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内省 猫とピロシキの函館編

学校に行くと春には新しかった緑の色が、深く強く、あおくなっていて、おー、と思って何回も写真を撮るんだけど、唖然として、私のiPhoneのカメラは割れている。

本題には関係ないけど、スマホには本当に人が出ますね。カメラも画面も割れているのを放置している私は、想像のとおり、歯医者に全然行かない人間です。それで普通に痛い目を見ています。

自分のためにやりたい


 話は変わって 今回は函館に行って実践①が終わったので、それを思い出そう!です。でもまず、自分の中で整理したいことができたので、それを先に。

この前、卒研もまだまだなのに、院のための研究計画書を書いたら、なんだか、なんだか…❓という感じになってしまいました。
なんというか、自分が楽しいなと思ってやってる研究未満のものを、勉強ぽくしようと思うと、自分から離れて行ってしまう。

わたしがこの、旅の中で「ささいなこと」をあつめた本をつくる、ということをやるのは、完全に自分のためです

自分が旅した中の、小さな出来事をまとめて残して、見返したい。
それをみて他の人がいいことあったじゃん!と思ってくれたらいいな。というくらい

なのに、勉強ぽくしようと思って色々考えていくと、消えてしまう地域の文化を遺す…とか。
もちろん、そうなればいいなとは思っているんだけど、一番の目的はまずは私の旅の記録を残すためなんだよ、と、ここで確認したい。(正直殻に閉じこもってる感はあるね。)
何か面白いことがあってSNSに書いても、カメラロールに保存しても、それだって日々が経てば新しいものたちに埋もれていく運命で、それを小さくまとめる専用の媒体ができたら、いつでも見返せて、その旅をまたなぞることができる、いいね!っていうことだ。

【函館】

函館は楽しかった
変な出来事がたくさんあったし、好きな食べ物にピロシキが追加された。
やはり旅って新しいことがたくさん飛び込んできて楽しい。
そして、旅先で、滞在中に本を作るというワクワク計画をちゃんと実行できて自分がエライなと思えました。
まず、つくってみての学びをふりかえります。


鮮度はやはり軸かもしれない
プレゼミでの省察ノートで私は鮮度にこだわっていたことがわかった。見つけた時の強い印象を表す。擬音でまとめてみたり、事象より気持ちを強く描いてたり、下書きなしでばーっと書いて見たり。感覚で動きたいというところがあります。

それが、今回の「滞在中に綴じる」にはすごくあっていたというか、活かされていたと思う。
ささいな話は、ささいであるが故に、何日もして冷静になってから考えてみると「あれ?なんかどうでもよくない?」「ここは余計だから削るか」ってなってしまいがちなんです。あと、普通に忘れるのが大概…
滞在中に綴じる本は、そういうところも取りこぼさず、勢いのままに、自分の中の「面白いことあったぞー!」というワクワクの勢いを体現したようなものになれると思いました。

作る時は、こだわりをもちながらも、結構何も考えず雑にやりました。とりあえず雑誌破いてみる、とりあえず印刷した文字適当に切る。
でも貼ったらいい感じ🎶
雑さは悪いことだと言われるけど、私は結構いいこともあるんじゃないかなと思います。いや、勢いのまま表現をするけど、旅でメモを取ったり、ホテルでエピソードをひとつずつ思い出したりする作業をすることを考えれば、普通の旅よりも全然丁寧か。

②マジ、大変!
思ったより大変だった。文字や写真の印刷も手間だし(でも、アナログで書くよりは消したり、大きさの調整がしやすいのでそこはよかった)、雑誌の切り貼りをこだわっちゃうとなかなか終わらない。旅で気軽にできるものではない!どうすればもっと気楽なものになるんだろう。そもそもなぜ気楽に作りたいんだ?
それもやはり自分がやっていく上でしんどいと思いたくはないし、わたしはしんどいならやらない人間なので、、。あとは、人がすぐ真似できるくらいのものであって欲しい。他の人にも、旅を本で残したらささいな記憶に愛着がわくという、私と同じ感覚を感じて欲しい。
ということで、改善必須です。

③単純に嬉しい
ささいな記憶に愛着がわく、とさっき書いたけど、本当にそうで、どんどんそのちいさな話が好きになるし、人に見せたくなる。いいでしょうこんな旅!って感じに自慢したくなる。
「本っぽい」のができるとなんだか自分もやるじゃんという気持ちになれる。
レシートっていうのもよかった。サイズ感が手頃で素敵。でも小さい故にめちゃくちゃ書き込みにくい。


