クロス・レヴュー 2023年11月号
『ミュージック・マガジン』誌上で1981年から続く、注目アルバム7枚について毎月4人が批評して10点満点で採点するコーナー、“クロス・レヴュー”のWEB公開を始めます。評者それぞれの聴き方の違いを楽しんでいただくもので、アルバムの絶対評価を示すものではありません。より充実した音楽生活を送っていただくきっかけの一つにしていただければ幸いです。
今月の評者は以下の4名です。
※それぞれの評文についた○内の数字が点数です。(10点満点)
CHAI『CHAI』
ソニー SICX190
岡村詩野
ツアー中に制作を行なった、R&Bとヒップホップを基調とする音作りは完全に現代の世界基準。メンバーも物怖じすることなく堂々としていていい。とりわけ“私たちはただの人間”というヒューマニズムを唱える「We The Female!」の大きな目線の歌詞が象徴的。その曲も含め、ノルウェー出身の作曲家で移民研究家のマティアス・ハトレスコグ・ションの参加曲が特に洒落ている。 ⑧
花木洸
大物との共演や、名門インディ・レーベルのサブ・ポップとの契約など、日本発のバンドとしては近年稀に見る成功を収めているCHAI。今作も海外のプロデューサーが多数参加し、バンド・サウンドはぐっと後退。ロック・バンドの変化としては、ともすれば「軟化」とも捉えられそうな変化を、そう感じさせないところが彼女たちの独特の立ち位置を示しているようで面白いと思いました。⑦
山口智男
前作でぐいっと舵を切ったというシンセ・オリエンテッドなプロダクションとバンド・サウンドが一つに溶け合い、熱気を放つニュー・ウェーヴ・ファンク調の5曲目、 曲目、7曲目がかっこいい。グルーヴィーなベースは聴きどころだ。2曲目もラテンのノリを忍ばせたところがおもしろい。逆に9曲目のシティ・ポップ調は、個人的には食傷気味。10曲目の手数の多いドラミングにシビれる。⑥
久保太郎(本誌編集部)
2枚目のアルバム『PUNK』(19年)も本欄で取り上げたが、そこからかなりの飛躍があって驚いた。全体に80年代初頭から中盤のシンセ・オリエンテッドなディスコ/ソウルのテイストが、アレンジも含めて実に巧みに日本語ポップに消化/昇華されていて、とにかくワタシ好みの楽曲が次から次へと登場する流れに昇天。 “NEO KAWAII”の鉱脈がまさにここにあったということだろう。⑨
イーサン・P・フリン『アバンダン・オール・ホープス』
ヤング〔ビート〕 YO322CDJP
岡村詩野
コアレスやFKAツイッグスらとの交流で知られてきた人だが、これはランディ・ニューマンやジミー・ウェッブの系譜に連ねてもいいアルバムだ。ヴァン・ダイク・パークスの未発表曲のような5曲目あたりは構成やコーラス・アレンジともども素晴らしい。それをルーズなタイム感で崩すセンスはベック直系か。最新型の「イギリスのアメリカ人」的アーティストの最高のデビュー作。⑨
花木洸
FKAツイッグスのプロデュース・ワークで知られる若手自作自演歌手。その肩書から想像できないほどトラッドなフォークやロックを匂わせる初作となっていて、ニール・ヤングやボブ・ディラン、ベックをフェイヴァリットに挙げることも納得。 24歳でこの醸造されきった歌声はいったい人生何周目なんだ?と思う。これが擬態的なものだとしたら末恐ろしいし、そうでなくとも次作も楽しみ。⑧
山口智男
オーケストラルなアレンジも取り入れたフォーク・ロック作品という大枠の中にビートルズを思わせる美しいメロディをはじめ、聴きどころが幾つもある。2曲目のブギ調や6曲目のレディオヘッド的プログレ・サウンドという易々と王道に収まらない奇矯さが個人的にはツボ。『ハンキー・ドリー』の頃のデヴィッド・ボウイを思わせるラスト・ナンバーが絶叫で終わるところもイカれていていい。⑧
久保太郎(本誌編集部)
FKAツイッグスらとの共作で一躍注目を浴びた…という経歴とはちょっと印象が違う、マンドーラなどの生の弦楽器や倍音を含んだふくよかな歌声による、牧歌的でなおかつ深い陰影を感じさせるポップを聴かせる、若き英国人音楽家の初のオリジナル・アルバム。初期ニルソンの諸作品が大好きな身としては抗いがたい魅力があるが、終盤のヴォーカル表現の過剰さが評価の分かれ目か。⑧
蓮沼執太『unpeople』
ヴァージンLAS〔ユニバーサル〕 POCS23037
岡村詩野
こういうある種わがままな作品を本当は作っていきたいのではないだろうか。メンバーと対等と言いつつリーダーとして主導するフィルや、ポップな歌もの制作も楽しそうだし、パラリンピックの仕事も光栄だっただろうが、曲に応じて好きなギタリストを呼んだり、誰に遠慮することなく自由に音を遊ばせるようなここでの蓮沼は生き生きとしている。でも、正直、もっともっと暴走してもいい。⑨
