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クロス・レヴュー 2024年8月号

「クロス・レヴューはミュージック・マガジンの重心を支える背骨みたいな存在だ。この雑誌は毎月発売されるレコードを幅広く取り上げ、できるだけ厳しく批評し、しかもその批評性を持続していくことで音楽の長い流れをしっかりと捉えるのを役目と心得ているが、その役目を集中的に象徴してきたのがクロス・レヴューの欄なのだと思う」――中村とうよう

ミュージック・マガジン増刊『クロス・レヴュー 1981-1989』に掲載された序文から

『ミュージック・マガジン』誌上で1981年から続く、注目アルバム7枚について毎月4人が批評して10点満点で採点するコーナー、“クロス・レヴュー”のWEB公開を始めます。評者それぞれの聴き方の違いを楽しんでいただくもので、アルバムの絶対評価を示すものではありません。より充実した音楽生活を送っていただくきっかけの一つにしていただければ幸いです。

今月の評者は以下の4名です。

川口真紀
音楽ライター。横浜出身。監修を務めた『オルタナティヴR&Bディスクガイド』(DU BOOKS)絶賛発売中です!
原田和典
「ジャズ批評」編集長を経て、音楽・映画・劇・ミュージカルなどエンターテインメントへの愛を爆発させて現在に至る。著書に「モダン・ジャズ」(ミュージック・マガジン刊)
渡辺亨
札幌市生まれ。色々なものを聴いたり観たり読んだりして形成されたのが、現在の私です。
矢川俊介(本誌編集部)
1976年生まれ。柏市出身、中野区在住。2001年、ミュージック・マガジンに入社。2023年4月号から本誌編集長。


※それぞれの評文についた○内の数字が点数です。(10点満点)

ビリー・アイリッシュ『ヒット・ミー・ハード・アンド・ソフト』

BILLIE EILISH "HIT ME HARD AND SOFT"
インタースコープ〔ユニバーサル〕 UICS1404

もはや押しも押されもせぬ世界的ポップ・スターであるシンガー・ソングライターの、3作目となるオリジナル・アルバム

川口真紀
 二面性を表わしたと思わしきタイトルが象徴している通り、サウンドもアンビヴァレントなものが多いが、そこまで奇を衒った感がない絶妙なプロダクションは見事としか言いようがない。ソウル・バラードから一転、ニュー・ウェイヴ調になる7曲目はその最たる例。アルバム全体を覆う空気は不穏なのに、エネルギーに満ち溢れていて、そしてやっぱりポップ。巧みだなぁと唸ってしまった。

原田和典
 歌詞世界に言及されることも多いアーティストだが、個人的に惹かれてやまないのは、「多彩に聞こえるが、実は無彩色なんだ」的な音作り。白から灰色に至る距離の中で、やけに趣深いグラデーションを生み出しているといえばいいか。2部構成といえる「ラムール・ドゥ・マ・ヴィ」を筆頭に、歌とサウンド・プロダクション双方でニュアンスの妙を伝えまくる。ジャケット・デザインも抜群。

渡辺亨
 伝統的なポップスの形式にかなり沿った、聞きやすい曲が並んでいる。本作に関しては、映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の主題歌を歌ったビリー・アイリッシュの新作と紹介してもいいだろう。ただ、曲調の幅は広がっているものの、作曲家やプロデューサーとしての兄貴の芸風の狭さを感じざるを得ない。今後も、この21世紀版カーペンターズのような兄妹体制のままなのだろうか?

矢川俊介(本誌編集部)
 世界中が注目する3作目だが、まだ彼女が22歳であること、そしてその年齢で既に、回帰的でかつ開かれた、円熟さえ感じるポップ・サウンドに到達していることに感嘆する。ほかに誰がこんな10代を送れるだろうか。そこで歌われる詞の内容はやり場のない感情や赤裸々な若者の苦悩であり、本人曰く「これまでで一番正直な作品」だという本作は、さらに多くの人々の心を捉えるだろう。

