雑然日記2020.06.29

今日は忙しかった。忙しかったので、雑然とした用事もすべてぶっ込んでやった。やり始めてしまえばすぐ終わる仕事でも、やり始めるのが億劫という点では大きな仕事と変わりない。1km先のスーパーに行くのも、200km先の京都に行くのも、エンジンを温めるというプロセスは必要になる。それで、30分もあれば終わるような雑用は、敢えて忙しいときについでに済ますのである。

仕事というのは、やり始めると、アディクトする。この社会は、仕事にアディクトするのを推奨する。多額の金を稼いで、多額の商品を消費する人間を称揚する。だが生産活動や消費活動に忙しく過ごしていると、自分のなかで何かが衰弱していくのが分かる。その何かが何なのかはよく分からないが、ともあれ、やばいな、と触覚が働くと、おれは、それまでうまく回っていたシステムを全部リセットするという愚挙をくりかえしてきた。
それで、その何かは衰滅することなく生長している。その何かを情とか魂と言ってもいいのかもしれないが、あるいは寄生虫のような何かなのかもしれない、という気がすることもある。

ところで、日記を書き始めてよかったことは、これは誰かに話すにはネタとして弱いな、とか、これはツイートするにはかっこよすぎるな、ということでも、なんでもかんでも一切の心理的な検閲なしで書きつけられるということだ。結果的に、日記というのは、自画像として正確なものとなる。おれは、概ねこの程度の者です。おれは、時々神がかって凄いです。おれは、淡白で無頓着です。おれは、超のつくドスケベです。おれは、おれは、と矛盾する線ばかり描いて、結果的に、その混乱した線が集まって、一番正確なおれの輪郭を描き出している。

日記、日記と騒いでいたら、いろんな人が日記を書くようになった。いや、べつにおれが騒いでいたからみんなが描き始めたわけではないが、いずれにしろ、人の日記を読むのはおもしろい。本人がそこにいる、という感じがする。本人は、おもしろい。矛盾だらけの線で描かれたその人たちの輪郭が、おれには、とても興味深いものに感じられる。

先週、マヤさんと「悪口」をテーマにコラボキャスをやったときも、「悪口は、ほかならないその人がそこにいる、という感じがする、そのことがおもしろい」という話になった。そう、「本人」はおもしろいのだ。おれの「本人」、あなたの「本人」、トランプ大統領の「本人」、天皇陛下の「本人」、知らない誰かの「本人」、みんな同じようにおもしろい。



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