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僕ら、世界を変えたかったんだ。

自分の人生で誰かの人生を救いたいと思っていた。
救えるのもだと思っていた。変わらなかった世界を嘆いた。

これは、私の挫折と苦しみ。それでいて、必死に生きていた証を残すための話。


* * 

ある年の四月。高校初日。
真新しい制服を身にまとい、高鳴る胸、きらきらの高校生活!……とは考えておらず。
小中の知り合いが全くいない高校を選んだものだから、 人見知りの私が上手く馴染めるかの心配ばかりしていた。結局、高校デビューをする気もなく、変わらずのまま、ありのままの自分で入学。

爆裂に緊張と人見知りをかましていたので、やはり染めなかった。
でも、優しい子たちが一人でご飯を食べていた私を見かねて、声をかけてくれ、一緒にお昼を過ごした。その子たちは所謂、陽キャに属する子たちだったので、陰キャの私は遠慮しすぎていつの間にか話さなくなってしまった。けど、あの時の優しさはずっと覚えている。本当にありがとう。

そんな私が、人と関わったり、友達ができたりしたきっかけは部活だった。最初は、高校では珍しい特殊な部活動(詳しく言うと身バレしそうなので伏せておく)に入ろうと考えていたが、演劇部に入ることに決めた。

理由は新歓公演に強く惹かれたから。 オムニバス形式の一時間公演。 今自分たちができること、やりたいことを表現していて、私もこの舞台に立ってみたいと、そう思った。
部活に入りたての頃も緊張と人見知りはあった。しかし、やっていたゲームが一緒だったり、同じ部活に属するものとして、どんどん仲良くなったし、一緒に遊びに出かけたりもした。みんなオタク気質だったから、打ち解けるのも早く、ここでようやく友達ができた気がする。

演劇の経験はまったくなく、舞台に立ちたいとは思ったものの、最初は裏方にまわろうと考えていた。が、基礎体力づくり、エチュードや軽い台本読み、それらを重ねて、やはり舞台に立ちたいという気持ちが強くなり、最初で最後のつもりで、秋の大会の役者のオーディションを受けることに決めた。

高校演劇には大会があって、秋と春の二回。秋の大会は地区大会から全国大会まで予選があって、春の大会は、予選はなく、一日に四〜五校の発表後、次の日に最優秀賞などが表彰されるというのが一週間ほど続く。
ガチガチの大会が行われるのが秋で、春の大会はどちらかというと演劇のお祭りだ。

どちらも全力で取り組むが、全国大会に繋がる秋の 大会のほうが盛り上がるし、気合も入る。全国大会に行ける高校は、ほんの一握りしかいない。自分が通っていた高校の演劇部は、なかなか結果を出せず、いつも地区大会止まりだった。

そんな秋の大会のオーディション。記述の通り、演劇経験はまったくないから、絶対受からないだろうなぁと思っていた。でも、やるからには全力で。今の自分にできる精一杯をぶつけた。緊張したけど、演じるのが楽しい気持ちのほうが強かった気がする。

数日後。演出を担当する先輩から、結果が部員全員に伝えられる。
そしたらなんと、受かったのだ。びっくりと、私でいいのかという戸惑いと、舞台に立てるんだという喜びが一気に来た。
四姉妹の末っ子の役。 クールでちょっぴり反抗期の中学生の役だった。

全部が初めての経験で、壁にぶつかったりもしたけど、自分ではない誰かを演じるのも、先輩と同級生と一つの作品を作り上げるのも楽しく、尊くて。振り返れば、日々はすごくきらきらしていたと思う。

迎えた地区大会の日。一回戦だ。経験したことのない緊張が私を襲う。
セリフ、動き、タイミング、忘れないように。何度も口に出して、頭の中で反芻を繰り返す。
そして幕が上がる。最初の登場はほんの数分。緊張なのか、わくわくなのかわからないけど、ずっと胸が高鳴っていた。一回目の出番を終え、袖に戻った時、先輩がグーサインを出してくれた。それがたまらなく嬉しくてずっと覚えている。そこで安心したのが、落ち着いて最後までやりきることができた。自分で言うのもなんだが、すごくいいものを披露することができたと思う。

