道端

今日は朝から掃除に洗濯、絶好の家事日和だった。(夜からは雨)
突然の睡魔に追われ昼寝をしたが、仲良しの先輩と会う予定があったのでちゃんと服を着て、化粧をする。そんなに気合いをいれたい気分ではないけど、こだわりたい思いをブラックに託した全身黒の服。そして最後にイヤリングを選ぶ。鉄製の白い花のレトロなものをチョイス、今日の主役は君だ!そんな気持ちで出かける。

駅で待ちあわせ、ファミレスに入店。先輩との時間は濃密で、過去のことから最近のことから未来のことまで、あれこれ話した。人と話すのは楽しい、新しい視界が開けるし、同じ気持ちを共有できるとホッとする。そして今すぐに、色々つくらんと、アカ〜ン!!!という気持ちになった。(日々の意識的な意味もあるが、今回はデッドライン的な意味で)あれよあれよと時間はすぎて、気づけば5時間が経っていた。退店すると雨が降った名残が。楽しかった気持ちを胸に、先輩と別れる。

私は帰宅するにあたり、せねばならぬことがあった。ファミレスに入ってすぐ、私は右耳にあったはずのイヤリングが無くなっていることに気づいたのだ。身の回りや店内は探したがなかった。おそらくここに来る途中歩きながら、どこかで落としたんだろう。内心しょげていた。悲しい。見つかるかな。帰り道に賭けるしかない。念のため、駅の案内所に行きイヤリングが届いていないか聞くが無いという。

少しばかりの雨と共に、来た時と同じ線路沿いを歩く。

携帯のライトをオンにして、照らしながら歩く道は、雨に濡れて白く光る。白いイヤリングを落として探すにはワーストタイミングである。
駅から私の家までは20分弱の距離、果てしないぞと思いながらも下を向きながら歩く。

私はイヤリングが好きだ。もともと様々な事柄に関してレトロなものが好きで、イヤリングも例に漏れず古いものを集めている。ピアスはあけていない。リサイクルショップを見て回る限りやはりピアスは新しい概念だったようで、古くて素敵なものはだいたいイヤリングなのだ。お金をかけて開けるのも面倒だし、痛いのもちょっと怖いし、レトロなものはイヤリングのほうが多いしの三点セットの理由づけで私は一生ピアスをあけない気がする。

落としたイヤリングは、アメリカのアンティークショップで¢50で買ったものだった。籠に山盛りのイヤリングやブレスレットや。値段がついていないのでいくらかなあと思っていると、全て¢50で良いというので片っ端から吟味して買ったうちの一つだ。特別な思い入れがあったわけではないが、今日初めて着けて出かけたから、少し気持ちが跳ねていた。イヤリングは、ピアスよりも落ちやすいからな、そこがデメリットだよなあと思いながら、やはり寂しい気持ちになっていた。

駅からの道を、ずっと下を向きながら歩くのは初めてだった。白いものをみつけると、少し期待するが大抵はタバコの吸い殻である。タバコをポイ捨てする現場をリアルタイムで見つけると、捨てた人が去ってからも見続けてしまう。たまに煙が消えないままのものを見ると、むかむかとした気持ちを覚える。

道草、砂利、石ころ、何かの破片、プルタブ。うんうん、イヤリングは見つからず最後から二番目のコーナーを曲がる。

見つけてどきっとしたのは赤いガラスのかけら。透き通っていて、綺麗な赤。ここが海なら確実に拾っていただろうと思いつつ見過ごす。

地面を舐めるように左右に照らしながら歩いていると梅の花びらたちに出会う。ということは…上を見上げるとそこには白い花をつけた梅の木があった。頭上を見ずとも、地面を見れば上に何があるかわかる。これは面白い落としものだぞ、すごい発見だ!とワクっとした。(この気持ちを残しておきたくて、いまnoteを書いています)春が近づいている。

最終コーナーにさしかかる。家まであと3分くらい。イヤリングは見つからない。自らの動きを振り返ると、①家を出る前に鏡を見て確認し、②玄関を出て、③イヤフォンをつけ、④歩いて、⑤駅に到着してイヤフォンを外し、⑥先輩と落ち合う、が主な往路の流れである。一番怪しいのは③と⑤。⑤をした駅付近にないとすると、やはり③をした家の付近か…?いやでも玄関の前に落ちているかもしれない、それとも暗い中見落としたか…?
「イヤリング落とすってほんと毎回ショックなんだよなあ〜」「いいんです、¢50だし。」「いや、そんなことはない。売値=気に入っている度合いではないのだ!」「まあでも正直みつからなさそう。」「ていうか見つかったら面白くない?」「諦めない。サイゼリヤの間違い探しも諦めないことに定評があるので。」「ちょっと探すこと自体に意味を見出しているだろ。」
いろんな声が聞こえてくる。どれも私の声だ。


角を曲がりきったところで、何やら光る円形のものが目に入る。

「あれは!!!」「「「あった!イヤリングだ!!!!」」」


雨に濡れ、さらには少しばかり立体感のあった白い花は、車に轢かれたのであろう、ぺちゃんこになっていた。後ろの金具部分が横向きに変形しているので、力を加えてみるとほとんど元の状態に戻った。まだ使える。潰れたときにすられた傷が灰の金属色を覗かせているが、思い出が増えたと思えばよいのである。

見つかったことの喜びはもちろんだが、いつもの道を違う視点で通るのって楽しいなと思った。タバコは思った以上に捨てられていてしゅんとしたけれど、梅の花に助けられた。
いつもこの線路沿いの道は平坦でつまらない部分が多かったけれど、たまには今日みたいに落としものをした気分でまた歩いてみようかなと思った。(実際に落とすのは気が進みません。)







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