リアナ・フローレス『フラワー・オブ・ザ・ソウル』

Liana Flores "Flower Of The Soul"
ヴァーヴ〔ユニバーサル〕 UCCV1201

ブラジル人の母とイギリス人の父を持つシンガー・ソングライターのメジャー・デビュー作。7月号にインタヴューも掲載

川口真紀
 英国人の父とブラジル人の母を持つというルーツがわかりやすく表現されている一枚。言ってしまえばブリティッシュ・フォークとボサノヴァなのだが、彼女の透き通るような歌声と流麗なメロディーにひたすら心地好く聴くことができる。“陽”な雰囲気を持った声なので、少し物悲しい曲でも、ひとたび歌うと希望の光が差し込んでくるようで、そこが本当に魅力的。ジャジーな曲との相性も良し。

原田和典
 知ることができて良かった、聴くことができて良かった。うだるような暑い日々が続くなか、いちばん手の届くところに置いている作品のひとつがこれだ。空気中にそっと漂うような歌声、ピアノや生ギターが醸し出す優しげな音作りに接すると、部屋の温度や湿度が自然に下がっていくような錯覚に浸れる。共同プロデューサー、ノア・ジョージソンが手掛けたミキシングも実に奥行きがある。

渡辺亨
 前号の“アルバム・ピックアップ”でも触れた通り、ペンタングルやニック・ドレイクを受け継いだ、ジャズやクラシックの室内楽の影響が色濃い曲に惹かれる。たまたま僕が前号と今号の輸入盤紹介欄で取り上げた2枚のアルバムも、“英国フォーク”がキーワードだが、その意味では、今っぽさも感じる。一方、ブラジルのチン・ベルナルデスと共演した曲も好ましく、残暑の時期にこそ聞きたい。

矢川俊介(本誌編集部)
 たった数秒間、試聴しただけでここまで惹き込まれたのは久しぶり。ブリティッシュ・フォークとブラジル音楽をミックスしたアコースティック音楽と言ってしまっていいのだが、そのあまりの自然体、てらいのなさに大器を感じる。ピュアであどけない佇まいでいながら、その奥にあるサウンドへのこだわり、アレンジのアイデアにも驚く。完璧でない、だが奇跡みたいなみずみずしさが刻まれている。

ハイエイタス・カイヨーテ『ラブ・ハート・チート・コード』

Hiatus Kaiyote "Love Heart Cheat Code"
ブレインフィーダー〔ビート〕 BRC758

10月末には来日公演も控えている、オーストラリア・メルボルンのソウル・バンドの新作。7月号にインタヴューも掲載

川口真紀
 ソウルやジャズのグルーヴを持ちつつ、より放漫で雑多な音楽をとんでもないクオリティでやっているという彼らに対するイメージは今作でも変わらず。これまでより大人し目かもしれないが、ジャズ・ファンクな5曲目などからはバンドの根本的な強さを感じるし、ネオ・ソウルな曲の美しさにも抗えない魅力がある。終盤のヘヴィな曲達は個人的には得意ではないが、彼ららしいとも思う。

原田和典
 アルバム・コンセプトが実に興味深いし、歌詞もSF的だったりメッセージ色が濃かったりとさまざまなので、国内盤のブックレットでそのあたりを参照すると一層立体的に楽しめよう。冒険映画のオープニング・タイトルのように華やかな「Dreamboat」から、私は引き込まれ、振り回され、快感に浸った。ベース・ライン(それは弦であったり鍵盤であったり)とスネアの絡みも惹きつける。

渡辺亨
 曲線と直線が複雑に絡み合ったような、いわば直感と理性の複合的バランスが、アルバムごとに微妙に違う。今回は比較的精巧に作られた曲が多いようだが、偶発性を生かした部分ほど耳に引っかかる。それとジェファーソン・エアプレインの原曲の換骨奪胎に走り過ぎたようなカヴァーより、むしろ2曲目のテンプテーションズの「マイ・ガール」のストレートな引用の方が意表を突き、印象に残る。

矢川俊介(本誌編集部)
 先行曲が何曲か出た時点で、すさまじい完成度と暴力的なキャッチーさに明らかな進化を感じた。これは彼らなりの“シンプルさ”なのだという。この複雑さで(笑)。逆にサウンドの追求はとどまることがないかのようで、「White Rabbit」のカヴァーのクレイジーさ、音像の強烈さはこれまでを含めても群を抜いている。まだまだ可能性を感じる、異世界のモンスターのような恐ろしいバンド。

