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「終わりの町で鬼と踊れ」3話-1

花の島は銃器が守り

 俺はまた海近くの大通りを自転車で突き進む。
 中央分離帯の植え込みがアスファルトを持ちあげてぼこぼこだ。それをよけながら、道路のど真ん中を、ソーラー自転車で走っている。

 ぽつりと建つ福岡タワーが遠目にある。総合図書館にも立ち寄りたかったが、今はそれどころではない。
 ああいう大きな建物はやはり危険だし、今はそれよりも先を急ぐ。

 室見川むろみがわの河口近く、愛宕あたご大橋にさしかかると、海の上を通る都市高速が横目に見える。道路が落ちて、橋げただけが海の中に突っ立っている。

 俺が生まれたのと同じ年、都市高速を通って車の集団が近隣を荒らしてまわったので、橋ごと爆撃して海に落としたのだと聞いた。
 あの道は高い場所に設置されて、隠れる場所もほとんどない。今使えれば俺たちの移動に便利なのに、思いきったことをしたもんだ。
 海に突き出た廃墟を横目に、懸命に自転車で走る。

 海辺のマンション群を避けて、住宅街《マリナタウン》を抜ける。
 どこも人の姿はない。閑散としている。どこかに隠れ住んでる人もいるだろうが、息をひそめていて分からない。

 学校の前を通り過ぎて能古のこ渡船場につくと、自転車を停めた。
 姪浜めいのはま旅客待合所と書かれた建物の前のベンチに、おっさんが座っている。足元に伏せていた犬が、俺に気づいて一声吠えると、尻尾を振った。

「よう津崎つざきさん」
 元自衛隊のおっさんは、ここで見張りをするのが役目だ。島内にいる元警官のおばさんと交代で。

 待合所の中はがらんとしていて、売店はからっぽ、切符売りの人も当然いない。
 近くのフェンスに自転車を固定してから手を振ると、おっさんは俺のリュックから突き出たボウガンの矢をいぶかし気に見ている。
 それから、目ざとく言った。

「お前、その拳銃をどうした」
 腰のベルトにさしてたのが見つかった。ブルゾンの下だってのによくわかったもんだ。
「炭鉱の奴らが来てる。襲われたから返り撃ちにして手に入れた」
俺はベルトから銃を取り出すと、おっさんに見せずにヒップバッグの中に押し込んだ。

「ちゃんと安全装置つけてるか」
「大丈夫だよ、ちゃんとしてるし、撃つ時は外す」
 俺の生意気な言葉に、おっさんは苦笑する。
 俺は犬の傍に屈みこんで、頭をもみくちゃになでてた。嬉しそうになついてくるのが、なんともかわいい。

「いいものあるぞ」
 俺はリュックを下ろして、中身をごそごそ探ってから、おっさんに一つ差し出した。ドッグフードの缶詰。
 あからさまな話題そらしに、おっさんは更に苦笑する。受け取りながら、鷹揚に言った。

「ガキに拳銃持たせるなんてほんとは嫌なんだが、お前の戦利品だ。それで身を守れ」
 一部の頭の固い大人たちと比べて、外の世界を知っているおっさんは柔軟だ。

「イエス、サー」
 俺はおどけて敬礼をする。
 おっさんは苦笑して敬礼を返すと、行けと親指で海の方をさした。

「自転車見ててくれよ」
 俺は最後に犬をもう一度撫でて、おっさんに手を振ると、海上タクシーと書かれた看板の方へ向かった。

 手漕ぎボートや小さめモーターボートが、舫杭に繋がれて浮かんでいる。
 島と行き来するには、太陽光発電のパネルをつけて改造したこのへんの船を使う。せいぜい数人しか乗れないものだ。
 万が一乗っ取られた時、島に大群で乗りこまれないようにするためだった。

 これ以外の大きな乗りものはひとつしかない。
 太陽光パネルと蒸気機関をつけた漁船だ。万が一吸血鬼どもに奪われることがあっても、主に太陽光発電だから日光の下でないと動かない。
 移動中は海のど真ん中なので、身を隠す場所もない。まあ、奴らもフードやらで日を避ければ生きてはいられるし、悪あがきみたいなもんだ。

