不運な生き物

世の中には自分ではどうしようもない不運な目に遭っている生き物がたくさんいる。

信じられないことに、
そういう生き物、特に人に対して「自己責任」、「バチが当たった」とか「そういう目に遭って当たり前だ」と言葉を投げつける人達がいる。

そういう人達のことを憎いと思う一方で、
実はこの人達は私と近い所にいるんじゃないかと思うことがある。

不運な目に遭っている生き物を見るのは心が痛むし、苦しい。
中学生くらいまでの私は、そこから目を背けるのは悪だと思って
四六時中そういうことを考えて、世の中に絶望していた。
いわゆる思春期で、みんなあんまり口に出さないだけで、同じように悩んだ人は沢山いるんじゃないかと思う。

私は思春期の中で『考えない』という対処法を身につけた。
("人間のために動物を実験に使って苦しめることの正当性"を見つけられないまま、製薬会社で働けているのも、『考えない』ようにしているからだと思う。)


私が『考えない』という対処法を見つけた一方で、
『理由づけ』という対処法を見つけた人もいるんじゃないかと、時々考える。

「"この人は悪人だから、自分より下等だから、○○だから、"こんな目にあっても仕方ない」と考えれば、気分がずっと楽になる。
不運な生き物が見えても、世の中に絶望しなくて済む。

正直、私の『考えない』対処法よりも
『理由づけ』の方が幸せに世の中を見られる気がする。

でも、結局1番羨ましいのは
そういうことを考えたことがない人である。
そんな人いるのか分からないけど、いるなら
羨ましいし、めちゃめちゃ恨めしい。

虐待されている子供を見えないふりして、
「親は子供を愛してるに決まってるんだから」
と言ったりするお花畑な人とか。
「日本には差別はない!」って言えちゃう人とか。
「単純労働は途上国に出来る限り安く任せて、我々日本人は頭脳労働に注力しよう!」って何の憚りもなく言えちゃう人とか。
この文章は誰かを批判したくて書き始めたものじゃないから、これ以上書くのはやめるけど、例を挙げればキリがない。

私自身も、私が日々関わる人達もみんな、
他人や他の生き物から搾取している立場にある。
それに気付くことなく生きていられる鈍感な人間は罪だと思うけど、物凄く羨ましい。

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