【日記】2024年9月13日

結婚式には東京事変「キラーチューン」を流す、と中学の頃は思っていた。ぼんやり。
でも今は結婚なんかしたくないし子供も欲しくない。だけどやっぱり、「式」だけはしたい。
と、なんとなく考えていた。いかんせんねむれない。

でも結婚式って人生の通知表というか、答え合わせの場なんじゃないか?と思ったら途端に全部やんなった。
ソワソワする参列者たち、今か今かとドアに待ち構えているキャスト、緊張と期待が入り混じった面持ちで正礼装の襟を直す新郎。
父親が約3キロだったころの私を昨日のことのように思い出す。目の前にはその頃の面影を少し遺しながらも清廉な顔つきになった私。
緊張と期待、よろこびに、ほんの少しの不安。それから隠し味程度のさみしさをうつくしいドレスで包んで。
そんな私が「贅沢は味方」ということばで登場するのは、きっとめちゃくちゃにクールだろう。あのときは妄想癖のある中学生だった。
そのワンシーンだけを繰り返し夢みていた。披露宴などのその続きを妄想しなかったのは中学生ながらに分かっていたのかもしれない。再現出来たとしても、そのワンシーンのみだけだと。

例えばよくある、両親への手紙。読んで家族みんなで泣いちゃったりして。参列していたみんなも釣られて泣いちゃったりして。そのあと皆で「アンタ泣きすぎ笑」「化粧崩れちゃうよぉ」とかって誤魔化し笑いなんかしたり。幸せだなあっておもったり。
誰かが作った生い立ちムービーをみんなの前で流されて、「ちょっと、恥ずかしいよ」って顔を赤らめたり。こんな事もあったなあって懐かしんでみたり。
友人代表スピーチで美しく尊い思い出たちに泣かされたり?
ほら、これってやっぱり、両親に愛されて。どこに出しても恥ずかしくない、誰に見られても笑われない人生を送った人だけの式だ。
いやわかっている。最近はこんなテンプレートのような結婚式だけじゃないのも。理解のあるひとと結婚できたなら、二人だけで挙げる式はずっともっと、最高に素敵だ。
だから別にいいのだけれど、幼い頃から色んな媒体で刷り込まれてきた「普通」に中学生の頃のわたしがすり潰されそうになる。たとえばこんな夜に。
よくある質問。過去にタイムリープ出来るならなにがしたい?飲み会、暇つぶしの会話の鉄板ネタ。
私はいつも卒なく「宝くじの番号おぼえて戻るかな」と答えていた。なんの面白みもなく、平凡に。

でも聞かれるたびに、たとえばあの日。あの夜、ひとりきり家に帰れなくて泣いていたとき。
戻れるなら。この世の全部を恨んで、頬に当たる湿気にさえ自殺を示唆されていた中学生のときの自分を迎えに行って抱きしめにいきたい、と答えていた。

大丈夫だよ、ぜんぶ大丈夫になるよ。大人になってもひとりなのは変わらないし、大人になっても不安で眠れなくなるし、大人になっても生きる理由を知る為に死ぬ選択肢はあるけど。それでも、大丈夫だよ。大人になったら、幸せになることを諦められるから、大丈夫だよ。

なんてクサすぎるから言えねーけど!
13〜19歳くらいまで、物事の全てに敏感で起こる全てに全身全霊で、傷付いて怒って悲しんで。喜んで笑って恋して。とにかく研ぎ澄まされていた時間だった気がする。
今はなんとなしに、その経験を活かして傷付きそうになったら感覚を鈍麻させて。そうやって生きる術を身につけていっている。幸せになりたい、と願うのを諦めたときからすっごく楽になった。
生きることは、幸せになることではないから。「普通にならなくちゃ」って思わなくても、目の前のことを日々着実にやって、人に迷惑かけなきゃ良い。うっかり迷惑かけちゃったら素直に謝る。お礼を言う。それだけで大丈夫。
そう思えるようになってからは、比較的穏やかに過ごせるようになった。
でも人間、「これ以上は望むまい」なんてずっと思えるものなのかな?思えたとしてもそれは持続性なんかきっとなくって、いっときの昂りだ。
幸せを探すのが人間の仕事なんじゃないだろうか?それは降っても降ってもちっとも積もらない東京の雪みたいに、途方もない事なのかもしれないけど。あっというまに消えちゃうものなのかもしれない。幸せはとおくにあるからきれいにみえるものって父は言っていた。虹と一緒だよ、ふもとまで行こうとしても自分の靴しかそこにはないよ、って。いま思えばわたしの人生の金言だ。

人生どうなるか分かんないぜ!だから頑張ろ!なんて俗っぽい言葉を嫌っていたが、最近は本当だとおもった。中学生のとき、私は22歳でこんなカスフリーターになっていると思ってもいなかった。文章で一応、か細くだけれど食べていけている事も。
だから最後の最後まで絶望している場合じゃないかもしれない。
どうせ思いもよらない人生になる。
まあ、思いもよらないからって幸せになるとは限らないが!一寸先は闇かもしれない。
でももし、闇だったとしたらそれはこれまでの私が丁寧にこさえてきた、小っちゃい暗さが形作ったものだ。

結婚式の話からなんでこんな話してるんだ?頭がとっ散らかっている。ねよう。あ、結婚式に「キラーチューン」を流すなら、葬式は同じく東京事変の「落日」がいいかな。結婚式は私のための式だが、葬式は遺ったひとたちの式だろうからね!

昼に機嫌良く焼いてはみたが落として
潰れてしまったクロワッサン


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