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内省 川のキラキラ編 (田仲)

田仲麻友です。
この前学校にきたら川がちらちらキラキラしていて、あ、凍ってたのに、気づいたら流れてる…春だ!とおもいました。

まずは、先生がつくってくれた内省のための問いを考えてみます。
長すぎたので、ふたつにわけます。
めちゃくちゃダラダラかいてしまって、恥ずかしいです。


⭐︎私がやりたいことってなんだろう?すきなことってなんだろう?

→すきなもの、こと…
旅行、住宅街を歩くこと、喫茶店、お笑いとテレビ、エッセイ、イルカ、ふざけること、食べ過ぎて苦しくなっている人を見ること、小さい出来事を話すこと、こうやって考えたことを文字にすること

会話のスピードについていくのは難しくて、瞬時に気持ちを言葉に変えて話すのが苦手なので、昔からそのモヤモヤを文字にして満足していたと思う。

旅行をしていても、何もないところを歩くのが好きで、だから住宅街も好きです。
🏘🏘🏘
住宅街で、人々の暮らしに紛れて歩くのは不思議な安心と、少しのドキドキがある。

なんとなく、その時、1番自分の心が正しいところにあると感じます。

静かでありふれた景色の中でおこる少しの自分の心の動きを一つ一つしっかりみとめているような感じになれるきがする。

この前用事で知らない住宅街まできたら、工業地帯ぽさが至る所にあって良かった。

あと、ちいさい出来事を話すことが好き というのは、例えば、

・真冬に帽子、手袋、マフラーつけてすごい防寒してアイスたべてる女の子がいた
・寝癖がすごい人がいた
・真っ赤なセーターを着てキックボードを蹴りながらバス停を通り過ぎていった小学生がかっこよかった
・本気で鬼ごっこしてる親子を見た

みたいな話です。私はこう言うちいさい話が大好きで、それを友達と共有できると幸せだなと思います。


結局、ささいなことをゆっくり静かに考えたり妄想したりするが楽しくて、旅行も散歩も喫茶店も絵を描くのもそのためのものだなと気づきはじめた

これは忙しく移り変わる日々と心と人々とから逃げている行動だと自覚しています。


やりたいことと言ったらはっきりしたことはあんまりなくて、自分が歩いてていいなあと思ったことを書き留めて、なんらかの表現でひとに伝えたいということくらいです。

でも、とりあえず、いろんなところに行きたい!👟
旅行では毎回たくさんの大切なエピソードができる。

ちかくでもバス適当に降りて歩いてみるのとか絶対楽しい!

それいい根!では、散歩は市民とデザインの学びの間にある壁をなくしてくれる言葉だと気づいた。むずかしそう…と言ってた人も、散歩の話をすると一気に聞いてくれるようになる。
研究するならたくさんの人に伝わってほしいので、それも散歩の魅力的な要素だと思う。


あとは、本を作りたい。 本は触れるし、めくるのが良いし、収まりが良くて、自分の棚に置けるから好きです。
特に写真集と短歌とか詩集が好き(読むより、見る方の本)。

本をみるのは、じっくり考えながら自分のペースでながめると言う、さっき言ってた私が好きなことにも合っています。

それでいうと本をながめるのは散歩とか旅行とかに似てるなあ!

(↑を書いた後に知ったけど、『ワールドブックデザイン』(グラフィック社)の中のあるインタビューによると、本は、情報の空間デザインらしい。本は、最初に最後のページをのぞきにいくこともあるし、途中でいきなり違うページをみにいくこともある。それはまるで部屋をうろうろしているよう。ソファに座ったり、おなかがすいて冷蔵庫を見に行ったり… 

私が感覚的にもっていた印象は、意外とあっていたのかもしれない。)


自分も、旅とか散歩ができる本を作れないかなと今思いました。


⭐︎それをやりたいと思ったきっかけとなるデザイン経験はなんだっけ?

