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私のテキサスコロナ記。噂のハイドロキシクロロキン飲んだ話


始めに

 普段は他愛のないこと、アホで生意気なことしか言わないながらも、相手にしてくださるツイッターの仲間に感謝します🙇‍♀️。これを読んでくれる全ての人にも感謝です🙇‍♀️。皆さんが聞いてくれなかったら、私の書くことはただの独り言です。ノートは初めて使う上に、普段から日本語の文章は140字しか書かない生活になってますので、下手くそな文章お許し下さいませ。また、日本では外国からの帰国者が罹患していることを責められるという悲しい風潮もあり、日本にいる家族のことを思い、書くことを躊躇ったため、3月に罹患したのですが、今頃の公開と相成りました。家族からはありがたいことに「書いても問題なし!」と了承貰いました。
 あくまで「私の場合はこうでした」というだけの記録ですので、参考にはならないかもしれません。長いので面倒でしたら最後のまとめだけ見てください。


軽い自己紹介

アメリカはテキサス州のヒューストンに住んでます。仕事は零細コンサル会社の事務員、趣味は剣道で三段、下手くそながら防具担いで世界中を稽古に訪ねるのが楽しみとしてます。英語はまあ出来る方なので剣道セミナーで通訳させていただけるのが喜びです。

 ここが重要なのですが、私非常に身体が丈夫に出来てることだけが自慢のような人生を送ってきました。多分やたらに元気であつかましい剣道おばさんとして周りに認識されてると思います。バカは風邪ひかないを証明できるくらい風邪も滅多に引かないのが… 今回は本当に参りました。

現在46歳、子供は2人、息子21歳は巣立ちNYへ、娘14歳は平時ならイギリスのボーディングスクールに行ってます。(今は家でリモート学習中)


1.  3月15日 パリから帰国

 2020年3月上旬に娘に会いにイギリスへ行った後、パリに移動し3月15日にシカゴオヘア経由でアメリカに帰国しました。ヨーロッパにいる間は全く症状のようなものはなく、行動中は基本マスク着用でした。

 ドゴール空港からシカゴまでの飛行機は6割ほどの乗客で、それほど混んではない印象ですが、機内で割と近くの聞こえるところで頻繁に咳をしている乗客がいて、嗚呼ヤダなぁと思ったのは鮮明に覚えています。

 着陸前に機内でWiFiでTwitter見たら、前日から始まった検疫のアレンジがうまくいかずに、24時間前に空港がこの状況だったということを知り戦慄!(写真はTwitterより)

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 今コロナじゃなくてもこれで運の尽き...と思いきや、恐るべしシカゴオヘア空港、なんとこの問題を1日で訂正解決出来たらしく、着いた時同じスペースは

ガラ空き!


 15日に着陸し、検問・検疫があり、そこでの体温検査では平熱でした。額に付かずにピッとされまして97.8度/36.5。

 時期的にアメリカでも外国からの帰国者は14日間家を出ないルールが適応されて、14日間自宅でお篭りする様に言われます。(でも特に罰則がありそうではなく追跡もされない、ってか特に誰も電話かけてきたり無かったですので、個人の良識に頼っています)熱や咳など症状出たら行きつけの医者かここに電話して、って州ごとのHeath Departmentのリストも頂きます。

 15日の夜にヒューストンに国内便でたどり着きました。国内便はそれほど混んでなくて横列独占。もちろん検疫されて身を引き締めて空港でも出来るだけ人から離れソーシャルディスタンスの稽古。わりに空いている空港では遠間どころか9歩の間合いも不可能ではありません。

 空港からはウバー。私もドライバーさんもマスクしてて、席には貴重品のハンドサニタイザーが常備してあります。挨拶のみでいつもの軽い世間話も慎みます。会話も家に着いたら恒例の旅の間の食事を愛しむ様に体重もチェック。141ポンド/63.95kg、(身長は162cm) まあこんなものかと就寝。熱は98.2度/36.8 。


2. 3月16日、結膜炎と発熱。

 何かだるいけど時差ぼけと旅の疲れだろうと気に留めず、つぐつぐと溜まった雑用を済ませます。

 16日の夕方にに目が痒くなり、白いとこがぷよぷよする結膜炎になりました。私はドライアイで結膜炎は結構しょっちゅうやるので(そのせいで目を擦る癖があるのは非常によくないポイントです)、目薬差して気にも留めてなかったのですが、夜寝る前に熱が出てることに気がつきました。99.8度/37.7 (帰国したら14日分のチャートもらって朝晩熱を測って記録する様に指導されます。)


3. 3月17日 早速検査!