MONO NO AWARE『ザ・ビュッフェ』

スペースシャワー PECF3290

”異なる者たちが席を同じくする食の場”をテーマに制作された、通算5枚目のフル・アルバム

川口真紀
 食をテーマにした各曲の歌詞も面白いが、展開著しいサウンドが何より楽しい。マーチング・リズムの上でめくるめく音世界が繰り広げられる「同釜」、シンプルなロック・ナンバーかと思いきや、途中レゲエのリズムが飛び出す「味見」、アンビエントな出だしからキャッチーなサビへと展開し、再びアンビエントな世界に戻る「お察し身」等、トピックは満載。曲のタイトルもユニーク。

原田和典
 私はこの4人組バンドに、大変に豊富な音楽的/文学的知識を持つツワモノ集団という印象を受けている。この新作でも、1曲の中に、なんと数々のアイデアが注ぎ込まれていることだろう。それがユーモアと、趣向に富んだオーケストレーション(音色選択)を伴って、実に明快に表現されるのだから、こちらの耳は喜ぶしかないのだ。「野菜もどうぞ」あたり、まるで落語の世界ではないか。

渡辺亨
 自転車を懸命に漕いでいる高校生の姿が浮かぶ青春映画の主題歌風の曲、多摩川のほとりからキンクスがロンドンのウォータールーを描いたイメージを交錯させつつ、ぼんやり夕暮れの空を眺めているような曲、映画『パスト ライブス/再会』のキーワードが表題の曲。これらの曲には、爽やかさや瑞々しさを感じる。反面、曲のテーマや歌詞、演奏のアレンジが、策に溺れていると感じる曲もある。

矢川俊介(本誌編集部)
 テーマを“食”に限定することで表現の幅が狭まるのでは、などと聴く前は思ったのだが、なるほど“食”から人生を見つめる玉置周啓による詞の視点はむしろ多層的に、アレンジのアプローチもより自由に、サウンドも含めたバンドのユーモアが際立つ結果に。彼らはもっと化けるかもしれない。街裏ぴんくが涙を浮かべながら「風の向きが変わって」のすばらしさを解説するYouTubeは必見。

折坂悠太『呪文』

折坂悠太 ORSK021

現代の日本を代表するシンガー・ソングライターの一人、折坂悠太の通算4作目。7月号にインタヴューも掲載

川口真紀
 朴訥とした穏やかなナンバーよりも、サンバ調のリズムの上で少し素っ頓狂な歌声を聴かす「努努」や、セッション感溢れる「ハチス」などが個人的には好み。一方で、アコースティックなサウンドをバックに“私は本気です/戦争はしないです”と歌う「正気」には心底痺れた。これくらいはっきり言ってくれた方が胸に響くし、彼が人気のある理由がわかったような気がする。

原田和典
 自ら爪弾くガット・ギターのフレーズが、まさしく歌につかず離れずという感じで快い。気分を思いっきり高めてくれたのは4曲目の「凪」。練りに練られたバンド・アレンジ、頼もしく伸びる歌声。途中の謎めいたインスト部分を経て、再び歌に戻るや即座に終わる潔さにも目のさめる思いがした。これと「努努」には中毒性がある。書いているうちにまた聴きたくなってきた。

渡辺亨
 表題はたとえば、“痛いの痛いの飛んでいけ”といった呪文を連想させる。本作は“魂/ディダバディ”という歌詞の一節が織り込まれている曲で始まり、“誰かが祈っている”という歌い出しの曲で終わる。健やかな生活の歌であり、日常の祈りのようなソウル・ミュージック集。だから聞けば聞くほど心が健やかになる。6曲目における言葉の連なりの響きやリズム、かけ声、そして演奏も見事だ。

矢川俊介(本誌編集部)
 やさしい歌とアコースティック主体の穏やかなアルバム、では決してない。どの曲を聴いても、言葉やサウンドにふわっとした違和感や引っかかりに出会ってハッとする。そんななかに“戦争しないです”のような明確な言葉が浮かび上がる。そして最後には「ハチス」という新しい代表曲が待っている。迷いと確信が同居するような折坂の歌は、不浄の世に咲く野花のように強く美しく響く。

RM "Right Place, Wrong Person"

