【日記】2024年8月24日

共通の友人伝いにだいぶ前に付き合った元彼が未だに自分のことを引きずっている、と聞いた。わたしはそれをきいて、「でもまああいつは少なくとも今はわたしと一緒にいないことで、一緒にいた時よりも楽になってるはずだから、ほっとけば」というようなことを返した。
自分で言うのもあれだが、多分私との日々は最高と最悪を行き来する逢瀬だったろうから、今の単純な状態の落差からくる“引きずり”だろうと思うのだ。
結婚式の「健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しい時も…」っていう誓いの言葉について、昔は「病める時、悲しみの時、貧しい時のことだけ聞けばよくない?健やかで喜びに満たされて富める時のことは聞く必要がないのでは」と思っていたけれど、今はなんとなくわかる。
不足や欠損や不幸が人間関係を壊すのと同じくらいに、それらが人間を結びつけ、離れられなくすることが多いということ。相手を必要としなくなっても愛することができるかって聞いてるんだろう。
彼は実際、私の欠損や不幸なところに心酔していてよく「君には俺がいてあげないと」と言っていた。わたしは言われるたびに、過去読んだ小説に出てくる『この人はわたしがいないとダメなの、はわたしはこの人がいないとダメって意味だよ』というセリフを思い出す。そのセリフを鵜呑みにしたわけではないが、私が少し出かけたりするだけで情緒をおかしくさせる彼を見て、当たってんなあ、と他人事のように思ったりもした。

自分のペースを乱されるのが本当に大嫌いなので、もう恋人とかパートナーとかは要らないと思っていて、「ふたりでおいしいものを食べてにっこりしあう」とか「悲しいことがあった時にいつまでも抱きしめてもらう」とか、そういうことも別に全くしたいとは思わない。
だけど彼との思い出にある、駅や本屋なんかでかっこいい人がちらっと目に入って、頭の片隅で「かっこいい人だな」ってなんとなく感じながら歩いていって、よく見たら自分の恋人だった、というもの。
あれはまあ、あと一回くらいはやりたいかもな…と思う。
あと、彼が釣り具メーカーが出してる服に対して延々とダメ出ししながら選んでたので「釣りに行く時におしゃれな格好する必要あるの?釣り人のおじさんに褒められたいとか?」ってからかったら、真面目な顔をして「釣られる魚に恥ずかしくない恰好をしていたい」と言っていたところが妙にすきだった。

ほんとうは魚にもひたむきで実直な彼なのだ。あたたかく、すずしく、誰かを必要としなくても幸せで居られるますように。とねがってる。というか私と関わった人みんなに、心の底から思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?