 朝から100度/37.8。昨夜熱が出ていることに気がついて、朝までに下がると良いなぁと思ってたのですが、上がる一方。身体がものすごくだるくなり、何かあばらのあたりをコルセットで締め付けるかの様な体験したことのない痛みを感じました。

 軽く咳が出始め、これは良くないと思い、取り敢えずかかりつけのオバマケアのクリニックに電話を入れてコロナ検査(一般的に日本のPCR検査はdiagnostic test と呼ばれています。以下「検査」とはPCR検査のことです。)は出来るか聞いたら、なんかやる気なさそうな感じのオペレーターが「それはドクターに聞かないとわかりません、予約入れて取り敢えず来てください」って言います。そこのクリニックはウォークインも受け付けるくらい庶民的なクリニックで患者さんは80%ヒスパニックなエリアです。

 待合室は結構混んでます。それは余りにもヤバイでしょと思い、

「私コロナの疑いがあるんですよ、ヨーロッパから帰ってきて咳してるし、熱あるんですよ!待合室の人に移すかもしれないんですよ!」

って言っても何か他人事のようで(この頃はまだテキサスは検査そのものが大きく普及しておらず危機感もかなり薄い状態と判明)「まあ予約入れたいの?」ってな感じ。そのあまりの緩さに人に移す可能性は避けたい!と私自身の判断でそのクリニックには行かないことにしました。

 その事を気のおけない剣道クラブのRockyという医者(名前はアレだけど小柄な香港出身の若い兄ちゃんです笑)に電話で相談してみます。(うちの剣道クラブは病院できるくらいの医者と石油会社できるくらいペトロエンジニアが多い笑))

 すると、同じクラブのPaulが小さなクリニックでPA(physician’s assistant、すみません、よくわからないけどナース以上医者以下って感じらしい)してるので、彼のとこ、どうか聞いてみるって言って、なんと10分後に、

「そこ行ってパーキングで車で待機といて!隔離して検査してくれるって!今、検査入荷したばかりで10個あるらしいから、今行けば検査できるって!」

との超ラッキー朗報。持つものは親切な剣友、2段のRockyにも無段者のPaulにいつも優しく形を教えてあげてて良かった良かったと1人頷きます。即予約の電話を入れて車で15分ぐらいのクリニックへ訪問。

 着いて中に電話したら看護婦さん(マスク手袋ゴーグルはしてるけど完全防護服ではない😱)がエスコートしてくれ、他の患者さんとすれ違ったりしないように配慮してくれました。Paulも検査に入ってきた時、マスク手袋ゴーグルだけで防護服なし。あなたヤバくないの?って聞いたら一人一人で交換するだけのサプライが無いとの事。

 Paulは私が帰国直後である事や症状を聞いて「今年はインフルも流行ってるしー、心配しすぎじゃなーい?でも、あなた世界中ほっつき歩いてるからコロナかもねー」ってあっさり言ってくれます。クリニックの個室で例の長い綿棒で検査初体験、かなり奥まで入れられてふがぁっ!とします。後で、その図をネットで見つけ、ああこれ事前に見なくて良かった!っとため息つきました。

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 念のため、インフルのテストもしてくれました。左の鼻の穴にコロナの綿棒(これはコロナの半分ぐらいの深さで済んだ)その次、右の鼻に穴にインフルの綿棒。「This is my first time DP and I never thought it will be with you! 」と軽口叩きお互い爆笑。(お下品なので調べなくていいです笑)

 お代は$130。まだ、NYの様に行政が一般人にタダで検査できる場所がヒューストンでは少なかった頃なので、直ぐに検査してくれるだけでも、ありがたいとクレカで払います。私が受付でごちゃごちゃしなくていいように、カード持ってって払ってくれたのはいいけど、戻ってきた時もうマスク手袋付けてない!😱

 近くに来るなよ!って言ってそのカードとレシートはデスクに置いといて!って摺り足でコロコロチェアで後すざりしながらいうと「大袈裟だなぁ」ってなんかとてものんびりしています。

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 ついでに、「こないだ大統領と議会でコロナ検査タダって言ってたよ」って$130に食い下がったら「ウチはプライベートクリニックだし、後で保険でカバーされるかもね」程度でゲーム終了。結果は5ー7日で来ると聞くけどこれが大間違いで....