あっという間に結果発表。 その日のうちに結果が出るので、一日緊張しっぱなし。
結果は……一回戦突破!まだまだ改善点はあるけど、全員が一体となって創り上げていると審査員の方にお褒めいただいた。高校としては快挙であり、全員で大喜びをした。外で騒いでいたら、大会運営に携わっている他校の先生にめちゃくちゃ怒られた。その瞬間だけシュンとしたけど、それを跳ね飛ばすぐらいめちゃくちゃ嬉しかったのだ。

二回戦はさらにハイレベルな闘いだった。本当に同じ高校生なのだろうかと思うぐらい、どこの高校も素晴らしかった。壁は高く、突破はできず。それでも次点をいただいたのは嬉しかった。悔しさや、終わってしまう寂しさもあったが、どこか解放感もあった。私たちはあと一歩だったのだと、自信にも繋がった。


時は過ぎ、春の大会の準備が進む日々。私はまたしても、オーディションを受け、役をもらえた。ざっくりいうと、死後の世界のクールな上司の役。ずっとクールな役ばかりしているな。

秋の大会とは比べ物にならないぐらいめちゃくちゃ悩んだ。役をもらえたのは嬉しかったけど、自分自身と上手く重ね合わせられない。それでも、先輩や同級生が、みなもにしかできない役だと思う、と何度も繰り返し伝えてくれたから、それに応えたいと気合いを入れ、いろんな人に相談しながら取り組んだ。

結果は、優秀賞などはいただけなかったものの、観てくださった方々にはすこぶる好評で。でも、個人的にはかなり悔いが残る立ち回りをしてしまった。一回きりの公演で、もう二度と披露することはないと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。ただ、それを言うのは野暮だと思い、称賛をありがたく受け取った。

春の大会後、一年間共に過ごしてきた高二の先輩は部活を卒業する。受験などの兼ね合いで、二年間しか在籍できないのだ。ということは、自分たちの代から部長が選出されるわけで。
公演後、先輩方が前もって話し合って決めた部長、副部長の引継ぎ式が始まった。
度々部員に寄り添っていたあの子が、部長になるんだろうなぁと勝手に思っていた。私は選出されるわけがないと油断していたその時。私たち演劇部の引継ぎ式の伝統であるぷっちょ(部長とぷっちょをかけている)が目の前に差し出され、

部長は、みなもで!

と言われた。
公演後に色々考えていたこととか、私が!?という驚きとか、心配とか、でもちょっぴり嬉しいとか、人ってこんなに一気にいろんな感情に襲われることあるんだと思うぐらいぐちゃぐちゃになって、めちゃくちゃに泣いた。
はたから見たら、喜んでいるように見えたのだろうか。でも不安が大半を占めていて、どうしたらいいんだとずっと考えていた。
日々を闘う覚悟は、まだ決まってないけど。それでもやるしかない。
ぐっと気合を入れて、高二の春を迎えた。

ここから地獄の日々が始まるなんて、思ってもいなかった。


春の大会の少し前。
私たちの代は、同時並行で新歓公演の準備も進めていた。先輩たちがいつかやっていた一時間のオムニバス形式の公演を、自分たちもやろうと計画し、一人一つ台本を書いた。
順番などの兼ね合いを考えながら、誰がどの役をやるかを決め、春の大会が終わってから怒涛の稽古。部活以外にもやることがある人も多かったため、なかなか練習に全員が集まることができず、万全ではない状態で本番を迎えた。
ちょっと、いやだいぶ。ギリギリ人様に見せられるレベルのものだったと思う。
先輩たちからの評価もなかなかに厳しく。そりゃそうなのに、子供だった私は、頑張ったのに!とすごく我儘な気持ちでいっぱいで、泣きそうになりながら感想と評価を受け止めた。