 俺は一番小さな船に乗り込んだ。
 太陽光パネルのモーターだけだともどかしく、一生懸命にオールで漕いで、目の前の島を目指す。

 波は穏やかで、朝日をかえしてきらきらと光っていた。
 潮の香りがなんだかノスタルジーを誘う。

 向かう先は、能古島。俺の生まれた島だ。

 島側の渡船場以外に着いたら、迎撃される。
 島が近付くと、俺は航路をはずれないように、慎重に船をこいだ。そうはいっても、大した距離じゃない。ほんの十分やそこら。

 渡船場には、警備のおっさんやお兄さんたちが立っている。ライフルで俺を狙っているおっさんに両手を見せて手を振った。

「榛真か!」
 おっさんの声に、もう一度手を振る。あとはもうオールをあげて、ソーラーモーターにまかせてゆるゆると島に近づいた。

 船着き場では、ライフルやマシンガンや手製の弓を持った大人たちが、数人で海を見張っている。
 一人が、俺が船から上がるのを手伝ってくれた。腕を引っ張られて昨日の怪我が痛んだが、態度に出すとうるさいので、歯を食いしばって我慢する。

「また、ふらふらして。よく無事に戻ってきたな」
 えへへ、と殊勝に笑っておく。変なことを口にするとめんどくさいので、笑っておくのが一番だ。リュックの中身に口を出されたら面倒だし。

「サンキュー」
 アスファルトの地面に着地して、俺は小言が始まる前に、おっさんに手を振って歩きだす。

 渡船場の建物ががらんとしているのに変わりはないが、姪浜側とは全然違う。
 バーガー屋さんや焼鳥屋さんがあった跡にちゃんと人がいて、食いものを焼いたりしていた。
 ここは自警団が渡船場を見張る拠点みたいになっている。他にも、灯台や、山の上の展望台から海を見張っている。

 俺はおっさんたちに背を向けて、島の沿岸の道を西へ向かう。
 対岸には、姪浜めいのはまと、小戸おどの町が見える。ノートルダム結婚式場の大聖堂のとんがった屋根。アウトレットモールと、いつ崩れるか分からないような観覧車。
 ランドマークを見ながら、俺は警察の駐在所へ向かった。

 もともとこの島の町は渡船場の近くにかたまっている。
 かつてはその方が生活には便利だったろうが、いま万が一侵略があったらと思うと、もろい気がしている。でも俺の意見なんておっさんたちは聞かない。

 赤いランプのついた小さな駐在所の中に、元警官のおばさんが座っている。
 渡船場を見張っているおっさんとペアを組んで島の出入りを見張っている片割れだ。

「よう、西見さん」
「榛真か」
 きびきびとした口調で、おばさんは言った。
 デスクに向かって本を読んでいたようだった。スチールのデスクの上で、猫があくびをした。

 元自衛隊のおっさんは犬を連れているが、元警官のおばさんは、猫を飼っている。
 島にはたくさん猫がうろついていて、だいたい人間に慣れてるけど、こいつは俺に愛想良くしてくれない。

「おみやげ」
 俺はキャットフードの缶詰を渡す。
「賄賂か?」
「さすがするどい」
 へらっと俺が笑うと、西見さんは唇を片方あげて笑った。

「警官は市民から物を受け取らないが、崩壊後で良かったな」
 この人は、今は島の外にいる津崎さんより、よっぽど厳しい。けど俺は嫌いじゃない。自警団のおっさんたちの口うるさいのとは全然違う。
 回り道をするのはお互い嫌いなので、俺はさっさと本題をきりだした。

「市内で、炭鉱ヤクザを見かけた」
「どこだ」
「……母さんには言わないでくれよ」
 西見さんは苦笑した。

「どこで見た」
「天神」
「……近いな」
 西見さんは眉をしかめたが、説教はない。だからこの人嫌いじゃない。俺はオートマチックの拳銃を見せた。

「一応これが証拠」
 自衛隊駐屯所なり米軍基地跡なりに行けば手に入るものだが、そんなところで持って来たものを見せびらかして嘘をつくほど、俺も馬鹿じゃない。
 炭鉱の奴らの証明にはならないにしても、危険な奴らがうろついてる警告にはなる。

「自治会と自警団に知らせてよ」
「自分で会長に言いに行けばいいだろう」
「説教されるのごめんでね。俺は明日にはあっちに戻る。様子を見に行く」
「ひとりで食い止めようとするなよ。何かあったらすぐ知らせろ」
 お前のことだから、と西見さんは言う。自治会のおっさんたちなんかよりも、俺をよく分かってる。

「無茶しないよ。自警団の人に知らせるか狼煙でもあげるよ」
 俺はおどけて言って、駐在所を出た。そのすぐそばに、診療所がある。

 診療所に入ると、受付にお姉さんが一人座っている。
志織しおりさん、母さんは?」
「ああ、榛真。渡船場が騒がしいと思ったら、戻ってたんだ」
 おう、と俺は軽く手を挙げた。