花木洸
久しぶりにアートに振り切った15年ぶりのインスト・アルバム。ジェフ・パーカーやコーネリアス、灰野敬二まで様々なミュージシャンが参加した本作は、派手なリード曲もなければ、1曲ごとにジャンルも変わってしまうようなとりとめのない作品群という印象。だけれども電子音から生楽器、非楽器までが混ざり合い、どの曲も伸び伸びと自由な雰囲気があり、聴いていて飽きない作品だ。⑨
山口智男
“純粋に自分のための音楽”として作り続けてきた全14曲中、多彩なゲストを迎えた7曲は結果、自分以外のための音楽になっていると思うのだが、筆者が繋がりを見出せたのもそれら7曲。そもそも本作にふさわしいリスナーではないと思いつつ、なぜその7曲はゲストが自由奔放な演奏を繰り広げる場として解放したのか? その理由やゲストそれぞれのアプローチ方法は、ぜひ聞いてみたい。⑤
久保太郎(本誌編集部)
いま再び興隆するドラムンベースを導入に、自身が操る電子音や現実音を中心としながら、個性的なゲストを有効に配した、60分以上にわたるインスト作。その参加陣の人選と、フィジカルな強みを惜しげもなく投入しているところが面白い。笙や三線といった楽器を起用しているからというだけではない、東アジアからのフラットな視線が全編に感じられるのが良く、最後まで飽きさせない。⑧
Mary Lattimore『Goodbye, Hotel Arkada』
プランチャ ARTPL203
岡村詩野
もしかしてこの人の最高傑作じゃないか。音のレイヤーこそがアンビエント音楽の肝であることにも気づくし、昨今安易に作られる環境音楽然としたものと徹底して距離を置こうとする意志の強さもある。そういう点では非常に俯瞰的で批評的な作品だ。一方で、ドローン的な音の中にピチカートやリフを挿入する卓越した技術にも唸らされるし、何より彼女自身の温かな息吹が感じられるのがいい。⑩
花木洸
アンビエント・ハーピストという肩書きどおり、ドリーミーな楽曲が集まる。ザ・キュアー、スロウダイヴなどオルタナティヴ・シーンの人脈が集まるところが、ネオ・クラシカル人脈の面白いところ。温かなシンセと硬質にも柔らかくも変化するハープの音色は面白いけれど、アルバムを通してビートもなくしっとりと進むこのアルバムは、ちょっと退屈に感じるところもあり、人を選ぶかも。⑥
山口智男
アメリカーナの界隈で目立ってきたハープがおもしろいと思っているうちに、その興味がおのずと前衛および実験音楽の方面にも伸びていき、本作に辿りついた。スティール・ギターが鳴る4曲目、レイチェル・ゴスウェルが讃美歌を歌う6曲目は、ラティモア流のアメリカーナの趣。カート・ヴァイルやスティーヴ・ガンとも共演歴があるというから、その見立てはそんなに間違っていないと思う。⑦
久保太郎(本誌編集部)
米ロサンゼルスを拠点とするハープ奏者の新作アルバムは、比較的ひねくれたところの少ないフレーズをエレクトロニクスによるアンビエンスに包んで反復するミニマル・ミュージックといった趣きで、70年代のオブスキュア・レーベルの諸作や80年代のドゥルッティ・コラムらを想起させるアンビエント・ミュージックになっている。繊細に構築された音響空間に素直に身を任せることができる作品。⑧
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ『アフリカ・ユナイト』
アイランド〔ユニバーサル〕 UICY16171
岡村詩野
ボブ・マーリーは命日より誕生日の方が今も広く功績が讃えられる、という話を聞いたことがあるが、現在のアフリカ人ミュージシャンたちと“共演”した本作を聴くと、まさに今も彼が“生きている”ことを実感する。ティワ・サヴェージやレマなど圧倒的にナイジェリア勢が多く占めているが、いま面白いウガンダのニェゲ・ニェゲ周辺のクラブ系アーティストなんかにも声をかけてほしかった。⑦
花木洸
アフリカ音楽のスターを集めてボブ・マーリーの楽曲を再構築。注目はボブ・マーリーの孫スキップ・マーリーとナイジェリアのラッパー=レマが共演するリード曲か。ボブ・マーリーの原曲と比較すると、半世紀の間のリズム感覚の変化に一番驚く。“アフリカ回帰”を描いたアルバムということだが、皮肉にもアルバムを聴いて感じることはアフリカ以外の音楽との融合性というのが面白い。⑦
山口智男