同級生の部員たちは、主体的に動くことが少なく。部長になった私は、勝手にプレッシャーを感じて、私がしっかりしなきゃ、私が動かなきゃ、やらなくちゃの思考から抜け出せず、全部請け負った。そうしていくと共に、メンタルがどんどん削れていくのを感じる。自覚はしていたけど、どうにもできず、見て見ぬふりをし続けるしかなかった。良くも悪くもみんなには期待してなかったから、仕方がないことだと諦めていたんだと思う。今だったらガンガンに頼るけど、申し訳ないと、当時は遠慮してしまっていた。

準備の同時並行。慣れないことがずっと続いていたから、メンタルがずっとぐらぐらしていた。そんな中で追い打ちをかけるように環境が変わる。
演劇部には三人の顧問がいて、その中の一人は、私たちの意見をまったく尊重してくれない顧問だった。そんなめちゃくちゃに対立していた顧問が、主顧問になり、頼んでもいないのに演劇の講師を連れてきた。自分が高校時代にお世話になっていたの、などとどうでもいいことを言いながら、勝手に。
この講師が、私たちに寄り添ってくれたら、私たちのやりたいことを尊重しながら、色々教えてくれていたらよかった。

しかし実際は、私たちのこと操り人形が何かと勘違いして、全部全部縛り付けてきた。

今までやっていた練習は全否定され、どこにでもある練習方法を、さも自分が開発したかのように押し付けてきた。私たちの意見は一つも聞いてくれず、まるで独裁者のように部活を仕切り出した。

私たちがやりたいのは高校演劇であって。この講師がやりたいことは大人の劇団でもできることであって。こんなの間違っている。そう主張したかったけど、とても聞いてくれるような人ではなかった。

先輩たちは、これもご縁と思うしかないと言っていたけど、こんな縁、御免すぎる。言葉を選んで、気持ちを落ち着けようとしてくれた先輩たちは大人だった。それでも私は、その言葉にもただただ憤ることしかできなかった。

そんな講師は練習だけならまだしも、秋の大会にまで踏み込んできた。

夏前。秋の大会に向けて、それぞれ台本を持ち寄った。既存台本でも、創作台本でも可。夏休み前までには全部決めて、この縛られた練習の日々から少しでも早く脱するために、去年より早くオーディションをしようと計画していた。
大会の練習が始まれば、さすがに大丈夫だろうと思っていた。そう甘くはないのに。
講師が昔書いた台本も、候補に無理やり入れられた。嫌すぎて、あらすじなどの説明をガン無視していた。悪あがきである。そしてまあ、実際にちゃんと覚えていない。

話し合いや多数決の結果、一人の部員が持ち寄った「チェンジ・ザ・ワールド」という既存台本に決まった。2003年に書かれた台本で、高校演劇界隈では有名な台本である。(多分)

あらすじはこう。
悪い仲間とつるんで同級生の一人をいじめ、金を巻き上げている"北沢正平"は高校三年生。その正平がある日、担任の先生に頼まれてガンで余命の少ない同級生"柳健一"を見舞うはめになる。不思議に意気投合する二人。何度か見舞いに行くうちに少しずつ変わっていく正平。しかし、柳の病気は確実に進行していた。

ヤンキーの男子高校生が、病気で余命少ない男子高校生のやりたい事を叶えながら仲良くなる話である。タイトルのチェンジ・ザ・ワールドというのは、エリック・クラプトンの曲で、劇中で何度もかかる。ポップとリアルが混在している青春ストーリー。高校演劇でやるにはぴったりの戯曲だ。

講師のは選ばれず、これでようやく私たちだけで動ける。台本が決まってからすぐ、役のオーディションが開催されることになった。
私は今回、チャレンジの意味も込めて、病気の男子高校生"柳健一"の役を第一希望で受けた。チェンジ・ザ・ワールドは男4:女4の構成で、そもそも男子部員が二人しかいなかったから、女子部員の中から二人ほど男子役を選出しなくてはならなかった。
結果演出の子に選ばれ、私は柳の役をやることに。演出の子に、なんで私を選んだのかを聞いたら、「生きていたい思いがより伝わったから」と言われた。めちゃくちゃ嬉しくて、その言葉に応えられるように頑張ろうと思った。

