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「終わりの町で鬼と踊れ」6話

木陰に鬼は潜み

 素手で車を止めたのは、少年だった。
 黒とグレーのチェックの大きなストールを、頭からぐるぐると巻いている。黒いケープコートを着ているから、ほんとに影のようだ。黒縁の眼鏡をかけた少年。

 突進したトラクターの爆音が消えた。
 残っているのは、和基と言われた奴が乗ってきたセダンと、トラクターがもう一台、それから亨悟を掴まえているバイクの奴。

 男たちの呻く声がする。
 いやな風が吹いている。ざわざわとけやきが揺れる。

 通りの先のけやきの木陰に、ちらほらと人影が見える。吸血鬼どもだ。やっぱり来やがった。
 それを背景に、少年が歩いてくる。

 俺は迷わず銃口を向けた。間髪いれずにぶっぱなす。
 反動で肩が痛むのも気にならない。だけど奴はゆらゆらと楽しそうに笑いながら避ける。くそ。

「やあ、やあ、君か」
 明るい声が朗らかに言う。
 最後にくるりと回って、俺の間近に迫る。あと数歩の距離。

 銃弾がなくなって、オートマチックの銃がスライドストップする。俺は弾の無くなった銃を投げつけるが、まったく意味がない。

「聞いたよ、天神まで来てたんだって?」
 手が伸びて、俺の首を掴んだ。黒い革のグローブがきりりと鳴る。俺の軍手とえらい違いだ。

 眼鏡の奥で、黒々とした目が笑っている。今まであんまり気にしていなかったが、怪我がすぐに回復する吸血鬼の目が悪いなんて、おかしい話だ。
 紗奈と同じ防塵、防水眼鏡か。それもたぶん、UVカット。

 こいつに初めて会ったのは、五年前。
 あの時の俺とこいつは、同じくらいの年頃だった。そう見えた。あの時も今も、こいつの姿は変わらない。
 ずっとそうだ。吸血鬼は年を取らない。

 ――名前なんか知らない。
 ただ、こいつは、まじで。
「ぶっ殺す」
「やってみろよ」

 俺は腰のあたりに手をやる。だが包丁がない。そうだ、さっき紗奈が投げやがった。
 キリキリと、吸血鬼の尋常でない力が、俺の喉を締め付ける。このままじゃへし折られる。

「この状況でよく言うなあ。このまま連れて帰って、吊るして、体の隅からすみまで全部血を飲み干してやる。噛みついたりしてやらないよ。お前はただの失血死だ。大切に輸血パックにして、みんなで少しずついただくよ」
 反論どころか、うめき声すら出せない。

「それともやっぱり、死ぬ寸前に噛みついてみようかな。万が一にも吸血鬼になっちゃったりしたら、おもしろいな。ああ、どうするのかな、楽しみだな、お前は仲間たちに殺されるのかな。どうだい、同胞と争うの、楽しそうだろ。なあ、お前にも家族はいるだろう。家族が吸血鬼になったらどうするかなあ」
 息が苦しい。首が痛い。

「俺が殺した、お前の父親以外にも、家族はいるだろう」
 腹の奥がカッとなって、全身が心臓になったみたいに、頭の奥がドクドク鳴っていた。

 島の子供は十歳を過ぎると、保護者付きで島の外に出ることができる。
 俺は時々、父さんと一緒に島の外に出た。そして俺が十二の時に、父さんは俺を庇って死んだ。こいつに殺された。

 俺はもがきながら、ベルトに挟んでいた鉈を引っ張り出した。下から振り上げる。気づいた奴が俺を突き飛ばす。血まみれの刃が、奴のグローブをかすめる。
 ハハッと、明るい声で少年が笑う。
 俺は地面にひっくり返った。急に息を吸って、喉がひきつった音を立てる。
 せき込みながら、両手で鉈を持って立ち上がる。振り上げようとした。

 だが、横から衝撃が奴を襲った。よろける。奴の肩にボウガンの矢が刺さっている。
 引きずり起こしたバイクの横で、紗奈が投球スタイルで立っていた。拾った矢をまた投げつけたんだろう。

「痛いなあ。びっくりした」
 少年はのんきに言いながら、肩から矢を引き抜いて放り捨てた。
 爆音の後ろで、少年が不穏につぶやく。

「お仲間か。けなげだねえ。お前はほんと、いっつも誰かにかばってもらってるんだなあ」
「うるせえ、仲間とかじゃねえ」

 まわりで吸血鬼どもが、地面に転がったヤクザたちを引きずっていく。
 亨悟を追い回していた奴も、和基と呼ばれた奴らも、車に戻ってエンジンを吹かし始めた。緊迫した空気が満ちる。囲まれている。まずい事態だ。

 だが俺は、ここを離れない。鉈を構えて睨み付ける俺に、少年は憐れむように言った。

「どっちでもいいや。ムカつくから、みんな殺してあげるよ」
「てめえ、マジでぶっ殺す!」
「それは俺のセリフだ!」
 叫んだ俺に、奴は唐突に怒鳴り返してきた。目を見開いて、表情が常軌を逸していた。

 自分でそれに気づいたのか、奴は大きく息をつく。それから、唇を釣り上げて笑った。
 いつもの、いやいつもよりもっと、凶悪な笑顔で、朗らかに言った。

「お前が天神で殺したの、俺の姉さんなんだ。なにか言うことある?」
 ――ああ、道理で。
「お前の姉をやったのはあたしだ」
「……へえ」
 爆音の煽られながら、少年が不穏に笑う。俺は鼻で笑ってやった。
「姉弟で同じブランド好きなんて、仲良しじゃねーか」
 天神で会った吸血鬼のあの女、ブランド物のチェックを着ていた。
 少年の笑みが深くなる。唇の端が吊り上がる。

