絶対日記2020.10.11

彼女が、出会い系サイトのプロフはなぜあんなにもつまらないのか、と言う。「まず、身長、体重、あと、筋肉と年収」
女が男に求めるスペックが、体と金ってことなんだろうね。
「あと、最初は紳士気取ってんだけど、何度かやりとりしてると、だんだん上から目線になってくのよね」
出会い系って、互いの属性のスペックを晒しあって、マッチする落としどころを探るってシステムでしょう。だから、あなたは私と釣り合いが取れてます?という目線になる。自分のスペックに自信がある男ほど上から目線になるんだろうね。そもそもきみは、どんな男がおもしろいと感じるわけ?
「文章がおもしろい人。でも、そういう人って滅多にいない」
つまり、出会い系で「文章がおもしろい」ってのはアドバンテージにならないってことだろうね。
「つまんないね」
出会い系サイトに登録して相手を探してる時点で、男女問わず、それはつまんない奴なんだよ。
「そう思う。けっきょく、Mと出会えたのもTwitterだしね」
出会うために最適化されたシステムに自分を最適化すると誰もがつまらなくなる。これはなかなかおもしろい問題だね。

そう、これはなかなかおもしろい問題だ。さらに一般化して言うなら、市場に最適化された商品は、どれもつまらない。
例えば、最近のハリウッド映画の多くは、マーケティングして最適化されたテーマ、プロット、映像が追求される。その結果、最低限の投資対効果が保証されるが、作家の作家性は限りなく縮減されていく。
作家の作家性とは、過剰性ということだ。何がおもしろいのか、そもそもおもしろいかどうかもよくわからないまま、生々しく提示される謎めいた何か。その未決定で不定形の謎めいた何かだけが、真に人びとを魅惑するマジックとして作動するのである。

今日、こんなツイートをした。

「コスパがいい」って、要は「お得感」をよろこんでるわけでしょう。その時点でせこいわ。
個人消費は、いつも「絶対評価」でいきたい。金がなくてもね。
「コスパのいい」カジュアルフレンチの店より、「絶対的に旨い」卵かけご飯を選べってことだよ。

なにをやるのでも、コストやスペックを見積もって、それに見合ったリターンを期待する。そのメンタリティに自分を最適化していくと、いつも「そこそこのもの」しか手に入らなくなる。そこそこのものをいくら手に入れても、相対的な満足しか得ることはできない。
上を羨み、下を見下すことで、自分の立ち位置を確かめる。それが相対的な世界観のなかでの振舞い方だ。相対的な世界観のなかでは、けっきょくのところ、完璧な満足感を手にすることはできない。上にはどこまでも上があるからだ。

一方、最初から、絶対的な世界観のなかにいる人間もいる。彼や彼女は、そもそもコストやリターンという観念を持たない。彼や彼女が求めているのが自分にとっての利益や便益ではないからだ。彼や彼女は、むしろ、魅惑されたものへと自分を完全に明け渡してしまうことを欲する。そこに比較や計算の入り込む余地はない。彼や彼女は、時として、完全な満足を我が身に覚える僥倖を得るだろう。

人間関係は、本来、絶対的な世界観へと自己を投げ入れる契機をはらむものだ。
私は、理由もなく、その人のことが好きなのだ。自分の立ち位置もわきまえず、その人の立ち位置も見えなくなる盲目性のなかで、絶対的にその人に惹かれていく。
誰かに惚れるという心の動きは、自分のスペックに見合った誰かを選ぶという態度のなかにはあらわれないのである。

天国は今あなたがいる場所とほとんど同じだ。でも何もかもが違う。

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