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私にはいい匂いのする方に進んでいく力がある!

完全に、自分に言い聞かせている状態だけど、
私にはいい匂いのする方に進んでいく力がある!
というか、最近やっと、そうできるようになってきた気がしている。

思考の癖なのだけれど、どうしても
自分が嫌だとか、やりたくないとか、もういらないとか
何かと決別した方がいいのに、辞め時がわからない。

幼き頃から、最後まで続けることが絶対条件で
そこに私の意志は関係なく、親の言う区切りのいいところまで
やり遂げさせられていたからなのだと思う。
兄や妹は途中で止めることを許されていたけど、私だけどうしてか許されなかった。多分、私にはお金がかかっていたのだと思う。
贅沢な奴だと思われるかもしれないが、完全に親の都合だった。
期待をしていてくれていたのだとも思う。

しかも理由があなたが自分で始めたいと言ったのだから、最後までやらないと許さない。
と、兄も妹も自分で始めたいと言ったのでは?と全く納得のできない理由だった。
上手くできなくても、自分で始めたいと言い出したと言われたら、逃げ場もなかった。上手くできないと親に見捨てられると思っていたから、できない自分が自分で許せず、泣きじゃくりながら何度も練習した。今思うと異常だったと思う。
親はこれを根性のあるやつと判断したみたいだけど、私としては、親に見捨てられるのが怖くて必死だった。
こういうすれ違いの連続って恐ろしい。もはやホラー。同じ現象なのに、見えているものが全く違う。しかも、会話でしか測れない。

お陰で一度始めると、どんなに嫌でも、やめられない癖がついてしまった。
今の私は大人で、何をしたいか、何を辞めたいか、自分で決めていいのに。
もう気持ちがないのに、続けることで、愚痴も多くなるし、当然そこから何かが向上することもない。
悪循環でしかない。けど辞められなかった。


これを繰り返している内に、自分が居たくない場所にどれだけいられるかが自分のアイデンティティーのようになってきてしまった。
つまり自分の人生がどれだけ我慢できるかによって決まることになる。
文字にしてて辛くなってきた。(笑)

けど、このままだとずっと良くないままだなと、感じていた。
何かがおかしいと思っていた。


まず、自分が何が好きで、何が嫌いか、自分の中から出てくる自分の声を聞き逃さないように耳を澄ました。
そしたら、だんだんと好きなものが好きだと言えるようになった。
他の人からしたら、こんなの当たり前だと思うんだけど、私には大きな一歩だ。

2年前から英語の勉強を始めた。
小学校のころからなんとなく好きだったけど、いまいち頑張り方がわからずにいた。
だけど、2年前、英語の勉強を始めてから、先生を通じて海外の友達とも交流するようになったり、ひとりでイタリアに行ったり、反対に日本で海外の友達を迎えたりするまでになった。

英語をもっと話せるようになりたいと思うのは、英語を勉強する中で出会った人たちのことが好きだからだ。その人たちの前では我慢したり、マイナス面が出てる自分が出てこない。
いつしか自分の居場所の一つになっていると最近感じている。


人生我慢選手権にエントリーしていた人間が、少しずつ自分のすきとか、やりたいとかって気持ちを叶えて行ったら、ちゃんといい匂いのする方に進んでいけるようになってきている。


こっちが自分にとっていい匂いだよねと気が付くのが第一歩で
いい匂いのする方に遠回りせずに一歩踏み出す。これが二歩目。
三歩目が何かはまだわからないけど、
よちよち歩きで、今日もまた進む。





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