大会に向けて練習の日々が始まる。そう思っていた矢先。

講師がオーディションで選ばれなかった後輩達と同級生数人を取り込んで、講師の台本の練習が同時並行で始まった。

最初は意味がわからなかった。オーディションで選ばれなかった人たちも、裏方という大事な仕事がある。それなのに、勝手に取り込まれて練習が始まっていた。そこから救えたらよかったのだが、どう訴えてもそれがやめられることはなかった。

そしていつの間にか、講師の台本を秋の大会でやった方がいいんじゃないか?という話が持ち上がった。冗談じゃない。私たちは、講師と部員全員を交えて話し合いをすることにした。

君たちの選んだ台本じゃ勝ち進めないし、結局どうしていきたいのかが全くわからないと言われた。こっちのセリフだ。勝手にやってきて、勝手に引っ掻き回して、一度決まったことを変えようとしてくるなんて、どうかしているし何がしたいんだ。やってみなきゃわからないのに、勝ち進めないと断定されたことにものすごく腹が立った。

私は、楽しく演劇がしたいだけなんだ、と正直な思いを告げた。
講師は鼻で笑って相手にしなかった。ますます腹が立ったし、傷ついた。そりゃ、演劇がそんなに甘い世界ではないことはわかっている。大人がやる劇団では、それだけで通用しないと思う。でも私たちが今やっているのは高校演劇で、高校生の意見を尊重すべきなんじゃないだろうか。大会で勝ち進みたい気持ちは勿論あるけど、この日々や思いを、講師の独りよがりで大切にされないのは違うんじゃないだろうか。

色々と悩みながらも楽しく本気でやりたい。 自分たちがやりたいことを、見せたいものを、楽しく創り上げていきたいと思うのは罪なのだろうか。たった一度しかない高校生活を、楽しくいい思い出にしたいと思うのは、子供なのだろうか。
いや、子供だし。一生に一度を苦いものばかりで埋め尽くすのは、やはり納得できない。

一度の話し合いでは決まらず、同時並行での練習の日々が続いていた。
当時、演劇部に俳優になることを志していた子がいて。ある日、部員だけの話し合いで思いを伝えてくれた。

せっかくのチャンスだから、私は講師の台本がやりたいし、大会にも持っていきたい。将来にもしかしたら役に立つかもしれない。

そう言われると、何も言い返せなかった。

夢を応援したいに決まっている。でも、私たちに寄り添わない講師から何を学ぶというのだろう。何を教えてくれるというのだろう。一人の夢のために、みんなが傷ついていいのだろうか。ずっと最低な思いばかりが募った。私たちだってチェンジ・ザ・ワールドがやりたい。というか一回そう決まったのに、どうして誰かの都合でできなくなってしまうんだ。理解はしていたけど、やはり納得できないままでいた。もう少し話し合おう。そう言うしかなかっ た。

話し合いを重ねて、講師の台本と、チェンジ・ザ・ワールドの台本を、夏休み半ばまでにできるところまで仕上げて、どちらが秋の大会にふさわしいかを決めることになった。対決なんてするもんじゃないけど、お互いの気持ちを尊重するにはこうするしかなかった。私たちにも勝機があるかもしれないが、確率はかなり低い。

なぜなら審査員は顧問二人で、一人は講師を連れてきた主顧問だった。
経緯を知った先輩たちが、受験勉強などで忙しい合間を縫って、顧問に「あまりにも不平等だから、自分たちも審査員をさせてくれ」と直談判してくれた。
でも、絶対に先輩たちに審査員をさせようとはしなかった。
貴方達はもう関係ないでしょ、と冷たく突き放されたという。関係ないことないだろ。ふざけんな。どうせ、絶対に講師のほうを持っていきたいからそう しているんだろ。
チェンジ側は、どうあがいても負け戦だ。それでも戦うしかない。もしかしたら、主顧問の心が動くかもしれない。ありったけの思いを乗せて、世界を変えるんだ。チェンジ側に残ったみんなと、私自身の心に誓った。 