いかの船


【合同ゼミ】

この前の合同ゼミたのしかった〜
みなさんに興味を持ってもらえたのが嬉しい。
そこで得た学び。

①本あると話せる
この本を見て、「この話好き!」と言ってくれたら、わたしはそれについてもっと具体的に話すみたいなことを自然とします。そうするとまた相手も反応してくれる。
私話すのが得意ではないけど(まず自分の言いたいことを忘れてしまうし)、本があると、すごく話やすくていい!
人気ナンバーワン話は、奥歯の少年。
それこそ、すれ違う時の一瞬聞こえた会話と様子のすごくささいな話なので、それがウケたのが、この本の意味を感じた。

②表現方法どうしよう 
•たくさん刷る?唯一のものにする?

雑誌のコラージュと、イラストの違うところは、
雑誌のコラージュはより直感的に思い描いているもののイメージを切り取ったり組み合わせることができる。ということ。
絵が描けなくてもできるし、ページをバラバラめくって、あ、これだ、と思ったものを適当にちぎって、大きく貼ったり小さくしたりしながら画面をつくるのが、さっきも書いた「鮮度」を表現できると思う。
でもこれは、同じものは二度と作れない。
だからプリントアウトして配ったんだけど、
「田仲さんは本のモノの側面を大事にしているよね」「なら、この旅の質感(手触り)というのも大事なのでは」というような意見をもらった。
確かに…!
本って、ランダムにその場所に訪れるランダムな人が手に取ることが魅力だと思うし、旅の”お土産”的な感じに配りたいなあと思っていた。
でも私が本をものとして大事に思っているのは本当だ。あと先生の、"偶然出てきた海外のレシートの手触りが日本と違った"というエピソードがすごく面白くて、旅の記録という面でも、やはり手触りは重要な気がしている。困りました!

•コラージュじゃなくても
版画は?という意見をもらった。
わたしは版画が苦手だ… 思い通りに行かなくてすごく手を怪我する…
でも、ハンコ的なものがあるのはいいな、
タイトルとかをハンコにするのは結構ありかもしれない。
原本を印刷するけどタイトルはハンコ、みたいに、コピーと組み合わせるのも良いかな。
色々試したいという気がする。
とにかく私は先のことを考えるのがすごく苦手なので、とりあえずやってみないとなあ、と思っているところです。

③どこに置く?
本を作るだけで終わるんじゃなくて、それによって人の関わりがどうなるのか?
それをわたしはどこからみるのか。どこから参加するのか。
「銭湯」というのはすごく魅力的だった!
なぜなら、私は銭湯が好きだからです。
風呂上がりのだらーっとしてるときに見てもらえるのは結構理想的でもある。
問題は、どうやって、どこに?ということ…、
何の繋がりもない銭湯にお願いするなんて、私には結構ハードルが高いことだ。
「回覧板」っていうのも良かった。
それこそ、銭湯でもそうだけど、自由に回し読みして、自然に人に回っていくような感じは素敵だ。
そうなると長期戦になるのもあり、何がどう変わるのか、何も予想がつかない!何も起こらないかもしれない!どうやってその回っていく様子を見守ればいいんだという怖さがある。
つくるのは試行錯誤していいものにできるけれど、そこに人が関わるとなると、難しいことが多いなあ。私は暗い人間なので人との接し方も心配の一つ。


どつく前

なんか暗い感じになってしまったので、さっき気づいたことをかいておわります。

なんというか 市民にデザインっぽいものをいきなり見せると、そういうのに普段触れてない人は反応に困るという様子も見られます。
さいとうさんのところにはじめにパタグラをもって突撃したときも、今思えばそんな感じでした。
展示会でもやはり「難しそうで…」という感想の方はいました。

でも、函館で気づいたことがあって、
猫の前ではみんな同じく話すことができる。
猫が目の前にいると、地域のおばさんは「いつも家の前に来るから餌あげるのよ」「この猫は親子なの」というし、私はそれを聞いて「とても綺麗な模様ですねえ」という。
「猫すきなの?」「好きです」「来る途中にも沢山いたでしょう」「もうたくさんみました!」「旅行で来たの?」…
猫を前にすると、自然と会話できるし、別に会話しなくてもいいという空気があるし、猫ってすごい。

猫くらいの自然な存在の本が作れたら理想だな、と思いました。

親子

さよなら〜👵🍚🐈🐈🐈


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