「ほんとにお前は、かわいいねえ」

 バイクの爆音が響く。紗奈はバイクで突進してくると、俺と少年の間に割り込んだ。
 行きすぎて、Uターンして戻りながら急ブレーキをかける。さすがにヤツも慌てて後ろに下がる。

「早く乗れ」
「俺に指図するな! 俺はこいつを……!」
「偉そうなことを言ってる場合か! 今は分が悪い。相手が多すぎる」

 俺たちが怒鳴り合っている間に、亨悟を追い回していたやつがバイクを力任せに引きずり倒されて、吸血鬼に捕まった。
 亨悟はあわてて逃げようとしたが、別の奴に追い詰められた。

 やばい助けないと。
 ――だが、助ける理由なんてどこにもない。あいつは島の人間ですらない。俺を騙してた。
 俺の視線を追って、紗奈はバイクを降りた。

「あいつはあたしが助ける。お前は逃げろ」
 俺の腕を掴んで、俺にハンドルを持たせようとする。
「あいつにはニワトリの恩がある」
「うるせえ、お前もあいつもどうでもいい」
 吸血鬼の紗奈の腕の力は強くて、もがいでもふりほどけない。

 開き直れず迷う俺を見透かされたようで腹がたった。
 だいたいなんでこいつが亨悟を助けるんだ。吸血鬼のくせに。ニワトリの恩とかこだわるなんて、人間みたいじゃないか。
 訳の分からないイライラを、少し離れてこっちをニヤニヤとみている少年の視線が煽る。

「俺は、あいつをぶっ殺さねーとだめなんだ!」
「何がだめなんだ、そんなこと意味があるのか!」
 紗奈が声を荒げる。
「お前はこんなところで死ぬ気なのか!」
「てめえが言うな、吸血鬼!」

 こいつも誰かの命を奪って、のうのうと生きているくせに。
 こいつらのせいで俺たちはいつも身を縮めて、息を潜めて生きていかなきゃならないのに。
 なんでこいつにこんな事言われなきゃならないのか。吸血鬼のくせに。

「うるさい! ごちゃごちゃ言い合ってる場合じゃない、さっさといけ!」
 紗奈は、今までにない剣幕で怒鳴り返してきた。俺は思わず口をつぐむ。
 なんで俺を逃がそうとするのか。生かそうとするのか。どうせ、俺たちは餌でしかないのに。

 ヤクザたちと吸血鬼たちの争う声と銃声があたりで響き渡っている。実際、言い争ってる余裕なんかなかった。

 俺はもう一度あの少年を見た。ブランドもののチェックを着た、あどけない少年。
 ここで、こいつを、ぶっ殺す。でも力の差は歴然で、まわりには敵しかいなくて、俺には武器はこんな鉈しかなくて、残れば確実に死ぬ。

 そんなことは分かってる。それくらいの覚悟でかからないと、こいつは殺せない。
 だがこんなところで死んでいいのか。仇討ちをするために死ぬつもりなのか。

 ――七穂の顔が思い浮かぶ。ワガママなんかたくさん言いたいだろうに、我慢して、寂しそうなのを隠して笑っていた顔。
 絶対帰って来てねと、声を震わせていた。
 七穂だけじゃない。この荒廃した時代に生まれた子どもたちの誰もがそうだ。せめて、守らないといけない。あの島を。

 俺はひったくるようにバイクのハンドルを握る。
 紗奈は手を離して、脇に抱えていたパドルを握り直した。ぐっと腰を落として両手で振りかぶる。
 背筋にゾッと悪寒がはしって、俺はあわててかがむ。

 紗奈が振り回したパドルが、俺の後ろに迫っていた男の頭を叩きのめした。かに見えた。
 ブルゾンのフードを目深にかぶってマスクをした男は、革手袋をはめた手で、紗奈のパドルをしっかりとうけとめていた。
 俺の頭の上で男とにらみ合う紗奈が、ちらりと俺を見る。

 俺はもう考えるのをやめた。かがんだままでハンドルのスロットルを回す。紗奈を残したままバイクを走らせた。

 ――亨悟。
 左足のクラッチを踏む。俺はスピードをあげて、亨悟を掴まえている吸血鬼の方へ向かった。

 亨悟と目が合う。こいつを、助けたって。俺のことを、この辺りの情報をヤクザどもに流されるだけだ。
 俺を騙して油断させてた、嘘つきだ。――でも。

 こいつを助けたときのことを思い出す。
 あのときも吸血鬼に襲われていた。情けない顔はあのときも今も同じだった。
 俺を騙そうとしているようには見えなかった。もう何が嘘で本当で信じられるのか、分からない。
 だから何も信じたくなかったのに。

 通り過ぎる前に、手を伸ばそうと思った。
 一瞬迷ったその隙に、ヒョウと空気を裂く音が聞こえた。俺は思わず手を引っ込めて、頭を下げる。弓矢が、近くの欅に突き刺さっている。

 俺のバイクは亨悟たちの横を通り過ぎる。視界の端に、俺が向かうのと別の路地から、馬が出てくるのが見えた。
 くそ、史仁まで来やがった。

 振り返ると、首根っこを掴まれた亨悟が引きずられていくところだった。
 すぐは殺されないはずだ。そして黒煙を上げる車の向こうで、紗奈がパドルを振り回している。

 そして少年は笑いながらこっちを見ていた。そのあどけない姿が遠くなる。
 逃げるのか、逃げるべきなのか。あいつをぶっ殺さないといけない。亨悟たちを助けるべきじゃないのか。

 どうするべきなんだ。頭がごちゃごちゃになる。
 ただとにかく――死ぬわけに行かない。
 俺は左足のクラッチを踏む。スロットルを全開にして、そのままバイクを走らせた。

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