→自分が、ささいなことが好きだということは、大学生になって、時間と心に余裕ができてからわかった。
始まりは多分、俵万智さんの歌集『サラダ記念日』。短歌は、なんでもないことがうつくしいことだと教えてくれる。
当時市の図書館によく(昼寝しに)行っていて、爆睡しているお爺様👴たちに囲まれながら、ページを巡り、すごく新鮮にドキドキしたことを思い出す。

(あと、江國香織さんの『とるにたらないものもの』と言うエッセイも、この時期に読んで私の「ささいなものこそ最高!思想」をつくったもののひとつです。オススメします)

あとは、最近すごく思い出す、ミックスジュースの記憶があって、
小学生のころ、放課後毎日のようにおばあちゃんが(経営してる)食堂の横にあった自販機の缶のミックスジュースを買ってくれた。私はひんやりしたミックスジュースが大好きだったけど、それより"すっかり日常に馴染んでいながら、でも確かにじんわり嬉しい"体験が今になってキラキラしてきた。

これは書くまでもない話だと思うけど、なんとなく好きな記憶なので書きました。

あれ、また飲みたいけど、調べてもどのパッケージもピンとこないから、デザイン変えちゃったのかもしれない。少し太めの缶だった気がする。

🍑🍎🍌🥝


そんなことを根っこにして、このゼミに入ってからランブリングをして、普段は気づかないくらいささいな何かのおもしろさを発見することがどれだけ楽しいことかということを意識し始めた。 

メモしたあと省察ノートにまとめることで、発見した面白いものたちのほかに、それに対しての自分の感動や、どんなことが気になるのか、とかもわかった。

いままで自分が何となくして何となく嬉しかったことが、ゼミでやることで何となくじゃなくなった。

⭐︎そのデザイン経験で学んだこと、あったかな?

散歩は、おもしろいものを拾いながら、妄想したりしながらあるくのが楽しいけど、デザインの学びとしてはそれで終わりじゃないんだということにきづいた。

①はんこ屋にいってはんこを買う。
②色々妄想する。
→クロールって、プール教室とかで使うのかな。
ロビンソンってスピッツの歌?素敵!
③作品を使ってみせる。話す。
→はんこのしらなかったストーリーを知る。はんこやのおじさんがどんな人なのか知る。
④以前の私たちのように、はんこのことを知らない人につたえる。
→ロビンソンは百貨店の名前だった!
わたしのように散歩を自分のやり方で楽しんでいる、ごきげんなおじさんに出会った。話が弾んだ!

いつものわたしは何かいいものをみつけたら色々考えを巡らせてにやにやするだけだけど、ゼミではデザインの活動として、そのものの面白さと自分のもっている何かを掛け合わせてなにかつくったり、人と関わりあったりした。

そこで見えてきたのは、大体のことは妄想と違うということ。あたりまえだけど、それぞれにそれぞれの時間の流れかたがある。
そして、違うことがなんか嬉しいということ。 

じっとみて、向き合うと、ささいなものたちの、ささいな物語が見えてきた。
わかったようなふりして歩いているけど、わかっていることなんてなくて、
ハンコ屋さんには入ったことすらなかったし、ヘメロカリスの花はみたことすらなかったし、コーヒーと牛乳しかない喫茶店があることも知らなかった(これは大阪一人旅で入った喫茶店)。ちゃんとじっと見ないといけない。

わたしは、見つけたものたちに、私とは無関係に流れていったしらなかった物語や歴史があると知った時、そのものたちが急にいきいきして、かがやきだして見える

と、展示の後に気づいた。

そして、展示で、私と"散歩好き"以外の全てがちがって、いままで全く無関係だったけど、なにか通じ合うものを感じたおじさんに出会えたのも嬉しかった。全然違うのに、おもしろいものをみたときのいきいきした話し方や表情がシンクロしていた感覚は今も思い出せる。 

結局、すごいねって言われるとか役にたつとか、そういうことより、共感してほしいのかも



世界にあふれるあらゆるものの時間は、私とは無関係に流れていて、
わたしが寝ているときにも川が流れるように、あらゆるものとわたしはべつべつに生きている。
けれどふと気づいて川をみるとキラキラと水面が揺れている。そういうことにいつもちゃんとすこし感動できると嬉しい。





  💭
 🐟           ☺️

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