男子役をやるのは、もちろん初めてだったから、自分自身に落とし込むのがとても難しくて。座り方や喋り方、声のトーン、男子のノリ。全員でたくさん話し合って実践を繰り返した。役の理解を互いに深め、少しでもリアルなやりとりに見えるように試行錯誤の日々。世界を変えるために奔走した。

そして、決戦の日がやってきた。
夏休み真っ只中だったから、当日、お互い全員役が集まらず、足りない役はそれぞれの裏方が袖からセリフを読むことに。不完全でやるのは、なんだかもやもやしたけど、同じ条件ではあったから、まだやれる思った。
先輩たちも何人か見届けに来てくださり、それがとっても心強くて、気合いが入った。

チェンジ・ザ・ワールドの幕が上がる。幾度となく聴いたクラプトンの曲が流れる。

セリフが抜けたり、完璧ではなかったけど、今できるすべてをぶつけた。講師の台本の方を観ても、私たちの方が絶対いいと思った。

審査員のもう1人の顧問に、「自分がいいと思ったものを絶対に主張してください。絶対に主顧問に流されないでください。」と念を押した。届け。届いてくれと願うしかなかった。
数分後、審査結果が伝えられる。

講師の台本が選ばれた。

世界は変わらなかった。

わかっていた。負け戦だってずっとわかっていた。でも、それでも届いてほしいと願った。私は愚かだ。1%でも可能性があると信じていた。所詮、権力の前じゃ無力だった。簡単に心が動くわけないのに。夢だった良かったのに。変えられると思っていたのに。こんな世界、ぶっ壊れろよ。

そこからの記憶は曖昧で、どうやって帰ったのかすら覚えていない。
ただ、この勝負を見届けてくれた先輩が、
「感情とか気持ちの共有がすごくできていて、どちらかといえばチェンジのほうがよかったよ。」
と伝えてくれたのは覚えている。その言葉がなかったら、立っていられなかっただろうし、きっと全部を捨ててしまっていたと思う。感謝してもしきれない。また人に救われている。
気がついたら家にいて、泣きながら布団に潜って、ただひたすらにチェンジ・ザ・ワールドを聴いた。ごめん。世界変わらなかった。救えなかった。ごめん。ごめん。

高校演劇は、私たち高校生が主役のはずなのに、どうしてあんたがそれを奪っていくんだ。大人に相手にされなかった大人が、なんでも言うことを聞かせられる子供相手に傲慢になるのは、本当に老害以外の何者でもないじゃないか。大人げない。絶対に大人になんかなりたくない。少なくとも、こんな偉そうな大人には。

チェンジ・ザ・ワールドは秋の大会に持っていくことができず、全員共同で講師の台本の準備が進められた。何かあったら困るから、と代役も立てることになり、自分も代役をやることになった。
正直、全然やりたくなかった。楽しくないのだ。でも、ここで放棄したら役にも、残ってくれている部員にも申し訳ない。やりきるしかなかった。
そんな練習風景を見ていた先輩が、

「みなも、演技下手になったね?」

とド直球の言葉を私にぶつけてきた。最初はめちゃくちゃショックを受けたけど、そりゃそうだよなと思うところもあって。悩んだし、数えきれないぐらい泣いたし、それでもやるしかないから、ちょっとずつ軌道修正したけど、多分そんなに変わらなかったような気もしている。

あんなに楽しかった演劇が、全然楽しくなくて、みんな仲間だと思っていたのに、なんだかずっとバラバラで。ここにいる意味が見いだせなかった。

講師のやり方が合わず、休部したり辞めたりする部員もいた。それでいいと思った。止める権利も理由もないし、これ以上心が死んでしまってはよくない。私もずっと辞めたかった。でも辞めなかった。辞められなかった。
誰かに部長という責務を押し付けてまで、辞めるほどの勇気がなかった。

