見出し画像

抱ける女が、抱けなかった女に勝てるわけがない

2019年半分が終わってしまう。生後294ヶ月の私はまだまだあいも変わらず星座占いや天候と気圧に振り回されて毎日元気に過ごしている。
年末に死んじゃったおじいちゃんの故郷である北海道に行ったり、1年間住んだ家を退去したりと、なかなか忙しなかったりもする。
ここ数年で変わった事、今日までこうなると思っていなかったから、後戻り出来ないぞと少し怖くなる。
というか後戻りする体力も気力ももう無いのである。

6月にもう泣かないもんバンドでのライブをして、大炎上した。もっと良くなりたい。認めてくれる人や場所をもっと大事にした方が良い。自分の創作に火がついてしまった。とろ火だけれど。残念な事に私は湯を沸かすほどの熱い愛は持ち合わせていないのでとろ火中のとろ火。だけど火がついてしまった。
つまらないことはしたくない。だけど、面白いこと考えていますとも言いたくない。面白いと思っているのは大体当事者だけだ。
多分私がみんなに面白いなと思わせるには、脱ぐか不倫か大麻しかない。どれもやりこなす自信がない。
楽しく元気でいたい、それが私の望みです。

今回のタイトル「抱ける女が、抱けなかった女に勝てるわけがない」は私の大好きなドラマ「最高の離婚」で、初恋の相手と十何年ぶりに再会してうつつを抜かしている旦那に向けて灯里さんが放った台詞です。
散々好きだと公言してるこのドラマの中でも随一の好きな台詞でもある。
生活が、日常が、日々美化されていく非日常に勝てるわけがない。
出来なかった事、欲しかった物、叶わなかった事というものは一生手に入らない。今何を捨て身を投げ打ったとしても、絶対に無理なのだ。
だからこそ未練が残るしコンプレックスになる。
私ならもっとうまく出来たはずなのに。
過去に限らず、今自分が成し得てない事へのコンプレックスというのはなかなかしぶとく、その後の考えや価値観を変えていく。
会いたいと言える友達が少なくて、大人数で集まってやいのやいのやっている人たちに嫌悪感を抱くのも自分が昔から友達作りや関係の維持が苦手だったからだし、分かりやすい「弱い」とか「辛い」が不快なのも、自分のそういう感情はひとり朝を待つ事でしか消せられないからだし、
10代後半以降早々と結婚して家庭をもつ人に目を細めてしまうのも、私が望んでいるかどうかは置いておいて、自分に無いものを持っているから。自分には無い、圧倒的な幸せを持っているのを知っているから。
憧れて憧れて仕方ない仕事をしている訳ではないけれど、ほぼ毎日定時で帰れているし、良い人ばかりだ。でも別にOLになりたかった訳ではない。

反対側にいるその人は持っていない幸せを私だって持っているはずなのだ。
それを本当は分かっているはずなのだ。ハム太郎なのだ!
なのになんで、どうして私ばっかり!と喚いたり、訪れもしない未来を恐れたり、隣の、ドラえもんもびっくり青い芝生を指をくわえて眺めなくてはならないのか。

私には願ってやまない未来がある。なのでなんて事のない今日を、なんて事のないように、それでも生きていかなきゃいけない。

最後になりましたが、ドラマ「最高の離婚」はホンッッッットに最高なので是非ご覧ください。