漂流日記2020.08.24

無意識に身についた身体の癖、例えば立ち方や坐り方や歩き方にも、それぞれの文化的背景がある。そして、その「たたずまい」「身体の運用」が、思考や経験の質にも大きく相関している。

矢田部英正『たたずまいの美学』(中公文庫)に、ヨーロッパと日本、西アフリカの立ち方、歩き方の違いをめぐって、興味深い考察があった。
日本人の歩き方は、「上体前傾」「膝曲げ」を特徴とする。これは体幹の前方(腹側)に体軸が位置しているということで、この場合、足裏の体重配分は爪先側に比重が大きくなる。つまり、猫背で爪先歩きをするのが、日本人が歩くときの基本的な姿勢の保ち方ということだ。この姿勢の保ち方を、著者は「体軸」が前方にあるということで、「前方軸」と呼ぶ。

一方、西アフリカとヨーロッパに見られる「上体の直立」「足の蹴り出し」「伸膝(しんしつ)」といった歩行動作は背中側に体軸をもつ「後方軸」の姿勢だ。
アフリカの女性が頭に大きな水瓶を乗せて運ぶ姿を見たことがあるだろうか。頭の上に物の乗せて運ぶには、体軸が、頭上から脊柱を通って踝(くるぶし)へと真直ぐに落ちていなければならない。歩幅は日本人と比べるとかなり大きいが、上体の揺れを防ぐために、前足へ体重を移動する際には「体軸全体が前方へ平行移動する」技術が身についている。そのため前足へ軸が移った時には、後ろ足が大きく後へ残る。

ヨーロッパ人の歩行は、後方軸である点ではアフリカ人と同じだが、頭に物を乗せて運ぶ必要がないため、前足が大きく前に蹴り出され、上体が後からついてくる。そのため体軸には捻じれが生じ、上体と下体の捻じれを調整するために左右の手を交互に振る必要が生じてくる。このような歩行様式においては、踏みだした足が自ずと踵から接地するため、ヨーロッパの靴には踵の部分に厚みのある「ヒール」が施されることになる。

日本人の多くに見られる歩き方は、歩幅が狭く、上体を前傾気味に、踵を引きずりながら、膝から下を小刻みに動かすことに特徴があるが、この上体の前傾した前方軸の歩行は、和服を着用したときにはごく自然な様式美を醸すもので、ヒールの高い靴を履いた場合には膝が大きく曲がり、腰が後ろに突き出され、かなり滑稽な様相を呈することとなる。
西洋の靴がヒールでカッカッと歩くためのものだとすれば、草履や雪駄は、台座から踵をはみ出して歩くことが粋とされたように、爪先でひっかけるように履いて、チョイチョイと鳥のように歩いていくためのものである。日本人の歩き方は、そのままでは、草履や雪駄には合っても、靴には合わないのである。

西アフリカの歩き方が、頭に物を乗せて運ぶには合理的な歩き方だったように、各文化の身体運用の型は、日常の生活に要請される動作をその淵源にもつ。
とりわけ長時間肉体を酷使し、高い集中力の持続を必要とされる労働の盤面では、無駄に体力を浪費することのない、合理的な動きが形成されなければならなかった。例えば、日本は農耕文化の国である。日本人の大半が農作業から離れた現在でも、その動きの痕跡が、代々の模倣を通じて人びとの日常の所作に受け継がれている。例えば、相撲や日本舞踊など、意識的な型にまで洗練された動きをみれば、その痕跡はより明確になるだろう。

著者はクラシックバレエと日本舞踊の型を、「足の動き」「膝の屈曲」「骨盤の傾斜」「上体の扱い」「頭の位置」といった視点において分析する。
詳細は省くが、バレエの動作は身体の後方に体軸をもった姿勢を基本にして、あらゆる動きが展開されている。
一方、日本舞踊は、身体の前方に体軸を置き、爪先に重点のかかる姿勢を基本姿勢としてもつ。
バレエは身体の後方に体軸をもち、重力に逆らって垂直に上向する動きを特質とする。バレエの基本姿勢における骨盤操作は、恥骨をやや前方に出すようにして骨盤が立てられているために、骨盤の回転方向に合わせて自然と足を前に出すことができる。つまりバレエの姿勢は、脚をまっすぐに伸ばしたまま、大きく前へ踏み出すことが容易にでき、欧米人の歩行様式にも基本的に同質の動きが見られる。これに股関節の回転を増幅させれば、脚の上昇運動へとすぐに連動してゆく。つまりバレエの立ち姿勢では、微妙な骨盤の後方回転が入り、そのことによって脚の振り上げや、跳躍といった、身体が上昇することを容易にしている。
一方、日本舞踊において、例えば歌舞伎の「六方」にしろ「見得」を切るような場合でも、役者の膝や足首は大きく曲がったままである。歌舞伎の「魅せ場」の動きには、多少の跳躍がともなったとしても、身体の上昇性に演劇的な効果があるのではなく、むしろ激しい動きによってより強く印象付けられるのは、「存在の安定感」である。歌舞伎においては、バレエと違って、腰や膝の屈曲が身体表現上の美感を損ねることにはならず、むしろ手足の荒々しく屈曲した動作によって、より強い存在感を引きだす効果が助長されている。