本当は、みんな続けてほしかったけど、言えるわけがない。きっと私も同じ気持ちだったから。
ごめん、救えなくて。
ごめん、気の利いた事言えなくて。
ごめん、でも、それでも辞めるのは間違ってないと信じたい。

部長として私は、何も出来なかった。

練習をしていたある日。演劇の授業を受け持っている外部講師の人が、練習風景を見てくれ、話を少し聞いてくれることになった。
その人は、言い方はちょっとだけキツいけど的を得ていて、全否定することはなく、生徒の意見もちゃんと聞いてくれる先生だった。

講師の台本に残った同級生が、話を聞いてくれている途中で泣き出した。この道を選んだけれど、つらい気持ちに蓋をしていたようで、どうしたらいいかわからない、と。

意味がわからなかった。同情なんて1ミリもできなかった。なんで泣いてるんだよ、泣きたいのはこっちだよ。ドロドロとした思いが沸き上がる。
あなたたちが望んだ台本でやってるのに、私たちは選ばれなかったのに、泣くのは違うだろ。
こんな最低なことを思ってしまった。

彼女たちだって、心からこの形を望んだわけじゃないだろうし、講師はずっと縛り付けてくるし、そりゃそうなのに、そうなのに。そう思ってしまうほど余裕がなかった。本当は争いたくなかっただろうに。こんなバラバラのままだとは思わなかっただろうに。

最低で最悪。どこかでそうわかっていたから、誰にもこの気持ちを伝えることはしなかった。今考えたら、みんな苦しくて、みんなつらくて、反抗できなくて、嫌でも従うしかなかった状況ってわかるのに、本当に悔しくて恨むことで自分の心を保っていたのかも。本当にごめん。

先生は、自分なりの意見を講師に伝えていたけど、それを講師が相手にするわけもなく。状況が変わることは無かった。

秋の大会の少し前。高校の文化祭があった。演劇部はいつも秋の大会に持っていく(持っていった)演目を披露している。文化祭は2日間あって、1日目が代役組、2日目が本役組でやり、総合的に見て、秋の大会に出演するメンバーを決めることになった。ここでもまた闘うのか。私は戦意喪失していたし、結局最後まで上手くできず、褒められることはなかった。

文化祭での公演中、初めて舞台に立ってるのが恥ずかしいと思った。客席届いている感覚がまるでなく、嘲るような視線を感じた。早く終わってくれ。大会じゃなくてよかった。選ばれたのが私じゃなくてよかった。

そして秋の大会当日がやってきた。この日の講師もやりたい放題で。
各高校リハーサルの時間が設けられているのだが、決まっていた時間をガン無視して、勝手に舞台に乗り込んだのだ。まだ時間じゃないよね?と思い動かずにいたら、「早くしろ!」と急かされ、入らざるを得ない状況に。
大会運営の他校の先生にとても申し訳なかった。それでも理解のある先生で、「あの人が勝手に入って、それに付いてきただけなんだよね?」と聞かれ、そうですと返事をしたら、納得して頂けたようで、叱ることなく許していただいた。

他にも、模造刀を使う公演だったため、動きの確認で、主役の子が傷つけないように優しく床に刃の部分を当てていたら、「もっとこうやるんだよ!」と思い切り床に当てて、傷を付けたり。
付き添いの主顧問も、舞台で踏んではいけないと言われている床を踏んでいたりして。それを私が注意したら、「そんな細かいこと今はどうでもいいでしょ!!」と逆ギレされた。人の話も聞けないような人がよく先生やってるな、と思った。何も教える資格ないよ。
早く全部終わってほしかった。公演前から地獄だった。息が苦しかった。

大会で、自分は舞台監督をやらされていた。講師のこだわりのせいで、幕の開け閉めのタイミングの確認や、他の確認事項が時間ギリギリになり、それを全部私のせいにされた。勝手なことをしたのはそっちじゃないか。全員セリフ飛ばして台無しになってしまえと思った。ずっと最低だ。

