長いやつ⑧

なげーよばか

2016年7月13日



『ウオアアアアアアアアアアアアアアア!!』


 チャイムが鳴る。それと同時に、男たちは叫んだ。

 者共は勢いよく立ち上がり、それによって椅子が鈍い音をがなり立てて教室の床を擦った。その轟音が鳴り響いたかと思えば、クラスの男子は既に教室の外に駆け出していた。


「畜生! 乗り遅れた!」


 俺は焦った。これを逃すと、大変なことになる。

 大群に1歩遅ればせながら、俺は教室を飛び出す。上履きをすり減らしながら、俺は全速力で走った。廊下を走ってはいけません。

 ……人はなぜ走るのだろうか。過去からの逃避、未来への渇望、現在をより良いものにするため……などなどが挙がる気がするが、俺はそれらに対して異を唱えよう。


 人が走る理由、それは……


「購買が……売り切れてしまう!」


 飯を食べるためだ。


 臨海高校の購買は、美味い。

 地元でも有名なパン屋が主導で販売されているのだが、パンだけでなくおにぎりやカレー、うどん、そばなど、パン屋の範疇を超えた様々なメニューを備えている。そのすべてが絶品級。その辺のコンビニで弁当を買うくらいならコスパのいい購買を食えという文言が生徒手帳に記されている。もちろん嘘だ。

 俺の両親は、仕事の都合で家を空けている。所謂、単身赴任だ。だから実質一人暮らし。故に昼飯を自分で用意しなければならない(朝夕もそうなのだが)。ただ、料理をするのも億劫なので、いつも何かを買って済ませている。今日も例に漏れず昼飯を確保しなければならないのだ。

 大学生になってもこの昼飯獲得競争は続いていて、今度は学食レースになる。こちらは三ツ星とかが取れるんじゃないかっていうくらい絶品の料理が出てくる。俺が往く先々で飯が美味い故の獲得競争が起こる。幸せなことなのだが……結構な確率で飯にありつけないんです。

 購買コーナーに着く頃には、既に人混みでごった返していた。

 今日は厳しいか……? その光景に、思わず息を飲む。

 すると突然、背後を平手で叩かれた。じんわりと背中全体に広がる痛みを感じ、振り返る。そこには、丸坊主の男が弁当を携えていた。

 

「祐介じゃん。今日も購買か?」


 五十嵐誠也。同窓会で隣の席にいた、あのいけ好かない野郎だ。坊主頭に程よく焼けた肌、精悍な顔つき。現在の大学生・五十嵐誠也とは大きく違い、爽やかななスポーツ少年といった印象だ。大学は人を汚す。

 

「誠也……いきなり背中叩くのやめろって」


 悪い悪い、と大して申し訳なさそうな様子もなく、あっけらかんと謝り、彼も購買の人混みを見て、納得した様子で同情の笑みを浮かべる。


「今からあの中の飯を手に入れるのは至難の業だな」


「ああ……正直、今日飯にありつけるかわからん……」


「コンビニかなんかで買ってくるとかすればいいのに」


「……購買はお財布に優しい上に美味いんだ。もうコンビニ弁当には戻れないくらいにはな。だが……今日はもう厳しいかもしれないな」


この人の量だ、多分今日は飯を食えない。自販機のカロリーメイト辺りで済ませよう。俺は引き返そうとする。が、その肩を誠也に掴まれた。


「おいおい、諦めちまうのかよ」


「だって、この人の量だぜ? 無理だろう」


「諦めたら試合終了だ」


 彼の眼が鋭くなる。その表情は固く、俺に訴えかけるように、落ち着いた声色でそう言った。


「お前どっちかって言うとそのセリフを言われる立場だろ。あとバスケだしそれ。お前野球部だし」


「細かいこと気にすんな。

 なぁ祐介、かっこいい人間って、どんな奴だと思う?」


「かっこいい人間? さぁ。イケメンとか」


 急に何だ。真面目な話をするには、ここは少々場所が悪い気がするが。とりあえず思いついたかっこいい人間像を適当に答える。


「違うっつーの。……いいか、この世で一番かっこいい人間ってのはな、負けると解っていても勝負する奴だ。

 そういう覚悟を決めた奴が、一番かっこいいし、一番輝いてる」


「……なんか、良いこと言うな、お前」


「だから、ほら! 行ってこい! お前が飯を勝ち取る様を見せてくれよ!」


 誠也に励まされ、俺は再び購買コーナーの方を向く。すると、人混みの中に一箇所だけ、割り込めそうな隙間を見つける。……諦めるのはまだ早いみたいだな!


