長いやつ⑥
マジックアワーを知っているだろうか。
写真撮影の用語で、日の出前や日の入り後の、空がうっすら明るい数十分ほどの薄明の時間帯のことを言う。一日の中で空の色が最も変化する時間帯だ。太陽の位置が水平線からプラス6度の時をゴールデンアワー、マイナス6度をブルーアワーと呼ぶ。放課後の今ならば日が没していき、赤やオレンジの空が、だんだんと夜のあおに変化していく過程が幻想的だ。
部活がある日は、このような幻想的な空を仰ぎながら、五ヶ谷と帰ることが多い。
「夕方でも暑いわね……。夏って感じ」
五ヶ谷は、ダルそうな声をあげながら、俺の半歩後ろを歩いている。
「もう少しで家なんだから、もうちょっと頑張れって」
「……今日は素晴らしい作品を仕上げたので、私は頑張れません。祐介、アイス奢れよ」
「さ、さいですか……仕方ねえなあ……」
観念して財布を開く。……奢る余裕はありそうだ。
「珍しく気前がいいわね。いつも財布の紐はガチガチだったのに」
「そうか? 別にアイスくらいは奢るぞ。……そう頻繁に、というわけにはいかないが」
「そこまでたかるつもりはないわ。サンキュー」
しばらく大学生として生活していたからか、財布の紐が緩くなっていた。そうか、高校生のアイス代ってそこそこ重いほうだよな。
俺たちは通り道にあったコンビニに寄った。店内は冷房が効いていて、非常に快適だった。アイスコーナーでアイスを吟味する。
「やっぱり夏はチョコミントよ。あんたもどう? 結構美味しいわよ」
「チョコミントか……あんまり食べたことないな。俺も同じのにするか」
結局ふたりで同じアイスを購入。期間限定のチョコミント味のカップアイスだ。
コンビニを出て、すぐ近くの公園のベンチに座り、アイスを食べ始めた。
「……このミントの感じがスーッとしてうまいな、チョコミント」
「でしょ? 夏にぴったり」
「これはリピートしたくなるな。歯磨き粉とか言っている奴もたまにいるが、全然そんなこともないな」
「歯磨き粉を主張する者は我々チョコミン党の敵よ」
「チョコミン党って……アイスクリームを政治の道具にする団体か?」
「チョコミントで世界を征服する団体よ」
「余計酷いわ! ……って、そんな馬鹿やってると溶けるぞ、お前の大好きなチョコミント」
「あっ! ……どんなにおいしくっても、溶けてちゃしょうがないね」
暫く無言でアイスを食べる。食べていくうちに、だんだんと体の熱気が冷えていく。
……そういえばここ、俺がタイムスリップする前に居た公園だ。結局、あの時の変な女は誰だろう。こうして高校二年生の夏に戻ってきたおかげで、それ以前の記憶は取り戻すことができた。しかし、これから先の高校生活で何が起こるのかはわからないままだ。すべてを思い出すわけではないようで、これから高校生活をやり直すことで、残りの記憶を取り戻していくのだろう。……その中で、あの女が現れるのだろうか。
アイスを食べ終わると、俺は五ヶ谷に話しかける。
「なあ、五ヶ谷。俺、未来から来たんだ」
「あんた、暑さで頭でもやられたの?」
怪訝な顔で返された。まあ、わかってはいたが……。
「いきなりそんなSFを聞かされてもねえ……今日の三題噺のテーマよりも突拍子ないと言っても過言」
「過言かよ! ……いや過言だけどさ」
結局お前もあのテーマはナシなのかよ。
「あんたもついに脳をやられたのね……ご愁傷様」
「そう思われても仕方ないとは思っているが、俺はまともだ」
「未来から来たなんて、あり得ない。じゃあ、未来のことでもわかるの? あんた」
「いや……わからん」
「一ミリも説得力が生まれないじゃない。もっとハッタリでも何か用意しときなさいよねー」
言い返す言葉もございません……。高校生活の記憶は元々無いし、大学生活は五ヶ谷に話しても仕方がないし。
「悪い、ジョークだ。あれだ、俺がもし未来から来ていたとしたらっていう話として受け取って貰えないだろうか」
ここはジョークとして受け流しておかないと、本格的に暑さで頭がオーバーヒートした、と捉えられることだろう……。すると、五ヶ谷は立ち上がり、公園の真ん中まで歩を進め、天を見上げた。釣られて俺も見上げる。空は既に夜の闇に染まっていた。いつの間にか、黄昏時を過ぎてしまっていたようだ。
「祐介」
五ヶ谷がこちらを振り返る。
「今日は何の日か、知ってる?」
「今日……? そういえば、七夕か?」
「そう、七夕。織姫と彦星が、一年に一度、会うことを許された日。……でもさあ、あいつら、15光年離れてんのよ。
二人が会おうとして同時に飛び出しても、七年半はかかる。そんなことしてたらお互い老年カップルになっちゃうわ」
俺に近づいてくる。暗くなって、五ヶ谷の顔があまり見えない。でも、何となく憂いを秘めた表情なのがわかる。
「どうやったら年一で会えると思う? 私にはわからないや。光より早く……ってさ、そんなことできるわけない。酷な話よね。そのくらい、織姫と彦星には、『光』っていう壁で隔たれているの。あいつらがまともな人間っていうならね。……未来と過去も、たぶん、そういう光の壁で隔たれてる。もしあんたが未来から来たとしたら……あんたは、光源をぶっ潰したんだろうね」
「光をぶっ潰すって、なんだよ」
「私にもわからない。私たち人間や、万物、織姫と彦星を、光で支配している光源があんのよ。それをどうにかこうにかしてぶっ潰したんだよ、あんた。もし本当なら、あんたがいる今は、それを乗り越えた先にあるんじゃない?」
光を、そしてそれを発する光源を、ぶっ潰す。五ヶ谷らしい表現だが、何となく伝わる。俺は、あの11月の日に、光源を壊したということになる。それは、本来なら不可能なことだ。
「で、あんたはこの過去に来てまで、変えたいものとか、そういうものはあるの? 織姫と彦星でも超えるのが困難な壁を超えて、何をしたい?」
「いや、特には」
「……拍子抜けだわ。もっとそういう機会を待ち望んでいる人はたくさんいるのに。ドアホ」
俺は、「だが」と言いながら立ち上がる。その声は、強さを秘めていた。そして、五ヶ谷に近づき、目の前に立った。さっきと違い、五ヶ谷の顔がよく見える。目と目が合う。レンズ越しのその瞳は、何かを見透かしているような、そんな気さえした。
「俺には、やり直すチャンスを与えられた。だからせめて、よりよく生きたい。できるだけ、ハッピーな結末に向かうように。……っていうの、どうだ」
これは、俺の意志表示。俺の成すべき、意思表示。
それを聞くと、五ヶ谷は、ニヤリと笑った。
「いい顔してんじゃん」
牛丼を食べたいです。