バレエと日本舞踊では、その基本的な体軸の置き方が後方/前方と真逆で、その体軸の展開として表現されるものも、バレエが重力に逆らった上昇性を志向するのに対し、日本舞踊は大地を踏みつける安定性を志向するということで、これも真逆である。
だが、バレエにしろ日本舞踊にしろ、舞踊的な教育を受けた身体というのは、体軸が無意識のうちに「ぶれ」たり「捻れ」たりしないという意味で共通している。舞踊的な訓練によって獲得された身体技法は、ある面、民族に固有の歴史的な情報を、身体の動きとして浮かび上がらせる。だが、他の面では、状況に応じて身体技法を使い分けることによって、習慣的な制約を乗り越えることを可能にする。
例えば、日本発祥の特異なコンテンポラリーダンスである「舞踏」の動きには、体軸の複雑な操作によって、地を這う動作とそこから飛翔する動作の背反する志向が織りあわされるように一体化している。舞踏のように、自分の身体のあり方を、その骨のレベル、気の通りのレベルで把握することで、自分の身体を形作っている文化的制約を乗り越え、本質的な創造性の核をつかむことができるということである。

ところで、民族の文化ごとの装い、履物や衣服などもまた、その文化の生む特有の身体に応じた適応をもっている。一例として、和装を挙げよう。和装はヨーロッパの衣服とはまったくその発想の異なる装いだ。ヨーロッパの衣服は、女性の肉体のラインを強調するように展開したが、和装における女性の美感とは、肉体の輪郭を覆い隠したとしても、その美的な存在感が失われることのない「姿」や「しぐさ」から表出するものである。それは、肉体ではなく、布を纏うことそのもののエロティシズムを表現する。言わば、人の体は、着物と「二人羽織」のような在り方で、その「風姿」を形成する一要素として存在している。

人間は時として花のように存在し、山のように存在することがある。身体という自然性を本来的に備えた人間が、風景という自然のなかへ溶け込んでゆくような存在のあり方、あるいは身体のなかへ花や山といった自然を取り込んでしまったかのような印象を表出する身体のあり方、このような人間の存在様態を日本人は「風姿」という言葉で表現してきた。そこで描かれているものは「肉体の均整」にもとづく美感ではなく、姿勢・動作から表出される「存在の印象」である。
これを形づくる身体的な根拠というのは、たとえば一片の「しぐさ」が伝えるところの心の細やかさであったり、坐っている後ろ姿から無言のうちに放たれる「存在の重み」であったり、歩く姿や挨拶の仕方からにじみ出てくる「慎ましい態度」や「忠実な想い」などである。
和装は「背中心」の垂直感や「裾まわし」の流れる線、「衿操り」の妖艶さや「袖振り」の優美な遊び心など、それぞれの被服構成上の意匠が、高度な身体技法に支えられていたために、肉体の直接的な造形というのは、服飾表現上の美感にはなり得なかった。それゆえ和装における媚態表現というのも、日常的な秩序の均衡が、一片の「しぐさ」によって崩れた瞬間に閃き出る非日常世界の感覚的な表出なのである。