4. 3月16日夜、 味覚と嗅覚なくなる


 検査に行ってる間は少々興奮してたこともあり、気がつかなかったけど家に帰ってきたら、いきなり疲れが出てぐったりします。というより、いきなり全く何もする気が起きません。ただひたすら横になっていたい。咳もひどくなり熱はその夜、101.2度/38.4 まで上がります。食欲は全くなし。普段、大好きな韓国の激辛い袋麺なら食欲も湧くかもと期待し、朦朧としながら作ったのですが、

なんと味がしない!

コレです。

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 辛いという刺激はわかるのですが、フレーバーというものが全くしません。コロナの症状に味がしない、匂いが分からなくなるという事を思い出しました。帰国の前日の最後のウマ飯である夕食のチーズもワインも大変香り高くおいしかったので今の状態は明らかにおかしいと実感。

 夜寝てる間に汗びっしょりになって憔悴。


5. 3月18日〜20日 熱!苦しい!痛い!

 朝になっても熱が下がりません。101度/38.3  

 胸の上を誰かに足で踏んづけられてるかのように圧を感じて苦しい。空気枕の下8割を踏んづけた状態で、上の方残りの2割で息をしているような感じです。

 咳はますますひどくなり、咳の隙間に息を吸う時、何かハフハフヒュヒュ(大きく息ができないのでヒューヒューにならない)とした感じで息をすること自体が苦しくなってくる。

 深呼吸とかもちろん無理です。なんとか吸えてる息に酸素入ってるのかな?って思うくらい、カラ咳という言葉に合わせてカラ息とでも呼びたいような感じ。身体中がひどい筋肉痛になったかの様に痛みます。

 凄い頭痛がその上に!

 私は鈍感なのかストレスがないせいか、今まで頭痛というものをほとんどしたことがなくて、みんなよく頭痛くなるもんだと思っていたのですが、今回は46年分の頭痛を一気に練成大会かというほどの頭痛を経験しました。

 頭もですが、目も痛い!まるで眼球が熱くなりそのまま頭蓋骨に陥没するんじゃないかという痛みでこんな痛いの初めて!の連続です。

 胸が苦しいと同時に背中やアバラまで痛いのもビックリしました。それで咳が出る度に身体中に響き渡る様に痛むのです。

 そういう状態が100〜101.5度ぐらいのまま3日間続きます。あまりの辛さに痛み止めのタイラノール飲んでもたいして効きません。(ibuprophen は飲んだらいかんという意見もあり、飲んでません) 

 この間トイレに行くのも這っていく様な感じにキツいくらいで、食べるものは最低限で豆腐のスープかおじやで済ませます。なにぶん食べる元気もない。横になって息するのが精一杯で多分1日に一回しか食べてません。

 この間、完全に1人なのですが誰もいなくてよかったと思う反面、あまりに咳が酷くて呼吸が苦しくなった時「このままぶっ倒れたらどうしよう?」とか思う瞬間もありました。でも救急車を呼ぶとこまでは行かずに済んだので、これぐらいでも医療関係者に言わせたら「軽症」の部類に入るのだと思います。


6. 3月20日。 ハイドロキシクロロキン

 しかしながら、あまりの苦しさに這いつくばりながら(いやもう椅子に座るだけでもキツい)、マラリアの薬ハイドロキシクロロキンが今のところ「効くかも」とのこと、その頃すでにトランプ大統領がプッシュしてたこともあり一応自分でもリサーチして、マラリアの薬はアフリカで長いこと仕事していた前夫もしょっちゅう飲んでたし、「あんな安い薬で多数の人に飲まれてる薬だから分量さえ守ればそんな簡単に死なないと思う」といい加減なこと言ってるので、藁を掴む気持ちで検査してくれたPaul に聞いてみました。

 もちろん、アビガンはアメリカではありません。彼はやはりいくら大統領がプッシュしてるからって、まだコロナの治験が大々的にないんだし...と消極的。

 私は基本的に出来たばっかりのピカピカ新薬よりも何十年も他の病気に使われてて副作用もはっきりしてる薬を信用したいという気持ちがあり、しかもリュウマチやlupusの薬でもあるので、市場にないことはないはずだし、分量さえ保守的にしとけば、ってんで頼み込みました。

 上司の医者と相談してくれたらしく、暫くして処方せんを薬局に送ってくれました。(もちろん万一死んでも誰も訴訟しないし自己責任だから!と言っときました)友人に即取りに行ってもらい、ついでに食料も少し野菜など買ってきてくれて、ドアの前に置いといてくれたので大変ありがたかったです。最近はVenmoってのもあってお金のやり取りも便利になったものです。心もちのお礼も含めてスマホでピッ。ハイドロキシクロロキンは$42。

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 早速、その日飲み始めます。一錠200mgが二十錠、朝晩一錠づつ飲みます。(もらったすぐの正午ぐらいに一錠目、寝る前に二錠目飲む。


7. 3月21日。 効いたかも!まじか!

