私の可能性の文学

夏目漱石か、織田作之助か。
みたいなタイトルになりました。

「アートと命どっちが価値があるのか?」
最近、ちょっと前に話題になった
ゴッホのひまわりにトマトジュースをかけた環境活動家の言葉、ニュースの見出しを見て数年前に考えたことを思い出した。

今また、昼も夜もずっと考えてる。

芸術至上主義と言えば「絵仏師良秀」
鎌倉時代の説話集「宇治拾遺物語」の中のお話です。

仏画作家の良秀が、
妻子が中にいる状態の自宅が火事になっているところを、
「今まで不動尊の炎を下手に描いてた、これからはもっと上手に描ける!
上手く描ければいくらでもお家は建てられる!」
と、笑みを浮かべていた(雑な要約)
というなんともサイコパスなお話。

芸術か命か、で言うと、もう一個あって

ウディ・アレン原作の"ブロードウェイと銃弾"。
冒頭で主人公の売れない脚本家デビットが、
「火事になって、シェイクスピアの初版本と、
1人の命だったらどっちを救う?」って聞かれて、
迷わずシェイクスピアの初版本!って答えるんだけど、

実際に最後「芸術」か「人の命か」を
選ぶ局面になって、人の命を選ぶんだよね。
もう1人の主人公マフィア・チーチは、
芸術を選んで、人を殺した。

自分が「芸術」を選べなかったことに対して、デビットは「僕は、"アーティスト"じゃない。」って言うのが印象的なセリフなんだよな。

「芸術か、人の命か」の二項で考えると、
すごく遠い世界の思想と感じるけど、
私も似たことを考える日があった。
芸術を至上主義とするか。

例えば、自分の理解の遠く及ばない思想や、
展開でも芸術を以てその現象を驚くほど素直に
受け入れている時があるんだよね。

ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」

やっぱりフォーシーズンズたちって自分資本だから
夢を叶えるために、
巻き添えをくらってるのは女の子たち。
たくさんの女性が映画の中で泣かされて
映画を観てるときは、なんだ!この男たち!
と、怒ってた。でもミュージカル見てる時、完全に忘れてたな。

ミュージカルだけに限らないけど、
多分文学、舞台、その他文字が載る
作品には芸術至上主義的作品と
メッセージ性を大事にした作品の二種類があって、
私は特にメッセージ性を大事にした
作品の方が好きなはずなんです。

全ては、言葉に表せると思ってたし
「好き」には論理があって全部説明できると思ってた。

ミュージカル「ジャージーボーイズ」は、
歌が主人公の作品なので
ひとりひとりのキャラクターに迫ると
本当にクズばっかりで、
女の人をぞんざいに扱って、
最低って思う瞬間もあるんだけど(笑)
その不快を上回る素晴らしいエンターテイメントだった。

自分に新しい価値観を与えてくれた作品として、
すごく心に残ってた。6年くらい前の話です。

そこから、時が流れ、
今はダンス&ボーカルグループの
メンバーを応援しています。

同じようなグループをたくさん見るイベントで
歌もダンスも上手な人がたくさんいる
出会ってない音楽もたくさんあって
見たことないアーティストもたくさんいる。

じゃあなぜ今の"推し"が1番なのか。

言えない、書けない、言葉にできない。
ここが好き、あそこが好き、たくさんあるのに
じゃあなんで1番なの?って聞かれた時に
表現するとしたら、稚拙な言葉ばかりが出てくる。

悔しい、こんなに言葉に書くことが
アイデンティティなのに表現できず、
伝えられないなんて。

でも、そう考えた時にふと思い出した、
これを思い出した。

私はずっと、
アートに、文学に、音楽に、表現に、
表象に、演劇に、サブカルに、
どんな価値があるのか、

目の前で実際に起きていること以外に
本当に意味がないのか。

そうであるならば、虚構になんの意味があるか、
考え続けている。

今向き合ってるのは、
言葉に出来ない「なにか」を
思う価値があるのかってこと。

伝えられない想いに意味があるのか、
それを証明するのが
今の私にとっての可能性の文学です。

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