漂流日記2020.09.04

最近、体性感覚のことを考えていた流れで、生物の身体の構造について好奇心が広がっている。もともと形態論や進化論には興味があったのだが、自分自身の体とリンクして、その興味が賦活されている。

倉谷滋『分節幻想 動物のボディプランの起源をめぐる科学思想史』(工作舎)を読む。
ゲーテによって創始された形態学は、「分節的繰り返し構造(メタメリズム)」を生物の形態のコアとなる基本性質と考えてきた。
現代の文化人類学者グレゴリー・ベイトソンは『精神と自然』で「それが生物であることを納得させる、最も生々しい形態的パターンは分節と螺旋である」という意味のことを書いている。
生物学者は、動物や植物の持つ、根源的な原初の姿として、貝殻のような螺旋形か、さもなければ何らかの分節性を考えずにはおれないものようだ。

単細胞から多細胞へと進化した生物は、さらに「ボディプラン」と呼ばれる「グローバルな組織構築とオーガナイズされた細胞型の分布をベースにした適応的パターンが成立した」第三段階へ進む。
動物や植物の姿は特定の姿を持つが、それをいくつかのカテゴリーにまとま上げ、区別し、体系化できる。それが可能なのは、そこに保存された形の「プラン」をみることができるからだ。形態学とは、この「ボディプラン」を扱う視点である。
ボディプランの謎は、動植物の凄まじい多様化のなかに、まだそこに見えている「分節の兆し」、消すことのできない「分節の痕跡」がみとめられることにある。それがあるからこそ、形態学者は執拗に分節パターンを求める。その分節パターンの直観が、ゲーテやオーウェンに「原型」を想起せしめた。
現代の進化発生学はそれを「発生拘束」の概念で説明しようとしてきたー「昆虫はなぜ二対を超えた翅を、三対を超えた歩脚を持つことができないのか、脊椎動物はなぜ、二対を超える対鰭や足を持つことができないのか、等々……。このように形態変化に限界を定めているのが拘束である。拘束は、進化を超えて保存される器官構造の同一性、すなわち、『相同性(ホモロジー)』をも帰結する。相同性の基盤となる形態素の最もシンプルなものが、分節と呼ばれる発生のモジュール、あるいはそれから派生した諸要素であり、我々は再び、形態をいくつかの単位に分けて認識することを自覚する。かくして形態的相同性もまた、分節幻想に立脚する」。

ゲーテに始まり現代に至る300年の「ボディプラン」をめぐる学説史は、我々のからだの中に、分節性はどのように残されているのかという問題をめぐる多様なアプローチと考えてよい。
著者が「形態学の真髄は、植物においては『花』、動物においては『頭』のような特殊な構造を、それ以外のからだの部分と同じ基本構成要素の変形としてみることにつきる」と書くように、それは動物形態進化学的には、主として頭の由来をついての問題として焦点化される-「形のデフォルト(初期設定状態)は、動物の体幹や、植物の茎や葉に見出され、頭部や花はそれらが二次的に、極端に特殊化したものとみなされる。つまり、頭部は体幹の派生物とされる」。

著者は800頁を越えるこの大著で、「頭部問題」をめぐる300年の学説史を丁寧に追っていく。とりわけ20世紀以降、遺伝学と分子生物学が融合し、さらに発生生物学と融合したところに始まる現代の進化発生学、ここに形態学的視座がどのように噛み合って「頭部問題」が照射されていくか、その複雑な経緯は知的な興奮に満ちている。