 三錠目を飲む次の日の朝、熱が98度/36.6まで下がっています‼️‼️

 なんと深い痛い苦しいトンネルからいきなり外に出てきたように感じ、咳が前ほどひどくないし、なんと体の痛みも和らいでいます。発熱が始まって初めて生きた心地が帰ってきました。

うっそー‼️‼️

 てな感じです。まだ胸に圧は感じるし、あちこち痛いのですが、前の日とは大違いとだけは間違い無く言えます。

 これは私の体験ですから、もしかしたら飲んでなくても自然に起こったかもしれない小康の時期が来てただけ、だったかもという可能性はもちろん否定できません。しかしあまりにも劇的(にしか思えない!)に効いたので、本当に驚きました。

 処方したPaulもマジで?!と驚いてました。毎日、一応生きてるか?ってPaul とRocky はテキストをくれます。他の友人も必要なものはないか?とちょくちょく聞いてくれます。本当にありがたい事です。持つべきものは友とつくづく感謝です。

 一応、念のためですが、私はトランプ大統領のことは控えめに言って大嫌いです。でも、これ以来トランプがハイドロキシクロロキン関係で馬鹿にされると「大統領はともかく私には薬は効くのよー」っとこのマラリアの薬だけは庇いたくなります。というかトランプ大統領が推したせいで、この薬までトバッチリにあったようで不憫でなりません。

 しかしながら、今も続々とこの薬が全然聞かないとか、死亡率が上がるとか、健康被害をもたらすなどの報道があります。ですから私にたまたま効果があったから、と服用を考えるのは絶対お勧めしません。

 コロナの体験記事は色々あるかもですが、もし私のがちょっと違うかもしれない点を特記するなら、ハイドロキシクロロキン飲んだ!効いた!(と思う)、もうこの件だけです。大統領推しのマラリア薬、効いた!

 因みにこの日の体重は131ポンド。なんと6日間で10ポンド(4.5kg)痩せたコロナダイエットです。フラフラ。


8. 3月26日。やっと検査の結果来たる。 陽性!


 それ以降、薬は毎日きちんと飲みつつ、症状は日に日に軽くなります。やっとこの世に帰ってこれた気分です。

 さて肝心の検査の結果は5日経っても7日経ってもまだ来ません。Paulに毎日生存確認の報告をするけど、「結果まだ?」って毎日聞かれるのもめんどくさかったでしょうが、なんと8日過ぎてから私の名前を看護婦のミススペリングのために結果がどっかで迷子になってたみたいなことを聞き、思い切り「おおらかなテキサスクオリティー....」とずっこけます。

 3月26日、検査からちょうど10日経って結果が来ます。

もちろん陽性。


 でも、その頃には症状はずっと軽くなり、少々の咳と胸のあたりのもやもやとした重さ、ぐらいで一番苦しい時からすると楽ちんです。

 面白いのは、Paulから電話で結果を聞いて3時間ぐらいで、City of Houston のhealth department から電話が来て「2週間極力外に出ないでください」って今更の電話があって「検査行った以外では全く出ていません」って言ったら、お礼を言われてしまいました。当たり前ではないのかしらと頭をよぎります。

 検査日から2週間経ったら、誰かが家まで来て、また検査しますから、と信じられないくらいきめ細かなサービスを提案してくださるのです。(後に裏ぎられる笑)


9. 3月30日、 2回目の検査

 最初の検査から2週間。

 だいぶ良くなった気分と全能感が共に押し寄せ、もう今またテストしたら陰性かなーなんて思いつつ、ほんとに誰か来て検査してくれるのかな?と思い、確認の電話をCity of Houston のHealth Department にかけてみました。

 すると、同じお姉さんが「あー、それ、そんなサービスもうしてないの。一応症状なくなってから2週間で治ったとみなして外出ていいから」とのこと。おおらかなテキサスクオリティー。いったい実際にそういうサービスが行われたのかしらと首をかしげます。

