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幸せには致死量があるという話

飲み過ぎ食べ過ぎ、なんでもやり過ぎは体に毒である。私はお酒が好きだけど、もう一生飲むかよって思う朝なんて何度だってあったし、狂った様に毎日聴いていた音楽だってある。でも何事にも致死量がある。だから私たちは良い塩梅を見定めなければならないのである。

この間チャンミとスタジオ終わりにモダラヴァでランチをした際に話していた「別れた元恋人をどう思うか?」という議題について今日ジムさんがブログを更新していましたね。
「幸せになんてなれるわけがない」http://blog.livedoor.jp/jimmax/archives/1070883948.html
つまるところジムさんは否!という事だ!チャンミも否!らしい。
ここからは私の持論です。否だ!という人を否定しているわけではないので悪しからず。

基本的に私は異性同性を問わず、友達(後輩も先輩もひっくるめ)と好きな人の2パターンでしか区別が出来ないのです。なので好きな人枠から降格した人は友達であって、過去何があろうともそれ以上でも以下でもない。不幸を願ったりもしていない。格段幸せを願っているわけでもない。これは綺麗事でも何でもなくて、不幸だろうが幸福だろうが自分の事をもう好きじゃない人を、自分がもう好きじゃない人を思って胸を焦がしたり腹を立たせる暇がない。というか興味がない。
まあでも別れて数年後に再会して、あのままうまく付き合えてたらもっと違う先があったのかな、なーんて言われた日には流石になめてんのかとは思った。泣き喚きながら彼氏の帰りを待つ地獄の夜なんて一生来なくていいと思っている。
だからと言って今の彼を恨んでもないし、適当なそこそこの女とうまくやってくれればいいなと思っている。ああ俺はこいつと出会うために生きてきたんだ、なんてゲボみたいな事を思っていて欲しい。

ただいろんな人にいろんなタイミングで言っていると思うしブログにも何度か書いているけれど、私は私が1番大事で可愛いもんだから、
あの時の自分に想いを馳せる事は何度もある。生活に想いを馳せる。
どう考えてもいまだに許せない事もあるけれどそのおかげで私は今後あんな浮かれポンチ野郎みたいな人とお付き合いをして身を滅ぼす心配が無いわけだ、な?

話は戻りますが、何事にも、致死量があります。
幸せの致死量が達したらどうしよう。ひやひやするね。うっかり死んでしまったらどうしよう。
むしろ、ハッピー!死のう!ってなる時もあるから恐ろしい。あーやだやだ死にたくないなあ。ゴミ拾いでもしたら全部赦されるかなあ。