その学説史は、形態学的視座が先験的認識論を乗り越えていく過程でもあったと言えるのではないかー「形態学が先験論的認識論として生まれてより、我々は伝統的な形而上学にならい、動物門を定義するボディプランの記述にある種のツリー状システムを導入し、それにもとづいて記述することに慣らされてきた。動物体の前後や背腹の極性、発生上の胚葉の数と種類、中枢神経と消化管の位置をまず同定し、それを確認してのちにおもむろに特殊相同性に言及してきたように……。これは一見、そのようにはみえなくとも、形而上学的に理想化された形態と進化の関係図式を仮定した考察にほからない」。
つまり、ツリー状、かつシステマティックな思考へと向かうのは、人間の形態知覚や認識、もしくは言語表現に大きく依存した形式化であるにすぎない。通事態としてのボディプラン進化はおそらく、人間の記号論的認識が順序だてて記述するようには体系化されておらず、また階層化されてもいないー「遺伝子の相同性が、相同な遺伝子だけでなく、ときとして染色体やその一部の相同性と結びつき、またあるときは特定の細胞型と結びつき、さらには特定の発生的形態と結びつくように、進化的に保存される『結合』は、ツリー状に階層化された相同性ではなく、むしろレイヤーを飛び越えた、モジュラーで散発的な相同性を生み出す。このレイヤー横断的『結合』そのものが、おそらくはいまだに記述しがたい発生拘束の源泉の正体であり、ならばまったく異なったボディプランの上に、相同的なHoxコードや相同的な分節性が現れることは十分可能なのである」。

この箇所を読んでいて、アントニオ・リマ=デ=ファリアの論述を想起する。突き合わせて読むと、さらに理解の幅が広がるのではないか。ここで問題となっているのは、「形態素」がいかに現勢化しているのか、ということだが、その問題を考えることは、人間の認識を超えた高次の原理について考えることでもある。

アントニオ・リマ=デ=ファリア『生物への周期律 自然界のリズムと進化』(松野孝一郎監修 土明文訳 工作舎)。

地球上で可能となった生物進化は、宇宙規模での物質進化の内に現れてきた、ささやかでありながら興味深いエピソードの一つである。(松野孝一郎)


著者の主張は、「生物の諸特質は、単一の様々な原子や結晶が命ある細胞のあらわれる前に獲得し、その形成に影響を与えた周期的秩序の反映である」というもの。
つまり、生物の進化において、自然選択よりもむしろ物質とエネルギーに内在した自律進化プロセスを重視するという立場である。
こう書くと生物の特質を物質の物性のヴァリエーションとする還元主義的な主張のように感じられるが、必ずしもそういうわけではない。生物が物質の基盤のうえに成り立った現象であることは論を待たないが、そうであれば物質の物性が生物の進化に影響していることは、むしろ当然であると言える。
論者は、生物の進化において、しばしば周期性と考えるのが妥当であるような現象が見られることに着目する。
その特徴として、生物の進化史上、完成した機能と構造として突如出現するということ、それは進化の系統学的な位置にも環境的規定性とも相関性を持たず、しかも反復して生起する。

どういうことか。例えば飛行という機能は、「その複雑な構造と機能にもかかわらず、進化を通じて五回以上、独立して出現した」。
著者は、飛行が如何に複雑な構成物かを論じ、それが進化という歴史において偶然的に獲得されたものだとすれば、この統合された性質群の反復は説明がつかないと論じる。
「飛行」、そして例えば「眼」の獲得といったような進化史上くりかえし反復する機能を観察すると、それは偶然的な創発現象ではなく、といって無論「神の意志」によるものでもなく、物性に内在した周期性の自律進化の強い影響を考えざるを得なくなる。
飛行、眼、胎盤、鰓、陰茎、発光、水生といった生物の機能面において、著者はその周期性の具体的な事例を詳細に論じる。例えば、クジラなど、水生回帰した動物の、みるみるうちに水生の特性を獲得していく経緯を知るとその機能的な性質群のカップリングが自然選択によるものとは全く考えられなくなる。
知能もまた、周期的に出現する機能のひとつだ。無脊椎動物においても、例えば頭足類、社会的昆虫などには高度な知能が認められる。