 母は看護士で、この島でも診療所のようなものをやっている医者と一緒に、怪我人の手当てや病人の看病をしている。
 志織さんは俺より二つ年上で、母さんに色々教わりながら看護士の仕事をしている。

「サツマイモ収穫中に腰をぎっくりさせた人がいて、様子見てる」
 この島で、自警団として警備についていない人間は、だいたい農業をやっている。
 ぎっくり腰か。人がマシンガンやらボウガンやらと戦ってきたのに、のんきなもんだ。

 だけどそれなら中に入っても問題ないかな。でも怪我のこととか聞かれると面倒だ。思っていると、待合室に小柄な人物が駆けこんできた。

「お兄ちゃん!」
 華奢な少女は、奥から走ってくると、俺に飛びついた。あちこちが痛んだが、俺はしかめっつらで誤魔化して我慢した。

「こらこら、走るな。発作が起きたらどうするんだ」
「これくらい大丈夫だよ」
 六歳下の妹は、生まれつき気管支が弱い。俺に抱きついて、そのままぐるりと一周回ってから、俺を離した。

七穂ななほ、学校は?」
 この島は、人間の生活が機能している。子供は学校に行ってる時間のはずだ。
「知らないの? 今日はお休み。前の前の日曜に出て行ったでしょ。もう十四日たったよ!」
 ということは、日曜か?

「気にしてなかった」
「もうっ。いっつも、お兄ちゃんが外に行ってから何日経ったか数えて、心配してるんだよ! 帰ってくるの待ってるのに! ちょっとは島で待ってる妹のこと思い出してよ」
「いつも考えてるよ」
「知ってる」
 えへへ、と七穂は笑う。
 俺はリュックを下ろすと、中をあさくった。

「ほら、お土産」
 ノートと鉛筆を取り出す。
「本は持ってこられなかった。また今度な」
「ありがとう。でも」
 七穂は顔を輝かせて受け取ったが、急に厳しい顔になると、俺を上から下までじろりと見た。どうやら妹に賄賂は通じなかったようだ。

「またぼろぼろになってる。ちょっと来て。志織さん、場所使うね」
 志織さんは七穂に微笑みかけると、俺にはひらひらと手を振る。
 空いてる処置室に入ると、七穂は俺をまるい椅子に座らせて、その前に仁王立ちになった。

「上着脱いで見せて」
 俺は、口を歪ませて、どう抵抗しようか考えた。そんな俺の思惑は七穂にもお見通しで、お兄ちゃん、と厳しい声がかかる。

「はいはい看護士さん」
 仕方なしに、手に持っていたリュックを下ろして、ミリタリーのブルゾンを脱ぐ。中に着ていたティーシャツの半袖から出た腕が、真っ青になっている。
 首やあちこちの打ち身や青あざを見て、七穂は、あざと同じくらい顔を青くした。

「これどうしたの」
「転んだ」
「……それって言い訳の決まり文句」
「まーそうだけど、転んだ」
 色々あったけど、おおまかに言って転んだ怪我で間違ってない。

「ティーシャツも脱いで。湿布貼ってあげる」
 俺はもう言い訳も逆らいもせずに、シャツを脱いだ。

 七穂は大根やらショウガやらを混ぜたよくわからないものあちこちに塗りたくっていく。ひんやりして、飛びあがるかと思ったが、兄の威厳で我慢する。

 包帯やらがもったいないので、俺はリュックから取り出したサランラップを渡した。変な穴があいてるのを見て、七穂は顔をしかめたが、何も言わない。ぬりたくったものの上から、ぐるぐる巻きにした。
 そして、俺は命令されるままズボンもたくしあげて、膝のあざもぐるぐる巻きにされた。これじゃあ歩きにくい。

「寝る前に、井戸水できれいにして、もう一回塗ってあげるから。勝手に島からいなくならないでね」
「はいはい」
 騒ぎを聞きつけたのか、ドアをあけっぱなしの処置室から、顔がひょっこりと中を覗いた。

「あら、榛真。お帰り」
 母さんは中を見て状況を一目で把握したようで、楽しそうに笑った。
「七穂、お兄ちゃんをたんまり叱ってやった?」
「まだまだ叱りたりないよ」

 七穂は、唇を尖らせて、こまっしゃくれて言う。勘弁してくれ。
 俺は慌ててシャツを着た。塗られたものでべちゃべちゃするし、サランラップでごわごわする。
 ベルトにくくりつけてたエコバッグを外して、母さんに差し出した。

