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4年間の努力がたったひとことで報われた話。

自己主張できるの羨ましいって言われて、嬉しかった話。
少し前までは、誰かのためにやってあげることが求められてて、やってあげなきゃいけないと思い込んで、NOと言えなかった。
特段それは距離の近い人に対して行われてた。
家族や、恋人など。
もっとひどいことに、何も頼まれなくても、
あーはいはい私がやらなきゃいけないのねと
自分で自分をやりたくないことをやる人間にしていたりした。

こういう性格だと思い込んでいたが、違う。
こうするしかなかったのでやり始めて、癖になったのがスタートなのだ。


発端は親が家族の中の私にそういう役割を当てはめてただけで、まあその役割がまったく見当違いだったというだけの話。


だけどそれに気がつくのに26年もかかってしまった。
(家族はまだ気づいていない。妹が最近やっと気がつき始めた。)

元来わたしはまあまあすっとぼけた人間で
学校に携帯ではなく家電の子機を持っていったり、
玄関で靴を履くときに手荷物を床に置き、靴を履き終えたら手荷物を忘れたり、
上履きを持って帰るつもりで上履き袋だけ持って帰ったことも何度もある。


誰かに何かを求められてやってあげるのは、自分の余裕があるときだけでいいし、
自分がやりたくないなと思ったら、無理に応えなくていい。

だけど、家族と相性が良くない私はずっと、家族と相性が悪いのは自分の性格が悪いからだと思い込んでて、話が伝わらないなぁと思っては1人で泣き、自分を責めてた。


今ならわかる、私の性格が悪いんじゃなくて相性が悪いだけ。
それが、運の悪いことに血という争えないもので繋がっている人ってだけ。


親のことをそんな風に思う人は若いとか、恩が足りないとか、性格が悪いとかずっと言われてたけど、そういうことを言う人は大体、運良く親との相性がよかったんだと思う。
とても、幸運なことだと思う。


Noと自己主張はできるようになったけど、
それも、心がけるようになって4年経った。
まだまだ言えずにウジウジしてしまう時ももちろんある。
けど他人から自己主張できるのが羨ましいと言われた。
私はこれを褒め言葉として受け取ったので、とても嬉しかった。


※余談ですが
ちなみに私にこう言ってくれた人は
自分はみんなが1で出来ることを3かけないとできないと言っている。
3かけるからこそ見えてくる世界や、理解できる物事があると思うし、
それはいつかきっと、未来の彼をを救うだろうし、彼にしか救えない誰かがきっといるだろうなぁと感じている。
恥ずかしくて、本人には言えないので、こっそりとここに記しておくことにする。




わたしにはまだまだ、自分を幸せにするために出来るようになりたいことがある。

人生はやりたくないことをやるゲームではなくて
自分を幸せにするゲームなのに、26年間の癖で人間関係の築き方にも歪みがあることだ。

幼少期、人間関係において身近な人に理解してもらえない経験ばかりを積んでしまった。
けど、当時の解決策はその場に馴染むしかない。その家族に合わせて自分の形を変えるしかなかった。

やりたくないけど、やらなきゃいけないと思っていた期間が長いので人間関係も同じように捉えてるところがあって、

自分で選べる人間関係においても
相性の悪い人とどこまで上手くやっていけるかという人間関係の築き方をしてしまう。
友達や最たる例は恋人だ。

わざわざ進んで相性の悪い人を選んでしまう。
野球で例えると、ストライクゾーンのど真ん中ではなく、自分のストライクゾーンの外角ギリギリをついているような人間関係を築いてしまう。
怖いのは、これに途中まで本当に気がついていないこと。

元々、相性の良い人を選ぶことができればしなくていい苦労を、まだ買って出てしまっているのだ。

書いてて我ながら遠回りしてるなぁと思う。

これをなんとかしたい。
また長期戦になるのだろうなぁ。
26年間で得たスキルなのか、
それとも元々自分が望んでいるものなのか、
まだわかる時とわからない時がある。
また何年もかかるのかもしれない。
けど、気がついて、気をつけて、少しずつ前進するしかない。

人生は他人を幸せにするゲームじゃなくて
自分を幸せにするゲーム。

まだまだ旅は続く。



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