「ありがとう、誠也。俺、行ってくる! 」


 高校生に戻ってから、改めて誠也との関係性や出来事を思い出し、同窓会の時の彼には申し訳ない態度を取ってしまっていた、と反省している。野球部で忙しいながらも俺と遊ぶ時間を作ってくれて、何かと俺を気にかけてくれる。唯一無二の親友とも呼べる存在だったのに、俺はこの男の存在そのものを忘れていたのだ。

 色んなことを忘れていた。そして色んなことを思い出した。そして、思い出す度、心が少し痛んだ。

 この痛みは、忘れてしまった過去の代償。これを消し去ることは、多分できない。だからこそ、彼の言葉を素直に、真摯に、受け止めるべきだと思った。……多分、今までの自分だったら、ここで手を引く気がする。無理だとわかったら諦めるし、敗走するくらいなら戦わない。傷付くようなら、傷付く前に立ち去る。その方が楽なんだよ。その方が、平坦で歩きやすい道なんだ。

 だが、真っ平らな道を歩きたくて人生を生きていない。せっかくその人生を引き返してやり直しているんだ……今は素直に、かっこいいと思う方を選ぶぞ、誠也!



 栄養食を食べると口が乾く。パサパサしたプレーン味の、特徴のないブロック状のものが、口内の水分を持っていかれるからだ。それを天然水で流し込む。無味乾燥な味と、無色透明な水が喉を通り、腹に収まる。妙に腹に溜まるため、食事にはなっているが……。


「残念だったな、祐介」


「……やっぱり、敗走の味は虚しいぜ」


 まぁ、もちろん売り切れてましたよね。現実なんてそんなもんさ。

 購買で何も手に入れることが出来なかった俺は、自販機のカロリーメイトを購入し、誠也とふたりで屋上で昼食をとる事にした。

 この時間帯は、屋上の一角が日陰になっていて、真夏でも過ごしやすい。知る人ぞ知る穴場スポットだ。


「……おかず、わけてやるよ。中々かっこよかったぞ」


 誠也はそう言うと、弁当の唐揚げをくれた。「サンキュー」と礼を言いながら、唐揚げ口に放り込む。唐揚げといえば、「外はサクッと、中はジューシー」という表現がよく使われる。この唐揚げはまさにそんな風体で、弁当の唐揚げとは思えない仕上がりだ。


「なあ、祐介。今日の夜暇か?」


「どうした? 急に」


「メシでもどうだ?」

 

 誠也から思わぬ誘いが来た。


「……なんかあったのか?」


 改まって誘われることに違和感を覚えて、裏があるのではないかと思い、訊いた。


「いや、別に何もないさ。ただ今日は部活が無いんだ」


 誠也の表情が気になった。一瞬だが、陰っているように見えた。何もないと答えつつも、何かネガティブな事があったのだな、と察した。あまり掘り起こさないほうが良さそうだ。

 兎にも角にも、魅力的なお誘いだ。誠也から唐揚げを貰ったとはいえ、昼飯に満足しているとは到底言えない。


「そういうことなら、いいぞ。昼が貧相な分、夜はガッツリと食べたいところだ」


「そう来ると思ったぜ」


 誠也との外食。2週間前に一緒にラーメン屋に行ったばかりなのだけれど、俺にとっては昔の話のように思える。懐かしさすら感じる。今日はどこに行くのだろうか。

 

 と、夕飯の事を考えていると、腹の虫が低い音を立てて空腹を知らせた。


「……唐揚げ、もう一個食べるか?」


 夕飯まで持たんな……

牛丼を食べたいです。