さて、今度は、日本の身体運用の「考え方」に注目してみる。ヨーロッパのそれと違う、もっとも重要なポイントは、日本の身体運用がつねに身体全体の「形」として捉えられているということだ。
医僧として有名な白隠は、『夜船閑話(やせんかんな)』で、
「大凡(おおよそ)生を養い長寿を保つの姿、形を練るにしかず」
という言葉を書きつけている。
この「形を練る」というのは、「身体を鍛える」ということだが、それはヨーロッパ的な筋力トレーニングを意味するのではない。筋力トレーニングは、特定の筋肉に大きな負荷をかけることで、筋肉単位でより大きな仕事量に耐えるパワーをつけていくという方法論だ。
だが、「形を練る」とは、むしろより筋力の浪費を少なくし、骨格の自然な構造にもとづいて動くための基礎をつくることをいう。身体運動の洗練によって無駄に筋力を使わなくなる時に、「骨で動く感覚」があらわれたり、「体軸」や「中心点」といった身体を統率する感覚的な基点があらわれる。その習熟には、特定に筋肉に負荷をかける機械的な反復ではなく、呼吸やイメージ、体性感覚などの訓練を駆使しながら、身体の「形」を丹念に「練って」いかなければ達しえない。
つまり、「形を練る」とは、例えば腕で何かを持ち上げるというようなときでも、腕の筋力に頼るのではなく、全身の筋肉や骨格の動きを協働させて、筋力は最小限で済むようその形をつくりあげるということを意味するのである。筋力は衰えるが、形は歳を取るごとにより練りあげられる。

重要なのは、つねに身体全体を協働させるという態勢であり、そのためには、意識を特定の筋肉に向けるという日常的な方法論を脱しなければならない。その時重要になるのが、呼吸、内観を通して体性感覚に集中する意識の向け方、イメージの駆使という、意識と身体という二分法に代わる、より構造的な身体運用の方法論である。
日本の芸道の世界では、いわゆる「小手先」の動きというのを戒められる。動作は必ず骨盤の中心から生まれるものでなければならず、動きが手足のどこかで途切れることを極端に嫌う。武術家が重く剛毅な「力の扱い」を嫌うのは、筋肉を硬直させることによって、運動がその部分の動きとして、途切れてしまうからである。四肢や上体の筋肉が硬直してしまったら、もはや力は骨盤の中心からは伝わらない。
たとえば書をしたためる時、腕や肩に力が入れば筆先はたちまちにして乱れる。茶人が杓を扱う時も、道具を動かさずに自分の手を動かすように教えられる。そうした動作の制限を課すことによって、動作は身体の中心から伝わるものとなるからである。

古武術の世界では、例えば弓を引くとき、「力を入れない」ことをその骨子とする。ギリシア以来のヨーロッパの伝統では、人間の力の源は四肢の骨格筋であろう。だから、筋肉ムキムキの姿が力強さの象徴ともなる。だが、日本古武術では、筋力を増強させることではなく、「力を入れない」ために神経を集中させねばならない。
「骨をつかむ」という日本語は、この脱力状態において体感される「骨の感覚」に由来する。筋肉を浪費させず動作する「コツ」をつかんだ時、筋力をはるかにうわまわる力を発揮することができる。
コツをつかんだ時、もはや頭が中心的な司令塔になって身体を動かしているという主観性の感覚は失われている。物来たりて我を照らす、という西田幾多郎の言葉も、特に哲学的な議論を通して言語的に追求せずとも、言わばこうした身体運用の結果からくる端的な実感として捉えればよい。

運動を支える力の源が、表層の「筋肉」から「骨」へと深まってゆくと、身体は外見的にも無駄のない自然な美しさを保つようになる。この技術は身体本来の自然に適うため、筋肉にもストレスをかけることが少なく、体内の生理循環機能にとっても負担が少ない。つまり骨格の自然にもとづいた身体技法は、運動面での物理的合理性と、健康面での生理的自然性、視覚的な審美性と、それぞれの世界を一つに結ぶ基本認識に到達し、つまるところその技術は、「自然体」という基本姿勢へと収斂されてゆく。

何よりも、この「自然体」は、単に輪郭の美しさではなく、先に指摘した「風姿」の美しさ、仕草や動きを含めたフィギュールの美しさを実現する。

矢田部英正は『坐の文明論 人はどのようにすわってきたか』(晶文社)で、特に「坐る」という所作に注目して、さらに日本的(あるいは東洋的といってもいいかもしれない)な身体運用がどんな拡がりをもっているのかを論じている。