いよいよ幕が上がる。一生上がらなければいいのに。
練習通りの風景が流れる。それを袖で見守っていると、所々客席から笑い声や拍手が聞こえた。
全員サクラだと思った。何も面白くないし、わざとらしく大声で笑っている人もいて、そこまでして勝ち上がりたいのかよって、また最低なことを考えていた。それでも、照明担当の同級生たちが、インカムでゆるゆるの会話をひっそりしていて、それにとても救われた。

終演。早々に片付けて、結果発表まで待機することに。
落ちろ!受かるな!絶対受かるな!もうこの時間が早く終われ!と心の中でずっと祈っていた。みんな同じ気持ちだった気がする。散々な練習。散々なリハーサル。振る舞い。
こんなのやっぱり、ずっと間違ってるよ。だから、だからどうかこれだけは届いてくれよ。

他校の先生たちには見抜かれていたのか、結果は地区予選敗退。これでいい。これでよかった。やっと終わる。終わったのだ。私たちは、勝ったのだ。

その後の講師は、たくさんの言い訳をして、私たちのせいにして、それから来る頻度はだいぶ減った。本当に、一体何がしたかったんだろう。勝手に期待して、勝手にめちゃくちゃにして、挙句自分の非は認めない。

私たちの大切な一年を。一度しかない高校二年生をもう二度と戻れない日々を返してよ。
たくさん憎んだ。恨んだ。泣いた。怒った。
人の道を外れるようなことをしようと考えた。
でもやめた。

全部忘れたかった。 逃げ出したかった。

今でもトラウマとして、傷は残り続ける。でも、全部忘れてしまったら、憎んだ時間は誰が返してくれるんだ。誰も救われなかった。救えなかった。みんなも、私も。
それでも終わった。やっと解放されたのだ。


秋の大会が終わり、落ち付きつつあったある日。
チェンジ・ザ・ワールド側にいた一人の部員が、

「世界、そろそろ変えませんか!」
と言ってくれた。

当たり前じゃないか!

チェンジ・ザ・ワールドの公演の準備が始まった。
春の大会には、舞台の広さや装置的に持っていけないため、校内の自主公演をすることになった。

大会に持っていけないことが不満で、あまり乗り気では無い部員もいたが、私は不完全燃焼だったリベンジができると、ずっとわくわくしていた。
もう一度、世界を変えるんだ。柳になれるんだ。

数ヶ月やらなかったから、すっかり役は抜けていて。もう一度取り戻す作業は大変だったけど、講師の台本の準備をしている時の何倍も楽しかった。
講師側に残っていた後輩達や、同級生も裏方としてたくさん支えてくれた。最低なことばかり思ってごめん。やっと一つの作品をみんなで創り上げているような気がした。

少ない練習時間で、なんとか詰めて。12月上旬、本番を迎えた。自分たちとしては初の試みの1日2公演やることに。大会に持っていけなかった分、やれる回数を増やした。

すごく緊張したけど、何よりも楽しかった。ああ、これだ。この感覚。秋の大会では感じられなかった気持ち。演劇って楽しかったんだ。忘れかけていた気持ちを少しずつ取り戻していった。

無事に1公演目を終え、たくさんの意見や感想をいただいた。感動していただいたり、ちゃんと病人に見えたよと言っていただいたりした。
中には、女子が男子役をやるのはやはりちょっと……という正論ではあるが、厳しい意見もあって。そういう意見が出ることは覚悟していたから、2公演目はより男子に見えるようにしようと、気合を入れた。

2公演目は両親が観に来てくれた。何度も悩んで泣いていたことを知っている両親に観られるのは、少しだけ照れたけど、最後までやりきることが出来た。

全公演終了。終わってから反省点だらけで、まだやれる、改善できると思ったけど、それだけ全力でやれたのだ。チェンジ・ザ・ワールドを、なかったことにさせなかった。確かにここにあったんだ。