 拍子抜けして、でも検査はしたい!という事で調べたらちょうどその日に隣のカウンティーで自治体がやる無料検査サイトがオープンして、これは!と問い合わせ。まずwebでスクリーニングしてもちろん私は海外渡航と熱咳(過去に)あったので軽くクリア、あっさり予約番号で今から1時間後にどうぞ!とちょうど車で45分ぐらいかかるロケーションを言われて焦ります。

 車に乗るのも久しぶり、そこはホントに田舎のフェアグラウンドで、だだ広いところに野外テントでドライブスルーテストが出来ます。今日オープンしたばかりで、人が居なくてガラガラ!いたのはなんと私1人だけという状態。

 検査自体は初めてきちんとフル防護服のお姉さんがサクッと検査してくれます。車に乗ったままです。お代は無料!

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10. 4月2日 2回目の検査結果は…まだ陽性!アパートから電話が…


 今回は名前を間違えられることもなく、割に仕事の早いLabだったのか、なんと3日後に結果が来ました。

 驕れるものは久しからずというもので、

結果はまだ陽性!


 もうほとんど大丈夫と思っていたらがっかり。
 また14日間のタイマーが始まる。...幸いフリーザーの冷凍資産と豆さえあればなんとか生きていけるし、頼めば友達に買い物もお願いできるので切羽詰まった感じはありません。

 この日、興味深いのは、検査をしたカウンティから陽性の結果報告のあった30分後に、住んでるアパートのLeasing officeのマネージャーから突然電話があり、

「Hi, How are you doing these days?」(最近いかが?ってモロ教科書w) なんか怪しいぞと、

「  I’m fine , thanks, what can I help you with?」(大丈夫ですが何かご用?)  

マネジャー「We just wanted to see if you are all rightモゴモゴ」

って奥歯に物の挟まった言い方をしてはっきり言わない。まあ聞きたいことは分かってるけど、ストレートに聞いてこないのが面白いなぁと思い助け舟。

「私の健康状態についての話ですか?もしそうなら、どちらから情報を?」って聞き返したら、

「それは言えない…」と口ごもるんですね。

 大きなアパートのプライバシーと公共衛生の板挟みになってて困ってるのがよくわかるし、いつもやりとりしてる人なんでまあいいか、と思うが、念の為、

「その情報によって、私がこのアパートを追い出されたり、不当な扱いを受けることはありませんよね?」と一応中墨を取ってから、

「私がコロナって、カウンティから聞いたんでしょ?」って言ってあげました。

「15日に帰ってきてから検査以外はまるで外に出ていませんし、検査に行く時、廊下でも誰にもすれ違ってはいません。ドアノブは触った後、必ずアルコールスプレーでシュッシュしてます。共有エリアは使ってませんし、使わないので安心してください。よっぽどのことが起こらない限り、メンテの必要もないですよ」っていうと、ようやく電話の後ろで安堵が感じられて、少し気の毒に。多分感染者がジムやコーヒーのある共有エリアに出てきたらもちろんヤバイし、そこからクラスターになりでもすれば深刻だからでしょう。気持ちはわかります。

「私も娘を迎え入れるためにアパートユニット全体を病室やバスを消毒する会社見つけたんで陰性確認次第そのハードコア消毒やりますからご安心を、また、陰性になったらちゃんと報告しますんで」って言ったら「まあそれは素晴らしいわ!ありがとう」とお礼まで。

 なんかこの一件で、この国の衛生って一人一人の自覚と善意にかかっててるのだなぁと実感。マスクしないのが自由の権利って思ってる人もいますしねぇ。

 さて余談ですが体調はもうだいぶ回復していて、竹刀を振れる喜びの余り、みんな大好き宇賀店長(知る人ぞ知る剣道ユーチューバー)の素振りアプリを入れました。

 4月5日から張り切ってその次の週にダレてるのがよくわかります笑。多い日はクラブのみんなとZoom素振り(Ciscoの webexだけど笑)の日だからです。自分一人では絶対無理。まだゼイゼイいう感じの日もあるから無理はしてません。(言い訳)

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11.  4月14日。 3回目の検査。


さらに2週間経過。体調はすっかり回復。今度はかかりつけオバマケアクリニックの別オフィスでドライブスルー検査が始まったと聞き、近場だったのでそこに検査に行きました。

 今度はコロナテストにインフルエンザとストレップのテスト。そんで$75と仰る。コロナだけならただでしょ?って言ったら、クリニックのポリシーで「コロナはタダだけどインフルとストレップが$45でCo payが$30なので$75です」って抱き合わせ商法!

