【2018年の観劇まとめ】①

 2018年の観劇本数は、31公演40作品でした。最初から言い訳になりますが、生活の変化や諸事情により日程を合わせることができず、見たかった公演や作品は観た数と同じくらいありました。とはいえ、そんな状況でも月平均3本ほどを観たられたのとはありがたいと思います。その中から印象に残った3作品を紹介します。


1)Best 1 <肌感覚の愛おしさ>


KUDAN Project「真夜中の弥次さん喜多さん」@ナビロフト(11.29-12.1)[原作;しりあがり寿 脚本・演出:天野天街 出演:小熊ヒデジ、寺十吾]


 2002年の初演以来、なんども再演されて来た作品で、今回初めて観ました。江戸から伊勢に向かう弥次さん喜多さんの男性二人による芝居です。冒頭、弥次さん喜多さんは同じ布団に寝ていて、二人の肌で感じあえる距離感がわかります。そこから”下らなくて”とことん”バカバカしい”ナンセンスなやりとりが時間や空間を行ったり来たりしながら繰り広げられます。この”下らなくて””バカバカしい”は褒め言葉です。現実なのか夢なのか曖昧な時間と、どこにいるのかわからくなる空間の歪み、手を繋いだ(腕を組んでいたかもしれない)二人が障子の向こうへ消えてしまうラストシーンに肌の温もりを感じ、時空を遊ぶ二人の裏側にお互いに通じている愛情を感じました。
 KUDAN Projectは、プロジェクションマッピングによる映像効果、瞬時に変わる舞台美術、音響など、見応えのあるスタッフワークも魅力の一つです。舞台上に登場するのは役者二人ですが、その裏で支えるスタッフワークは三人目の役者として作品を共に創っています。
 初演から16年経って主演の二人も年齢や経験を重ねて、弥次さん喜多さんのように演劇という時空で遊ぶ様を観られるのは、観客にとってもこの作品との出会いは幸せなことなのだなと思いました。


2)Best 2 <百年の”レクイエム”>

ナイロン100℃「百年の秘密」@PLAT穂の国とよはし芸術劇場(5.8-9)
[作・演出;ケラリーノ・サンドロヴッチ 出演:犬山イヌコ、峯村リエ、萩原聖人 他]

 ケラリーノ・サンドロヴィッチは、私にとってはロックバンド「有頂天」のヴォーカルという印象の方が強いのですが、今やすっかり日本演劇界を牽引する作家です。そのケラ氏のナイロン100℃「百年の秘密」は2012年初演。前評判を見聞きし、これは逃してはいけない公演なのでは?と直観で、豊橋まで飛び込みで観劇しました。全2幕で3時間半の大作でした。その3時間半に100年分の物語が詰まっていて見終わった後、時間の旅をしたような余韻に浸りました。
 ヨーロッパ風の屋敷の、部屋なのか庭なのか区別が曖昧な空間と、何かを暗示しているような大きな木が正面にある舞台美術。こ100年に渡る物語が、時間を前後させて展開されます。女中のナレーション的なセリフが、時間が移動するごとに年老いたり故人になったり若かったりしながら、時間軸のどこにいるのか観客を迷子にさせることなく導き、屋敷で暮らす家族たちと友人知人の名誉、権力、貧富、友情、憎悪、恋慕など、カーテンの細かいヒダを徐々に広げるように人間の本質があらわになっていきます。そして主人公の少女二人が交わした些細な秘密は、そこに集う人々の人生の歯車を静かに狂わせていきます。
 登場人物の人間関係も複雑に展開しますが、どの人物も最期は決して幸福とは言えない、当人にしたら「こんなはずじゃなかった」と言いたくなるような人生の終わり方をします。しかし、自分の思いもよらないことに翻弄されたり、運命の悪戯と思うような事故や病気、不条理と呼ぶような災害などある中で、自分の思い通りに死を迎える人は、一体、どのくらいいるのでしょうか?
 2012年の初演時、ケラ氏は公演チラシに[.....劇中に震災を想起させるような要素は皆無だが、執筆≠稽古中、ずっと頭にあったのは、幸せとは言えぬ亡くなり方をした方々の、その人生を引っくるめて「悲惨」と称してしまうことへの反発と、そう称されてしまう人生たちへの擁護だった。「終わり良ければ」は人の一生には当てはまらないのではないか。別の言い方をすれば、そもそも悲惨でない人生なんてないんじゃないか。そんな気持ちだった。]と書いているように「百年の秘密」は死者へのレクイエムなのだと思いました。


3)Best3 <淡(あわ)い間(あわい)>

perky pat presents 13「下校時間/後厄」@円頓寺レピリエ(4.15木〜23月)[作:長谷川彩 演出:加藤智宏 出演;古家暖華(M.カンパニー)、藤島えり子(room16)、棚瀬みつぐ、森本涼平(タツノオトシドコロ)、矢野健太郎(てんぷくプロ)、早川綾子、おにぎりばくばく丸(上田勇介)]

 推カケ⭐︎批評塾の4月推カケ公演に選ばれたもので、若手劇作家の長谷川彩氏の短編を2本立てで上演されました。どちらの作品も、会話に具体的な説明的なセリフがなく、観客は登場人物の会話の中から、状況や関係性を想像して物語を読み解いていく仕掛けになっています。従って、観客の条件(性別や年齢や環境や状況など)が作品の受け止め方にダイレクトに影響し、公演後日の語る会では、参加者それそれの感想の違いも興味深かったです。男性には「下校時間」の思春期特有の淡い恋愛感情に懐かしさを感じているようでした。
 前半の「下校時間」は中学生男女が客席に向かい、「後厄」は若い二人(のうち女性)は客席に対して背を向けて会話をする演出は、中学生の若い勢いと大人の落ち着きとの対比として効果的でした。特に「後厄」では、縁側のある長い廊下は、現実には俳優が折り曲げて移動しながら、観客の脳内ではまっすぐの廊下に変換して観せるところは、会場のレピリエの空間を知り尽くした演出の妙だと思いました。
 個人的には「後厄」の若い二人の微妙な距離感が興味深かったです。時に、人と人の出会いと別れには、明確な境界線を引かない”淡いさ”があり、親しみを残したまま感情が変化していく。時間が経つにつれ、それを懐かしく思い出すようになるまでの間(あわい)を、この作品から感じ取りました、極力説明を省いた会話は、人と人との関係性においても”淡い間”が存在することを表現していました。

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