終わった後、両親の元へ駆け寄ると、母が泣いていた。
「こんなにいいものを大会で出来なかったのが悔しい。」と言ってくれた。

同じ気持ちの人が、こんなにも近くにいた。

同じ気持ちにさせるぐらい、人の心を動かすぐらい、私たちの世界を魅せることができたんだ。
初めて演劇を、楽しいや悔しいだけじゃなく、やってきてよかったと思った。

世界は変わったのかもしれない。変わったんだよ。変えたんだよ。そう思っておこう。そう思った方が、しあわせじゃないか。

私たちのチェンジ・ザ・ワールドは、これで幕を閉じた。


それから間もなく、春の大会の準備が始まった。
私は初めて、オーディションに受からなかった。それでも演出の子が、一番最後に出てくる1セリフしかないモブの役に、私を選んでくれた。
入部当初は裏方をやろうと思っていたのに、結局最後まで私は役者をやり続けた。粋な計らい、本当にありがとう。

実は、高一の頃、将来は役者か演劇に携わる仕事をしようと考えていた。が、講師にめちゃくちゃにされて、志していた少しの夢は消え去って。卒部したら演劇はもう二度と、観ることもやることもない。そう思っていた。

けれど、吉本の神保町花月という劇場で、初めて芸人さんのお芝居を観て、そこで出会うヒーローに、人生と演劇を魅せられた。これはまた、別のお話。


部長としての責務は果たせただろうか。勝手に突っ走って、壁にぶつかって嘆いて、泣いて、苦しんで。
それらしいことを、何一つできなかったような気もしている。
それでも、みんなで乗り越えてきた。
そして、今を生きている。

最後、我儘が許されるのなら、頑張ったね、と言われたかった。タイムマシーンがもしあったら、絶対過去に戻りたい。
戻って、高二の私を抱きしめてあげたい。
大丈夫だよ、頑張ったねと、伝わるように、届くように、間に合うように。誰も救えなかったなんて、嘆く必要はないよ。

世界が大幅に変わることはないけどさ、君の未来は、思ったより明るいよ。生きててくれて、ありがとう。




* * 


なぜ今になってこのこと書こうと思ったのか。もう6〜7年前のことだ。理由はいくつかあって。

もし近い未来、このまま死んでしまったとして。このつらかった日々を、私が感じた思いを、どこにも何にも残らないのが嫌すぎる!とふと思ってしまった。生きていた証を残したかったのだ。


もう一つ。さっき言ったヒーローの、好きな芸人さんの単独ライブが今年の二月にあった。
最後の長編コントのラスト、満月が、満月だけがコントキャラの2人を照らすシーン、演出があって、その時にチェンジ・ザ・ワールドのあるシーンを思い出したから。

柳は死ぬ前にやりたいことがいくつかあり、その内の1つが好きな人とキスがしたいという。それを正平に手伝ってもらうシーンがあって。
柳は月なんか見えないのに、月が綺麗ですねと言う。柳の好きな子が月なんてどこにも……と言った瞬間、満月が現れる。これは、正平が用意したスポットライトで、作り物の満月が2人を照らして、柳は好きな子に……というシーンがある。
同じ、満月が照らすシーンがあったのだ。

私と、好きな芸人さんの人生が少しだけ重なった気がして、それが嬉しくて。大好きなコントの、大好きなシーンが、思い出がまた一つできた。私だけが、嬉しかった。

そして、もう一つ。五月の下旬に、演劇部の同窓会が行われることになった。同級生だけで、ほぼ全員集合することになっている。
だからその前に、楽しいにも悔しいにもつらかったにも最低にも、全部に区切りをつけるために書いた。
みんなもうお酒も飲める歳だから、こんな日々も酒の肴になったらいいな。

みんなは今、どんな日々を過ごしているんだろうな。勝手だけどさ、早くみんなに会いたいと思っているよ。

あの日の話を、笑ってしよう。
くだらない話を、飽きるまでしよう。
夜が明けるまで、とことん話をしよう。




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