見出し画像

自傷行為とエロい話

この後書く内容はとても暗い話になります。
暗い話になる一方で少しエロい話にもなります。

自分がなぜMなのかを自分なりに考えた結果を言葉にしてみました。

人の心の動きはとても複雑で理解できないものですね。
私は他人の心以上に私の心を未だに理解することができなかったりします。


私は今現在もかなり病んでいる状況です。
具体的には自分の頭の中で「生きている価値がない、生きている意味がない。死ねばいいのに。」などの言葉が響いている。
昔はこの声を聞く度にどんどん病んで苦しくなっていました。最近は基本的にはこれを聞き流しています。

無視はしていないです。真剣には考えつつ聞き流しています。
矛盾している言葉ですが自分の心の声を無視してはいけません。自分が自分の心の声を受け止めないと自分というものがなくなってしまう。
過去にそんな風になった結果が自殺未遂だったので、自分の感情はきちんと受け止めています。
でも、あまりにこの言葉を真剣に受け止めすぎるとそれはそれで精神的に病んでしまいます。

なので、矛盾していますが、自分の心の声を無視せずに聞き流しています。
聞き流しながら考えています。私が生きていて楽しい生きたいと思える人生にするにはどうしたらいいのだろうかと。


以前、自殺未遂についての経験をnoteに書きました。
自殺未遂というのは命を絶つ行為ですが、生きることに向き合って生きることを真剣に考えた結果でもあります。
生きることに真剣に向き合った結果、生きることがつらくなる。そんな感覚です。

死んでしまうことが正しいと思っていませんし、死にたいわけではないんです。
「生きようと真剣に考えた結果は生きていることが苦しくなる」というのが、気持ちを言葉にした時に近いかもしれません。


脳内でネガティブな言葉が響くと同時に自分を傷つけるような想像が頭の中で流れます。
刃物で斬りつけたり自分で自分を殴ったり、自分で自分の手足をねじり切るようなえぐい映像が浮かぶ。

私は私が嫌いだ。
今、私は苦しんでいて生きている。そして痛みを感じるということは生きているということだ。

私は性的な嗜好としてMなのは上記のような気持ちの流れが起因しているのだと思います。

私にとって痛みと快楽は近い部分にあるのかもしれません。
痛み=快楽ではないですよ。痛みは苦痛です。

痛みと快楽の共通点が『自分が生きていることを実感できる。』という点です。

責められたい。快楽を感じたい。痛みを感じたい。苦しいほどの快楽におぼれたい。
それは生きていると実感したいからなのだと思います。


私にとっての初めてのセックスは残念ながらトラウマになる経験でした。私の好きな人は私のことを好きではありませんでした。
その一方で初めて「生きている」ことを強く感じて、幸福感はとても強かった。幸福感と同時に悔しさを感じた経験でした。

『私を好きな人とこれを経験したらどれだけ幸福なのだろう。』
私はこれを知りたい。と思って生きて来て結果的にまだちゃんと知ることができていない。
自分がやりたいことができないから死にたいなんて極論すぎますが、私はそれを思い詰めるほど悩んでいました。

ふと立ち止まって振り返ると、何をやっているんだろうと思うんですよね。未だに恋愛を成就できていない結果を思うと。
恋人がいたことがないというのは、自分は欠陥品なのだろうかと思ってしまう。


少し話がそれましたが、私が責められたくてMなのかもしれないのは、自傷行為に近いのかもしれないということ。
元々、性的なことに対して非常に嫌悪感を持っています。
死ぬことと性的なことは自分にとって同じぐらいタブーなんだと思うんです。

でも、やってはいけないことへの興味と背徳感は近いのかもしれない。
セックスなどの快楽を『天国』と表現しますが私にとってそれが近い表現なのだと思う。

私にとってのMという価値観についてでした。


少し余談ですが。
ナナとカオルというSMの漫画が好きでした。
真面目なヒロインの息抜きのために主人公とSMをするというお話。いつも真面目なヒロインはSMを通して自分を解放する。自分もされてみたいという憧れがありました。

自分の中で壊れそうな『何か』を解放したい。
その手段が自傷行為と責められることなのかなと思います。


実際、私にとって自慰行為と自傷行為も近いものがあるかもしれないです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?