退屈日記2020.12.05

中学生の頃、水泳部だった。中学は荒れていて、おれはリーゼントにボンタンのザ・ヤンキーではなかったものの、授業をさぼって屋上でタバコをふかしながらトランジスタラジオを聴くくらいの不良ではあった。だが、部活はまじめにやっていた。ザ・ヤンキーは専業の不良だったが、おれのような中途半端な不良は、不良活動をしつつ、部活動や勉強もそこそこ兼業していたのである。

温水プールではなかったので、水泳部は夏だけの部だった。プール開きの季節になると、水泳部の面々が最初にプールに入って、塩素を撒く。塩素は入浴剤のような塊で、プールに投げ入れるとすぐにモヤモヤと溶けていった。今はどうか知らないが、当時はかなりの分量の塩素を投げ入れていた。だから小一時間もプールで泳いでいると、すぐに目が赤く充血した。放っておくと結膜炎になった。一度、結膜炎が悪化したことがある。病名は忘れたが、目医者で、大きな注射を目の涙袋のところに打たれたのを覚えている。「はい、目をつむらないでくださいね」と言いつつ、注射針を目に近づけてくるのである。

夏、くたくたになるまで泳いで、太陽で温まったプールサイドに寝っ転がると、全身に熱が伝わってきて、体に付いた水が蒸発していく。薄目を開けると、陽の光が眩しく、景色は白くとんでいる。その白い景色のなかには、スクール水着の女子部員たちもいた。俊ちゃんとマッチ、どっちが好き?みたいな話をしていたのを覚えている。すこし遠くから、ねえっ、Mはっ?好きなアイドルとかいるのっ?聖子ちゃんと明菜ちゃん、どっちっ?と訊かれて、YMOっ、と答えるこじらせ気味の思春期だった。

中二のバレンタイン、まだおれがギリギリ童貞だった時のことだ。水泳部の女の子からチョコレートをもらったことがある。義理チョコというシステムはまだなかった。チョコをもらうということは告られるということだ。
なんとなく気配は察していたが、部活の後、更衣室に向かう前に呼び止められ、ねえ、着替えたら、ちょっと待っててくれる?と言われた。あ、うん、と答えたものの、動揺したおれは、急いで着替え、そのまま走って家に帰ってしまったのだった。部屋に入ってごろんと寝転ぶ。心臓がばくばくしていた。あー、もうっ。なにが「もうっ」なのかわからないが、おれはずっと「あーっ!もうっ!」と心のなかでくりかえしていた。
しばらくすると、母親が部屋に入ってきて、「M君、女の子が訪ねてきてるよ」と言う。おれは、あ、うん、と応え、どうしようっ、と焦りつつ、ふわふわと表に出て行った。「あの、これ」とチョコを渡された。あ、うん、と受け取る。女の子は「じゃっ」と小走りで帰っていった。その後ろ姿を見て、すこし大きめの声で、あ、うん、と声をかけた。
チョコには手紙が入っていた。文面は覚えていないが、ごく短いものだったと思う。「付き合ってくれませんか?」という一文だけは覚えている。大きくため息をついて、あー、もう、いやだ、と思った。どうしよう、と考えあぐねて、けっきょく、翌日、決死の思いで、その女の子に手紙を渡した。「お断りします」という一文だけの手紙である。手紙を渡して、そのまま走って逃げた。家に帰りつき、ほっとしたおれは、ようやくその子にもらったチョコレートをひとかけ、口にした。特別な味がした。美味しいとかじゃなくて、特別な味。舌の上で溶かしているあいだ、これはなにかよくない味なんじゃないか、とドキドキしていた。

翌日、部活でプールに行くと、もちろんその子もいて、おれは必死に無視していたのだが、帰りに、あの、と呼び止められた。「友だちってことでだめですか?」と言われた。え?いや、友だちって、いまも友だちだし、と答えた。「そうよね」とその子は笑って、それきり、その子の記憶はぷっつり途絶えている。たぶん、それきりで、その子があきらめたのだろう。おれはその年の夏、親戚の女子大生の女の子とその友達三人組と乱交して童貞を失うことになる。まだ自慰も知らなかった。

ところで、この記憶には、一点、どうも解せないところがある。バレンタインは2月で、もちろんプールでは泳げないはずなのだ。
バレンタインにチョコをもらって動揺したのは確かなのだが、おれの記憶のなかで舞台装置が演出されているようだ。

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