生物とは構造即機能として存在している。機能の周期性とは、構造の周期性でもある。機能面ではなく、構造面から見ていくと、例えば化学的周期性、鉱物の進化から、細胞の発生、植物、動物までの連続性が、さらにわかりやすく観察できる。
著者は、水や炭素、ケイ素などを取り上げ、結晶化学の知見を援用し、その単純な原子の構造が、花の花弁やヒトデの腕などと同じ要素の規則正しい環状配列を決定する能力を持っていることに注意を促す。さらに、鉱物の結晶プロセスと植物の規則正しい変形を対照することで、その構造的連続性を見て取る。
そして、様々な事例の詳細な検討を経て、鉱物界、植物界、動物界に共通して適用できる構造的変形を定式化する。少し長くなるが、非常に面白いので、そのまま引用しよう。

1.二つの単位が結合すると、それらは互いに鏡像になり、そのために左右対称が生じる傾向がある。その例が双晶であり、二枚貝や植物の葉やヒトの体の対称性である。
2.三つ以上の単位の結合体は、中央から放射状に生じ、その中心から成長する傾向がある。(…)
3.放射状に結合する単位は、(1)同じ形、(2)同じ長さ、(3)同じ色になる傾向がある。化学元素の原子番号がその色に影響を及ぼすことは、よく理解されている事実である。
4.単位の数の増加はそれぞれの単位間の距離の変化ともなう。その結果、単位間の平均距離は同じものに維持される。それゆえに放射計形は維持される。
5.すべてのレベルの組織において、結合する単位には最適な数がある。ケイ素原子は六、水の結晶は六、花弁は五、ヒトデの腕は五、昆虫の脚は六、八方サンゴの触手は八、ヒドラクラゲの触手は四、脊椎動物の肢は四である。
6.中間的な解決法は排除されるか回避される。これは、ケイ素レベルで観察される。もう一つの極端な例だが、生物の形成における単位の付加は全か無のプロセスである。肢は形成されるかされないかのどちらかである。他の構造や部分的な構造は鉱物、植物、動物では出現しないように阻害されている。
このように、植物と動物において器官が結合して大きな体構造が形成される際の秩序は、いいかげんなプロセスに由来するわけではなく、もっと前の原始的なレベルですでに機能していた原子配列にその起源を持っている。

繰り返すが、これは、すべての構造が原子の構造に還元されるという主張ではなく、むしろ、原子レベルでも、関与する原子が違っても、原子間での「模倣」による構造的周期性が認められるという、汎周期性の議論であるということを、ここでまた確認しておく。
生物の進化に先行した、物質とエネルギーに内在する変形プロセスの重要性を説くのが、ここで著者が主張する「自律進化」の考え方だった。
私にとってたいへん興味深いのは、この考え方をもつと、素粒子から生物までを、還元主義的でも目的論的でもなく見る視座を開くことができるという点である。
この本の監修である松野孝一郎が説くように、ここで開かれる視座は、物質も生命も含めてこの宇宙を構成する存在一切が内部観測的にしか捉えられない、メタ視点の無効性を証する視座でもある。
内部観測的視座において、生物は構造即機能だが、物質もまた形即性質であると言い得る。
ところで、この本、大筋を要約しようとして読み返していると、一節ごとの示唆が豊か過ぎて、その都度複線的に思考が賦活され、興奮して収まりがつかない。あとは、自分の防備的な意味で、特に興味深い議論の焦点を抜粋しておく。

・原子は他の原子の性質を擬態する。
・鉱物中の原子プロセスは、最終的なパターンを変化させることなく化学的変異を可能にするとともに、基本的な分子構成を変化させることなくパターンの変異を可能にする。
植物と動物の擬態が依存しているのは、類似したDNA配列に加え、タンパク質やその他の分子の鍵となる原子の電子構造である可能性がある。
・遺伝子は必ずしも基本的な機能を生み出さない、単に促進させるだけである。
・鉱物とタンパク質と糖質は、結晶化学的なメカニズムに従って結合し、軟体動物の貝殻を形成する。
・右旋型と左旋型を消し去ることはできなかった、それは素粒子からヒトにまで生じている。
・形態と機能が従う原則はすべての組織レベルで同一である。

