決まりました。いろいろなところに書いている、僕の中学校歴が「福岡市城西中学校」になっているのはこういうワケです(笑)

ちなみに、当時一人暮らしをしていた家は、六本松の当時は九州大学跡地だった裏にある”谷”というエリアのアパートです。

大分の中学校からは、ほぼ雲隠れ的に転校しました。転校前日にクラスメイトには発表し、翌日には福岡に行ったのは鮮明に覚えています。たぶんですけど、同情もいらないし、送別の言葉もいらない。出戻りできないというプレッシャーと覚悟が故の行動だったと思っています。

5、生活の様子

せっかくなので、ひとり暮らしの時の生活リズムも少しお伝えします。
結構ハード。笑

6:30ごろ:起床、朝食、身支度
8:30ごろ:登校→授業
16:30ごろ:帰宅→バスケの準備
17:00前後:大濠の練習へ
22:00ごろ:帰宅、食事
23:00ごろ:宿題やったりなんやかんや
24:00ごろ:近くのコインランドリーにチャリで行く
     →急いで家に帰って隙間時間でお風呂(シャワー)
     →洗濯物取りに行って、家で干す
25:30ごろ:就寝

時間の誤差はありつつも、だいたいこんな生活を半年間続けました。

親や家族という存在の大きさ、ご飯の有り難み、洗濯物が綺麗になって返ってくる有り難み、ゴミ出しってルールあるんだ、隣の家のおばちゃんが気にかけてくれて、たまにご飯くれる、家に返って電気が灯ってる温かみ、風呂にお湯張るのを待つの面倒臭い、N◯Kさんが黒のスーツ×2人で来て怖かった、話す人がいるって素晴らしい、などなど、とにかくたくさんのこと考え、感じ、学びました。

ぶっちゃけこの経験、めちゃくちゃ大変だったし辛かったし、一人で泣いたこともあったし、バスケの練習きついし、なぜか田中先生は既にめちゃくちゃ厳しいし、何度辞めたいと思ったことか・・。

でも、この半年間で僕は人の優しさを感じることができたと思ってます。つまり、ということは人の冷たさも感じることができました。これらって結構極端に出るものだな、と。

だからこそ僕は、人となりは大切にしたいし、自分を救ってくれた人、自分とご縁があった人は絶対に無碍にしない、という意識が芽生えました。
あと、家事・自炊は大体のことを一人でできるようになった!

そういえば、この前久しぶりに当時一人暮らししていたアパートに行ったら、改築工事してたなあ・・、

過去は過去。超え続けないと。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?