「坐」は「すわる人間の形」をあらわし、「座」は「人間の居場所」をあらわす。それらは文字通り、人間を世界と結び合わせる根源的な単位を意味する。

私は日本の伝統芸能が好きで、子供の頃からよく舞台を観ているが、能や歌舞伎を観てしばらく経つと、役者が舞台に「どう立っているか」「どう坐っているか」「どう歩いているか」といったベーシックな所作が気になってくる。振り返って、日常の立ち居振る舞いにも意識が向かう。友人の某アパレルバイヤーは、「あの人、腰が立ってるよね、軽やかだわ」「きみ、胡坐かくと熊の置物みたい。背中が人生しょっちゃってるよ」と巧みに人を評するが、おれの記憶では、それも恐らく、能や歌舞伎に目覚めてからのことである。
立つ、坐る、歩く、踏む(踊る)、舞う、…こうした基本的な所作は、身体の野生にその根にもち、経験の基底を支え、文化の「蝶番」になっている。「蝶番」というのは、その所作が、多様なメディアに展開する文化装置の転換器として作動するからである。
立つ、坐る、歩く、踏む(踊る)、舞う、…そうした基本的な所作は、「人間を世界と結び合わせる根源的な単位」なのである。

おこなわれる傍から消えて行く身体の動きに、一定の形式が生まれると、それは「作法」と呼ばれるが、眼に見えないものに形を与え、現実世界に定着させてゆく試みというのは、「様式」の語源にあたるラテン語のstilusと本質的には同じはたらきをもつ。もともと先の尖った筆記具に由来するstilusは、筆記された「文体」や「話法」のことを意味していた。つまりstyleとは、眼に見えない感情や思考、イメージに、眼に見える形を与えるはたらきから生まれた言葉であり、そのためにもちいられる文字や言葉や色彩、音の波長などは、形あるものを生み出す媒体にあたる。つまり「様式」という言葉の根底にあるものは、眼に見えないものに形を与えようとする意思であり、そのなかでも恒常的な持続性をもつ域にまで到達した一連のかたちを「様式」と呼ぶ。
様式概念の形態的側面に特化した場合には「フォルム(form)」といい、様式の再現性に宅目すると「パターン(pattern)」と呼ばれ、他と区別するための分類を強調すると、それは「類型(type)」とあらわされる。たとえばルース・ベネディクトが「文化の型(pattern of culture)」という様式概念をもちいるときに、そこで強調されているのは、日々くり返される生活様式の再現性への視点である。あるいはカール・G・ユングが人間の深層心理を、「グレートマザー」や「老賢者」「トリックスター」といった人格に分類するのは、明らかにほかと区別されるような神話的人格が、典型的な心の動きとして示されることにもとづいている。

身体の基本的な所作を単位とする<形>が、人間の文化においてどう現れ、展開するのか、その様相について論じられている。
<形>は、文体、話法、文化の型、ユングの元型、と多様な様相を以て展開され、相互に通じ合っている。

多様な文化事象、例えば日本家屋もまた、坐の延長上に秩序立てられたものである、と著者は説く。どういうことかというと、「下座の敷居から室内を眺めたときに、空間の全体が歪みなく見え、端正な方形の部屋が、からだに馴染む有機的な印象を与えるように」畳の寸法が調整されているというのである。

人間の身体をはじめ、自然物の造形には幾何学的な直線というものが存在しないから、生活空間の全体が図面で管理された壁面で覆われてしまうと、私達の身体感覚は硬直して、外界の自然とつながるしなやかな感性が委縮してしまうのだ。それはどんなに耳触りの良い崇高なコンセプトを掲げてみても、その空間の中に身を置いたときに、空気の密度や流れによって、生命を活かす空間と委縮させる空間とを、優れた身体は瞬時に直感するのである。

身体各部への無理な負荷を分散して、安楽に坐ることが適うと、そこに、坐をアフォードする座の有機的空間が広がる。自らの身体を世界軸として、バシュラールの説く「家屋というコスモス」を起ちあげることが適う。日本家屋は、図面=枠の外挿を、坐‐座の軸で調整するという繊細によって成り立った。
建築だけではない、日本の文化空間は本来、こうした工夫を重ねることで、ボードレールの言うところの「万物照応」の詩的共鳴を実現する繊細を実装していたのである。

坐‐座を軸として“即席で”起ちあがる万物照応のコスモス空間ーそれは例えばネイティブ・アメリカンのチェロキーが持つという「自分だけの秘密の場所」に通じるものだーそれは、「じぶんの心と自由に向き合い、遊ぶことのできる守られた場所」である。
「そこでチェロキーは肉体とともに滅びる心と、永遠に生き続ける霊の心を見極めて、そこから人や自然や世界がどのように動いていくのかを知る」。
日本人も、坐‐座を通して、「自己と世界をありのままに見渡すことのできる『深き手立て』を、身体技法の型によって伝えてきた」のである。
自分だけの秘密の守られた場所で、人は、「肉体とともに滅びる心と、永遠に生き続ける霊の心を見極めて、そこから人や自然や世界がどのように動いていくのかを知る」。


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