アントニオ・リマ=デ=ファリア『選択なしの進化 形態と機能をめぐる自律進化』(池田清彦監訳 池田正子+法橋登訳 工作舎)。これは『生物への周期律』の前著である。自律進化の諸原理がまとめられている。原理というより、特質と言った方がいいかもしれない。とりわけ示唆的と思われる箇所を要約しつつ抜粋しておく。

1.進化は物質とエネルギーの本性から発生した現象である。自律進化は物質とエネルギーの不可避の過程である。なせならそれは物質やエネルギーの性質から逃れることができないからである。
2.生物進化は進化の最初の過程でも最重要の過程でもなく、進化の末端もしうは二次的な過程である。
3.生物レベルに達する以前に、進化は素粒子、化学元素、無機物の三つのレベルで自律進化系を通ってきた。
素粒子、化学元素、無機物の進化はそれぞれのレベルに固有の、安定と変化に関する厳格な法則に従っている。
4.三つのレベルに共通な法則。
-1.すべての形態と機能は少数の基本形態と基本機能から導かれる。
-2,組み合わせは新しい形態と機能を形成する唯一のプロセスであると思われる。
-3.組織化には対称性と非対称性が関与している。
-4.変異の数は限られている。
-5.すべてのレベルにおいて秩序が存在する。
5.素粒子レベルの現象は物理学的刻印を生物進化に付与した。それらは、重力、磁力、電気力、光、温度などである。たとえば、重力は生物進化を方向づける基本的要因である。
化学元素、特に炭素は生命現象の基本的性格を決定する。自然界に存在する3000前後の無機化合物(鉱物)はすべて七つの結晶系に含まれるが、それは鉱物学的刻印を作った。無機物は生物の不可欠な成分である。細菌、植物そして動物の進化の枠組みを作ったのはこのような刻印なのである。
6.生物進化は変異から導かれる現象ではなく、おもに枠組みの固定にもとづく現象である。変異はこの枠組みの内部の現象にすぎない。枠組みを逸脱した変異は全体的な不整合を起こし、存続できない。枠組みなしには物質とエネルギーは秩序を保てない。
秩序は秩序からのみ生ずる。
7.すべての新レベルは典型的な革新としてあらわれるが、これはなにか根本的に新しいものが生ずるからではなく、先行するレベルにおいてすでに限定されていた組み合わせをさらに限定するからである。新しい進化のレベルで使われなかった組み合わせは、決してよみがえらず、おきざりにされたままになる。
8.すべての細胞はたった一つのオルタナティブ(潜在的に可能であった多くの形式の中のたった一つの形式)にもとづいている。というのは、それらはすべて遺伝的物質としてDNAを持っているからである。
同様なことは無機物にも、化学元素にも、素粒子にもいえる。化学元素は唯一のオルタナティブである水素にもとづき、素粒子は二つのオルタナティブ、クォークとレプトンにもとづいている。それゆえ、素粒子は非常にユニークにみえるのである。
9.一般に進化現象は二つの相補的なプロセスに支配されている。第一のものは物質、対称性、形態からなり、第二のものはエネルギー、非対称性、機能からなる。これらは正反対のものであるが、分離することはできない。エネルギーは物質に変換し、物質はエネルギーに変換する。機能は形態なしには存在し得ないし、形態は機能を作る。対称性は安定性を帰結し、非対称性は現象を創造する。
10.動植物の多くのパタンの基礎である対称性は、無機物(鉱物)においてもはっきりしている。無機物には一、二、三、四、六回の対称性が普通にみられる。植物や無脊椎動物にしはしばみられる五回の対称性は最近、準結晶で発見された。
11.花や人体の非対称性はL-アミノ酸などの巨大分子に存在している非対称性に由来している。さらにそれらは左旋性のニュートリノまでさかのぼれる。非対称性は生物機能の前提であり、無機物にも存在する。
12.生物-無機物間、動物-植物間にみられる類似は偶然か、せいぜい相似であって、相同ではないと考えられている。しかしこの考えはパタンや機能の形成の根底にある物理化学現象に対する無知からきている。
