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わかったこと

久しぶりに長い文章を書きます。

卒業研究が終わってからやっと、自分が何を知りたいのかわかった。

例えば、初めてきたけど懐かしいような雰囲気の街に出た瞬間に、歩きながら、わ〜、って、じわりと心の中に現れるアレの正体は何か?

特定なモノに対して抱く感情ではないことは確かであり、「アレ」の対象が何かといえば、私と、この街と、包む空気を含んでいる。
好き?綺麗?ノスタルジー? どの言葉でも表せる気がしないし、絵にも描けないほわっとしたもの。

単語に当てはめたり、何か描こうとした瞬間に、魚のようにするっと手をすり抜けていなくなる感覚である。

これは、表現をするということが、メディアというカタに入れる行為であるからだと思う。天気とか、街並みとか、私の機嫌とか、前後のストーリーとか、色々な条件が重なって現れたあの時の気分が、みんながわかるカタチにピッタリとはめれるるわけがない。つまり、

「表現として体の外に出すと、その前に心の中にあったコトが変容してしまう、もしくは失われてしまう」
「そんな、体の中に一瞬現れた表象を、変えたり、無くしたりせずに見てみたい」

これまで絵を描いたり、文章にしてみたり、短歌にしてみたり、何をやっても、全てを表せていないようでもやもやしていた。
だって、アレは、一瞬で忘れてしまうのだ。表現しているその瞬間にどんどんなくなっていく。

でも、表現はしないと、それこそ、本当に何もなかったことになってしまう。表現物という記憶の鍵は必要だ。


卒業研究でコラージュをやって、「体の中に一瞬現れた表象」に近づくために何やら大事そうな要素が少しわかった。
①素早く表現する
思い浮かんではすぐ消える情感は、サッサっと、わんこそばみたいな速度で表現しなければ。
②ぼやっとさせておく
どうやら、カタチにした途端に偽物になってしまう。そうなるくらいなら、一目でわからなくても、心の中に仕舞い込まれたアレを呼び出す鍵がある方がいい。

先ほどから、「体の中に一瞬現れた表象」とか「アレ」とか表現がバラバラになっているけど、実際私はあれをなんと呼べばいいかわからない。とにかく一瞬で心の中に広がって消えていくほわっとした何かである。

ロラン・バルトの『明るい部屋』での一節が印象的だった。彼は、写真を見たときに、わたしたちが持つ印象として、単なる関心ではなく、写真の方から突き刺してくるような名指すことのできない感覚をこのように言っている。


「私が名指すことができるものは、事実上、私を突き刺すことができないのだ。名指すことができないということは、乱れを表す良い兆候である。」
「…しかし私は、なぜ引きつけられるのか、言いかえれば、どこに引きつけられるのかを言うことができない」

明るい部屋 より

名指すことができないと言うことは、カタチにすることができないと言うことであり、そんなコトこそが「乱れ」をもたらす。心を揺らすのである。
なんだこの感じ!知らない!けどなんかやばい!みたいな。表現できない!けどしないと!と言う焦りみたいなものが私の研究の根源1である。矛盾だらけだけど、それが本心。


次の話に移ろうと思う。私の研究の根源2。

表現できないコトを表現したい、と言うきもちは記録をしたい、残したいということであるけど、それと同時にあるのが、あの「体の中に一瞬現れた表象」を、そっくりそのまま誰かに伝えたい、できればおんなじ気持ちになってほしいと言う気持ちである。
自分中心すぎて恥ずかしい…。
そして、結論として、それは、たぶん無理だ。

また、『明るい部屋』の引用をします。

「温室の写真」をここに掲げることはできない。それは私にとってしか存在しないのである。読者にとっては、それは関心=差異のない一枚の写真《任意のもの》の何千という表われの一つにすぎないであろう。…時代や衣装や撮影効果がせいぜい読者のストゥディウムをかきたてるかもしれぬが、しかし読者にとってはその写真はいかなる心の傷もないのである。

明るい部屋 より

※「温室の写真」→筆者の思い入れが深い写真
※ストゥディウム→一般的関心。

人の価値観は、その人が今まで重ねてきた経験でできている。重ねてきた経験が同じな人など存在しない。「家族でディズニーランドに行った」と言う、こう書けばおなじ経験をした2人の人がいても、それが良い思い出か悪い思い出か違うかもだし、あの乗り物がどれくらい楽しかったか/怖かったかも違うかも。


重ねた経験が違えばどんなコトに価値を見出すかは異なる。


しかし、「共感」と言う概念があることは忘れない。
経験や、価値観がぴったり同じじゃないとしても、「わかるー」とか思えることもあるのだ。

それは、「換喩的に」捉えるからである。(表現があっているかわからない)
私が何か経験を語ったとき、受け手は、自らの経験をもとに解釈して、勝手に共感を呼び起こす。

例えば、
私「散歩してたら偶然入った店でこんな面白い言葉のハンコを見つけて嬉しかったです」
相手「良いですね、僕もよく散歩をします。ハンコじゃないけれど、店の店名が入った紙袋を持っている人がいて、その店名からどんな店か想像したりしたことがある」
2人「にっこり」
と言う感じに。。。

完全に分かりあうことはないにしても、こういう感じでニッコリできるコミュニケーションを作れるのなら嬉しい。


そしてこないだのゼミで「アジール」という言葉が気になった。逃げ場。

卒業研究ではまず最初に旅行をしたいと思い立ったんだけど、私の旅行の目的もほぼ、現実のタスクと人間関係などの忙しさ、騒がしさからの逃避である。

だから私のデザインで人に役に立つなら、いそがしすぎる日々と忙しすぎる心の逃げ場みたいな、穏やかになれる場所(時間)作りがしたい気がする。
実際コラージュは心理療法でも使われるようだし何かないかな。


終わり


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