 ここでも面白いのは、受付とインフル検査の係はマスク・シールド・手袋で、コロナ検査の係がフル防護服という本当にそれで良いのか!という仕様。普通のスーパーのパーキングでやってるので対面駐車。これは私のお向かいの車。

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 お姉さんにかなりガサツに突っ込まれ今までで一番痛かったです。


12. 4月17日に3回目の検査結果。同じ日に4回目の検査。

やっと陰性!!


 4月17日に陰性の結果の電話が来てその時「1週間以内に2回連続して陰性が出たら回復と見なして刑期が明けます」ってんで、その日のうちにまた同じとこに検査の予約を入れる事に。もうインフル検査、何回もやってて全部陰性なんでインフル要りません!って主張したら、それメモしましたんでって言われて検査場に出向きました。今度はなんとCo payだけの$30。言ってはみるものです。


13. 4月21日にようやく2回目の陰性の検査結果

 2回目の陰性結果が来たのでこれを持ちまして一応年季が明けたということで自由の身となりました。

 でも、家にまだ食べものあったので特にどこに行くということもなくそれまで通り出歩かない日々です。早朝にマスクして公園で散歩はしています。初めて出た時のシャバの空気はそれは素晴らしかったです。笑


14. 免疫検査と血清献血残念

 抗体を持つ感染回復者の血清がコロナ治療に使われていると聞き興味を持ち、熱と痛みと咳にのたうちまわっていた時から、これが治った暁には少しでも人様に奉公できたらと願い、楽しみにしていた抗体検査と血清献血。

 ちゃんと受け付けてくれる病院があり、連絡したらありがたいと歓迎してくれました。普通の献血にもある質問はクリアしたのですが、経産婦はHLAという全くコロナとは関係のない抗原(抗体との違いは私にはわかりません。ググったら抗原って書いてました)がある可能性が高く、このHLAがあると血清献血できないらしいのです。ですから、最初のテストがHLA抗原テストでした。残念ながら私はそれが陽性で想定内とはいえがっかり。献血出来る人だけコロナの抗体検査をしてもらえるということで、そっちも残念。

 NYでは州が大々的に抗体検査をやってるらしいですが、テキサスはそんなこと、ただでしてくれない(笑)。でも老舗のQuest Diagnosticsチェックしたら$120で出来るとのこと。高っ!

 抗体があるからといって、今からもう感染しないのかどうかというのは熱いトピックなので、今からもニュースを注目していきたいと思います。でもなんかこのコロナ騒動に私なりの幕が欲しくて、行ってきました。もちろん

結果はIgG陽性。


ちゃんと抗体はありました。ちゃんラーン!


15. まとめ

• コロナ(私には)いきなりガツンと症状が来ました。

• とてもキツイので罹らないほうがいいです。

• テキサスではあっちゃこっちゃ行ったので検査4回して、4回とも値段が違いました。$130、$75、無料、$30。(笑)

• ハイドロキシクロロキンは(私には)効きました。

• 抗体がありました。


最後に

 長々と読んで下すって、ありがとうございました。私はラッキーなことに一人で、この時期をやり過ごすことができ、不安はありますが、家族に移すかもといった心配をしなくてよかったので大変幸運でした。

 感染経路は不明です。ただ私は目をこする癖があってそれを疑ったりはしています。帰りの飛行機だったかもしれませんし、ヨーロッパのどこかかもしれません。ヨーロッパでお会いしたごく少数の方々には、早いうちに連絡をしました。幸いどなたにも症状はその後なかったようで、胸をなで下ろしております。

 陰性化したのち、アパートの消毒も済み、やっと娘も向かい入れられてホッとしました。(イギリスから来たので、また2週間今度は彼女と隔離!それも終了済みです。)

 皆様もくれぐれもお気をつけてお大事にお過ごしくださいませ。

 ありがとうございました。

* * *

思い出したので追記: 話題のBCGにつきまして。私、小さい頃に祖父が結核で亡くなって、小学校のツベルクリン反応で陽性だったんで「BCG注射」はしてないのです。(皆と一緒にしたかった) ハンコ注射って言ってたやつですよね。

普通の結核免疫とBCG注射からのって違うのでしょうか?すごく気になりますどなたか教えてほしいです。肩と腕はお陰でスベスベです笑。






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