「これ、外の病院から拾ってきた」
 いつのものやら分からない薬だが、使えるものは使う。
 母さんは、俺の言葉を聞いて厳しい顔になった。もうこれ以上叱られるのはうんざりなので、俺はたたみかけるように言って、母さんに押し付けた。

「必ず七穂に持たせといて」

 上着とリュックを持って、逃げるように診療所を後にする。脚がごわごわして歩きにくい。
 慌てて出てきた俺を、駐在所の西見さんがニヤニヤしながら見ていたけど、知らんぷりして、俺は路地に入っていく。

 ここを少し進むと、小さな神社がある。ほんとうに、ささやかな小さな白髭神社だ。
 コンクリートの鳥居が、参道の上を三つ連なっている。その先にはしめ縄。

 天神の警固けご神社や、街中の色んな神社は、狛犬が倒されたり鳥居が傾いたりしているが、ここは壊れても傾いてもいない。
 古くはなったけれど、鳥居も建物も大事に管理されてまつらている。ささやかなお祭りも、昔から変わらず行われている。
 俺は、小さな拝殿に手をあわせた。

 ――神様に祈るなんて、馬鹿げてるかもしれない。

 だけど、太宰府天満宮や、天神の教会に逃げ込んだ人たちも、同じような気持ちだったろう。
 吸血鬼を神様がしりぞけてくれることも、願ったんだろうけど、それだけじゃあない。

 ここはいつも、静謐な空気に包まれている。街の空虚さも、島のにぎやかさも、ここにはない。
 だから俺はいつもここにきて、手を合わせて、願うよりも、誓う。

 自然にあふれたこの島は、食料に事欠かないし、海産物にも恵まれている。
 遠く澄んだ空、深い青の海、緑の木々に囲まれた、美しい島。
 大昔には、大陸からの侵攻に備えて防人もおかれたという、守りの島だ。

 二十年前、いろいろなものが壊れて、父さんと母さんはこの島に逃げ込んだらしい。
 同じように考えた人は多かったみたいで、もともとはのんびりとした場所だったが、崩壊から逃げてきた人が集まって、落ち着くまでは大混乱だったらしい。

 陸からたった二キロの安全な場所だ。略奪もあっただろう。
 一度は陸からの渡船を隔離して、来ようとするものを追い返して、なんとか切り抜けた。今の形は、やはり血の上に築かれた安全だ。ただ母さんは看護士だったのもあって、歓迎されたそうだ。

 俺は崩壊後この島に生まれて、ここの学校に通っていた。
 文字が読めなければ、街で間違ったものを拾って来たり、口にしたりするかもしれない。
 生きていくためにも、かつての文化を継いでいくためにも、子供たちは最低限の文字を学び、最低限の勉強をする。

 今の学校には七歳から十五歳までの子供たちがいて、全部で三十二人。多いのか少ないのか分からない。
 この島では、崩壊前から変わらないと大人たちは言う。

 だけど……多分、少ないんだろう。この福岡の街の、次の世代を担っていくには、少なすぎる。

 医療が十分でなく、人を襲う捕食者がいて、人間同士で殺し合って、子供たちも少ない。俺たちの未来は見えてる。

 だけど俺たちはあがいてる。
 たぶん、吸血鬼どもが食料確保にあがいてるのと同じようにだ 。
 奴らは最近、俺たちを捕獲して働かせて、家畜にしようとしている。

 七穂は、生まれつき気管支が弱い。
 昔ならともかく、今は十分な治療ができない。だから、島で息をひそめて生きて行くしかない。生きて行かせてもらうしかない。

 治療の設備は十分でなくて、だから、七穂のことに限らず「生きるに値しない者は死ぬべき」という輩もいる。
 どうせ十分な治療はできないし長生きもできないんだから、物資を無駄に使うなと。

 怪我の治療は無駄なのか。
 今生きている者を助命して、生きながらえさせることは、無駄なのか。
 人間が絶えないために、大事なことではないのか。

 俺は、亨悟が、人の集まりを息苦しく思うのが、分かる。
 静かな同調圧力。俺も大嫌いだ。だけど俺は、あいつみたいには捨てられない。

 七穂は本を読むのが好きだし、暇があれば母さんを手伝っている。生き延びるために、知識を身に付けようとしている。
 母と俺が願って、妹は感じ取っている。

 守られる存在でいられるように。
 人間からも、迫害されることがないように。
 万が一にここから放り出されても、生きていけるように。

 だから、ただ静かに誓う。この島を守り続けたこの神社に。

 島を守ること。そして何より、家族を守ることを。


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