実はトリビュート盤を聴いた時に感じることが多い、だったらオリジナルを聴いたらいいじゃん、という身も蓋もない思いにならなかったのは、個人的にボブ・マーリーのファンではないからだが、その分、ソウル、アーバン、ヒップホップとそれぞれに趣向を凝らした全10曲を純粋に楽しめた。レゲエ特有の裏打ちのリズムを、どの楽器で刻むかというアイデアの出し合いも一つの聴きどころだ。⑥
久保太郎(本誌編集部)
全米チャートには本作にも参加しているレマらのアフロビーツ勢があたりまえにランク・インする時代になったが、グローバル・サウス勃興の象徴ともいえる彼らを、第三世界収奪を糾弾したボブ・マーリーに繋げる試みは良心的なものと言える。アフロビーツ特有の軽妙さがマーリーの楽曲をより心地よく響かせる…のが良いことなのかは多少、躊躇するところもあるが、世代の橋渡しになればいい。⑧
ミツキ『ザ・ランド・イズ・インホスピタブル・アンド・ソー・アー・ウィ』
デッド・オーシャンズ〔ビッグ・ナッシング〕 DOC350JCD
岡村詩野
功労者はドリュー・エリクソンだろう。本来フォーキーなワイズ・ブラッドやファーザー・ジョン・ミスティらの作品にストリング・アレンジなどで彩りを与えてきたマルチ・プレイヤーが、ミツキの持つ優雅で重層的な表現力を見事に引き出している。直接的なエモさより心の悲痛さを打ち出したことで、パンチ・ブラザーズあたりと並べてもおかしくないアメリカン・ゴシックな内容になった。⑧
花木洸
ブレイクのきっかけとなった16年作 “Puberty 2” でのグランジ、 22年の前作 “Laurel Hell” でのシンセ・ポップを経て、今作では初期のチェンバーなサウンドへの回帰、あるいは深化ともいうべきオーケストラとクワイアを率いた大きなアンサンブルでの作品。懐かしさも感じるホールのような残響感が鬱屈としたムードを強化し、 23年の新しい「鬱」の表現を模索しているように思う。⑨
山口智男
オーケストラと17人編成のクワイアとともにノスタルジックなポップスとカントリーにアプローチ。ミツキ流のアメリカーナ作品は、リー・ヘイゼルウッドの名前も連想させる。前作のエレポップからの大胆な作風の変化に驚かされる一方で、作品さえ良ければ、それが認められるというか、許される広義のポピュラー・ミュージック・シーンの豊かさとリスナーの成熟が羨ましいと思ったりも。⑧
久保太郎(本誌編集部)
エレポップに振り切った前作『ローレル・ヘル』は個人的に大歓迎だったが、またずいぶん趣きの異なる新作だ。NY拠点の日系人シンガーによる7作目は、アコースティックで緩やかなテンポの楽曲にオーケストラと合唱隊が加わる作風だが、悲嘆にくれているような内省的なタッチがいきなり目くるめく世界へと展開する一筋縄ではいかない作品で、32分ほどの収録時間に複雑な余韻を残す。⑧
リー・パルディーニ『オーガスト・スコーチド・アース』
コアポート RPOZ10089
岡村詩野
一聴すると90年代のジャム・バンドのようにも聞こえる。けれど、ダラっとした展開はほとんどなく、むしろ本人のキーボードの鋭い切り返しが演奏にスピード感を与えている。彼が加入(2016年)してからドーズは音響的なひねりが加えられるようになったが、その感覚が大いに生かされていて、さらに全面参加のジェフ・パーカーのギターとの互いにクールなまま絡んでいく様子がスリリング。⑨
花木洸
LAのインディ・ロック・バンド、ドーズの鍵盤奏者がスナーキー・パピーのレーベルからジャズ作品をリリース。ロック・バンド感は皆無で、かと言ってコンテンポラリーなジャズでもない。緻密さよりも、ロフト・ジャズ的な気の合う仲間とのセッションのようなラフさと不可分なジャンル感が、まさにこのレーベルからリリースされる理由か。その掴みどころのなさが退屈さに感じることも。⑥
山口智男
ドーズ(祝来日!)のキーボード奏者の本格ジャズ・アルバム。ジェフ・パーカー(g)の活躍が目立つのは、パルディーニが自らのプレイよりもグルーヴ作りを追求しているからだ。そこから遡って、歌もののバンドが果敢に取り入れた長尺の演奏が聴きどころだったドーズの最新作における彼の貢献を想像しつつ、ピアノが奔放に鳴る5曲目のような曲がもう何曲かあってもよかったと思ったりも。⑥
久保太郎(本誌編集部)
バーのカウンターで飲んでいるときにこのアルバムがかかったら酒が美味いだろうなと思う。LAのフォーク・ロック・バンド=ドーズの鍵盤奏者率いるカルテットのインスト作だが、過度な緊迫感も過剰な感傷もない、ただ音の流れの心地よさが淡々と刻まれる1枚。ジェフ・パーカーらジャズ畑のプレイヤーを支える、ドーズの同僚であるドラマーの非ジャズな演奏が肝かもしれない。⑧
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