Bighit

BTSのリーダー、キム・ナムジュンのソロ作品。多くの豪華ゲストが参加する中には、HYUKOHや落日飛車のメンバー、岡田拓郎などアジアのミュージシャンの名前も

川口真紀
 グループのメンバーのソロ作というものは概してグループとは違うものになるが、あまりの違いに驚愕。アブストラクト、サイケ、オルタナティヴ・ロックなど本当に様々だが、どれも生命力漲る曲ばかりで、彼の今作に込める思いが伝わってくる。実験的な曲よりも比較的オーソドックスなヒップホップ・チューンの方が個人的には好み。リトル・シムズ、ドミ&JDベック等の参加も興味深い。

原田和典
 「もし自分がBTSではなく、ひとりのキム・ナムジュンという青年のままだったらどうなっていただろうか」というテーマのもとに作られた一作であるという。トラックにはドミ&JDベック等も関与、曲によってはベースやバス・クラリネット(だと思う)が濃密な響きを出しているので、低音のよく出るシステムで楽しめば興奮も倍増。メロウな音作りに無骨な歌声が乗る 'Heaven'も趣深い。

渡辺亨
 リトル・シムズやモーゼス・サムニー等、またもや僕が贔屓にしてきたアーティストが関わっている。日本のエンターテインメント関係者の中には、BTSの海外での成功に歯ぎしりしている人も多いだろう。が、RMはアンダーソン・パークやエリカ・バドゥと関わるなど、自ら音楽的方向性や人脈を切り拓いてきた。そんな彼だからこその、世界共通語としてのヒップホップに基づく佳作だ。

矢川俊介(本誌編集部)
 あまりに巨大になったグループのリーダーのソロ作はUSヒップホップ/インディ・ロックの折衷的なサウンドで、明確にBTSと一線を画す。人種やジャンルを越えたゲストのセレクトからもRMの音楽オタクぶりが見えてきてニヤリ。一方で、訳詞を読みながら聴いてみると、不安や不満に満ちた赤裸々な内容にショックを受ける。そして、タイトルの意味に立ち返ることになるのだ。

シェラック『トゥ・オール・トレインズ』

Shellac "To All Trains"
タッチ&ゴー〔ディスクユニオン〕 TG444CDJ

5月7日に急逝したスティーヴ・アルビニ率いる3人組バンドの最新作。7月号にはアルビニの功績をふり返る追悼特集も掲載

川口真紀
 スティーヴ・アルビニに対してまったく思い入れのない自分がこのアルバムを評していいのか、少なからず葛藤があるが、ソリッドで躍動的なサウンドは純粋にカッコ良いと思ったし、アナログ録音ならではの荒々しさ、生々しさにも痺れた。ドラムが生み出すビートも太くて、黒々とした畝りを感じる。あっという間の28分だが、この中に物凄いエネルギーが詰め込まれている。

原田和典
 通算6枚目は、17年から22年にかけて録音された全10曲入り。中心人物のスティーヴ・アルビニが5月に亡くなったのでラスト・アルバムになるのかもしれない。スリー・ピースによる種も仕掛けもない、だが邪悪さはしっかりと沁み込んでいる骨太のロック。'Chick New Wave' での3人の一体感、つんのめったようなビートで迫りくる 'Scrabby The Rat' がハイライトと聴いた。

渡辺亨
 スティーヴ・アルビニがパフォーマーとして関わったアルバムの最高傑作ではないが、エンジニアとしてのスキルとセンス、つまりサウンドに関してはほぼ手放しで賞賛する。シンプルでありながら、エネルギーが凝縮されていて、しかもソリッド。ミキシング以前の、音録りがすごく良い“ロック・アルバム”として申し分ない。ナイフというより、切れ味の良いナタのようなアナログ・サウンドだ。

矢川俊介(本誌編集部)
 スティーヴ・アルビニの音をすべて追っかけてきたわけではないが、彼に貫かれているロック・ミュージックへの純潔な信念/信頼、オルタナティヴへの精神みたいなものは、心に留めておくべきものとしてずっと自分の中にあった。それらがこの遺作の隅々まで鳴り響いているよう。「俺は地獄を怖れない」という最終曲のヘヴィなリフが、アルビニのこの世への誠実な叫びのように聞こえる。

以上の「クロス・レヴュー」も掲載されている2024年8月号、好評発売中!

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