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仏教の時代が来ています

高野山は、今から1200年前に、唐から帰ってきた空海さんが嵯峨天皇(さがてんのう)から、密教の道場を開いて良いというお許しを得た場所です。真言密教の聖地として知らぬものはない、平成28年に世界遺産にも登録された日本で最も注目される場所のひとつです。高野山は和歌山県にあります。東京方面からの鉄道には直通のルートはなく、一度大阪まで出る必要があります。南海線のなんば駅から1時間「こうや号」にのり終点の極楽橋駅で降ります。そこから高野山口駅までケーブルカーに乗り、バスに乗って高野山に行きます。はじめて高野山に行く道中、「極楽橋」という駅があります。その駅に着いたとき、何かを覚悟を決めたという感じがしました。

高野山の始まりとマンダラ

「なくよ」と言えば「うぐいす平安京」。では「むれなす」と言えば、「かもめ遣隋使」、そう小野妹子。では「白紙にもどす」と言えば、「遣唐使」のことです。全盛期の唐(中国)の領土は中央アジアまでに及び西方との交易も盛んでさまざまな文化の最先端でした。西暦804年日本では平安時代です。最澄38歳、空海31歳の時、同じ遣唐使の一員として唐へ向かうことになりました。最澄は、桓武(かんむ)天皇に認められていて、エリートで超有名人、旅費などの費用は全て無料、しかも通訳付きの特別待遇でした。一方、まだそのころ、無名だった空海は、長期滞在が義務づけられたその他大勢の留学僧でした。

唐で空海が目をつけたのは、当時最先端の「密教」でした。空海は難解な古代インド語であるサンスクリット語をすぐにマスターし、さらに、密教の教典やマンダラを日本に持ち帰りまた。そんな空海に対し最澄は、エリート留学のため滞在期間は短く、当時主流だった天台宗の奥義をマスターした程度でした。やがて、日本に「密教というものが大きな力を持っている」という情報が入ってきました。嵯峨(さが)天皇は、密教をマスターしていた空海に高野山をあたえ、仏教で国家を護る役目を任せることにしました。そのことはまたたく間に天下に広まり、空海の名は、エリートの最澄と並ぶようになりました。

頭のいい最澄は、硬直的思考や権威志向の持ち主ではなく、よく機転がききました。最澄は、なんと空海に弟子入りをして中国で学ぶことができなかった密教をマスターすることにしました。それまで密教の奥儀は師匠から弟子へ口伝えで伝えられていました。密教は言葉で伝えるには難しいので、絵で見せれる方法が生まれた。それがマンダラでした。

高野山駅前は、私が思っていたイメージとは違い、世界遺産というわりになにもありませんでした。高野山の街中は、駅前とは随分違って賑やかで、欧米人の観光客が多いことに驚きました。今日の欧米は東洋ブームが続いています。瞑想や禅といった仏教の真髄が、マインドフルネスという言葉になって日本に逆輸入されています。禅寺の多い京都を訪れると、本物の瞑想や禅、仏教を知りたい外国人で賑わっています。高野山も同様です。高野山で宿泊するのはお寺の宿坊。私たちは東の端にある恵光院に泊まりました。宿坊に着くと、次のイベントは阿字観での瞑想(30分間)が待っていました。こちらは僧侶が肩を叩くようなハードなものではなく、どんな座り方でもよく、ゆるいものでした。宿坊にも欧米人が多くいました。瞑想が終わると食事。もちろん精進料理。お酒も呑めました。

食事が終わると僧侶の案内で夜の奥之院に参拝する「奥之院ナイトツアー」。薄暗い中、今でも弘法大師(空海)がいるという奥の院まで約2キロの参道を、提灯を持って歩きます。参道は、樹齢700年を超える杉の古木に覆われ、道の両側に戦国大名の墓石(供養塔なので埋葬はされていません)や企業の慰霊碑など約20万基が並びます。聞いただけだど薄気味悪いが、実際はそうでもありません。”大人のきもだめし”感覚の夜参りツアーは、1時間ほどで弘法大師が入定した御廟に到着しました。こちらも欧米人が多く参加していました。案内役の僧侶も流暢な英語で説明していた光景は、違和感などなく、高野山に来てから終始見て取れたアンバランスなところに、日本の最先端を感じました。高野山では外国人も日本人同様みな宿坊に泊まり、障子で仕切られているだけで鍵のない部屋で過ごし布団で寝て、もちろんベッドも、ユニットバスもトイレもない。畳に座って御膳で食事をします。欧米人は大丈夫だろうか、いや意外と楽しんでいるのかもしれません。日本人でもけっこう楽しい。

朝は外が明るくなるので自然と6時に起きます。6時半から早朝勤行(お経)。7時から毘沙門天で、太鼓の音に合わせた軽快なお経と、燃え上がる炎の護摩焚きを間近で見ました。それはまるでコンサートのようなエンターテインメントを感じました。朝食。そして写経。

日本人もさるとこながら欧米人も多く来る理由がわかるような気がしました。高野山には、朝起きてから寝るまで、人を楽しませるコンテンツがすでに沢山ありました。そして、お守りやお札、神社仏閣のノベルティグッズ、胡麻豆腐などの名物の売物もありました。もしかするとこれも空海の仕業のような気がしました。ホテルとは違い、部屋にはトイレもお風呂もなく共同です。高野山のお寺で、一日のはじまりの朝の勤行、護摩祈祷、瞑想などはじまると、本堂は外国人でいっぱいになります。流暢な英語で案内する僧侶を見るとタイムトリップしたような不思議な感覚がありました。1200年前、最新の仏教を求め唐に渡った空海さんのように、本物の仏教を求めに来る外国人が増えていると思います。人生を豊かにするために仏教の智恵が必要だと世界中で気づきはじめていると思います。

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