すべての形態は相同的である。相同の程度の違いがあるだけである。似ているのは、偶然でも相似でもなく、同型性に由来するのである。葉、幹、根、骨格、等等のすべての生物の形態は、無機物さらには物質の初期の形態にさかのぼれる。
13.すべての機能は形態と同じように相同的である。同じ機能は偶然でも相似でもなく同機能性に由来する。複製は、すでに並んでいる原子に同じ原子を付加するといった単純な形式で無機物にもみられる。これは結晶化と呼ばれるプロセスである。
結晶は壊れた部分を修復して、もとに戻るが、同じように無脊椎動物や脊椎動物でも切断された手足などを再生することができる。卵割と石鹸の泡の分割はよく似ているが、最近の研究によれば、石鹸の泡と卵細胞の膜はよく似た化学構造をしているという。
14.形態と機能の類似性は物理化学的性質を作る原子と分子の布置に帰因する。
15.安定性を保つ能力とともに形態の変異を生み出す能力は、遺伝子の発現以前に存在していた。水、石英、方解石は遺伝子を持たないが、固定されたパタンを保ち、同時に基本パタンから多くの変異を生み出すことができる。雪の結晶はすべて六方晶系であるが、その変異は数千種もある。
16.生物の出現にともなう最大の出来事は生殖ではぬく、タンパク質、RNA、DNAの間の相互依存サイクルの固定である。
17.遺伝的装置はその出現時から強く方向づけられている。タンパク質-DNA-RNAの相互依存サイクルは厳格に固定されたものである。これらの分子のうちで他の助けなしで作られ得るものは一つもない。
タンパク質はDNAから作られる。RNAはDNAから作られる。DNAはタンパク質の逆転写酵素によってRNAから作られる。DNAはその複製のためにRNAのプライマーを必要とする。
18.自己集合は自律進化の目に見える結果である。それは素粒子から生物までのすべてのレベルで生ずる。自己集合は自律的で階層的である。素粒子は自己集合して原子になり、原子は巨大分子を作り、巨大分子はオルガネラと細胞を、細胞は結合して生物個体を、個体は自己集合して社会を作る。
ウイルス、リボゾーム、カイメン、ヒトの静脈は実験的に自己集合によって作ることができる。
19.動物やヒトの社会はちょうど個体が細胞の自己集合によって作られるように個体の自己集合によって作られる。両者とも受容器によって認知される物理化学的信号に支配されている。光や音のような物理的媒体は集合プロセスの重要な要素である。
視覚は形や運動を認知するのに使われ、鳥の歌やヒトの言語はテリトリーの区分けのために使われる。集団の形成は食物、唾液、性分泌物の交換に支配されている。化学物質は生殖を抑制したり賦活したりするし、内因性の物質は渡りを支配している。
20.自律進化には自律性とは反対の統合によって特徴づけられる要素もある。素粒子から社会までのすべてのレベルの進化おいて、自己集合は特別な統一体を構築し、同時に要素の独立も引き起こした。
この部分自律性は、原子レベルでは放射能という形をとり、裁縫レベルではガン、社会のレベルては個人による反抗となってあらわれる。
21.生物進化は共生過程である。細胞はいくつかの自律進化系のモザイクである。それらには次の二つのタイプがある。第一のタイプは生命の出現に先行した自律進化系からなり、素粒子、化学元素、無機物という形で細胞の部分をなしている。
第二のタイプはミトコンドリアや核のようなオルガネラかりなり、これらは細胞と呼ばれる共生統一体として集合する以前には独立した存在であったと思われている。これらのすべては自身の自律進化系を持つと同時に、それらが現に属している新しい統一体に従属してもいる。
このような二面性が長い間進化論者を悩ませた進化における非適応性と不安定性の主原因なのである。
22.倫理も他の生物現象と同じように物理化学的基礎を持つ。正義や真理のための戦いの原因は体内で生ずる物理化学的信号に求めなければならない。利他行動や協力行為も自律進化過程が内包する自己集合現象として理解できるかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?