満たされると感受性は死ぬのか

なんか文章を書かないと感受性が死にそう!!やばい!!って思ってnoteを始めてみました。
社会人になって以降、140文字以上で自分の感想や意見、経験を文章にする機会が全くない。
Twitterでポコポコ呟ける程度のサイズでしか思考を広げてないなぁ…と気がついて急に怖くなってきた。

最近の私は概ね満たされています。
転勤してからは仕事も辛くないし、やりがいもぼちぼち。
あと、結婚して、ふっと孤独を感じる瞬間がほとんど無くなったのは大きい。

自分に対する不満とか孤独感が薄まって以降、あんまりメモを取らなくなりました。
私はいわゆるゴミ屋敷の住人です。捨てられない人です。
学生時代の教科書はもちろんのこと、学食のレシートさえ捨てられない。なんか思い出深いから無理!これはゴミじゃない!

捨てられないのは物だけじゃなく、自分の心の動きもそうでした。
毎日毎日、思ったこと・刺さった言葉(小説のフレーズでも、演劇やドラマ、アニメのセリフでも、誰かの発言でも)をメモ!とにかくメモ!

でも、思春期を終えて、だんだん自分に満足するようになって、すっかりメモを取らなくなりました。物も捨てられるようになったし。
良かった〜大人になった〜って思うけど、
同時に、自分の心の動きに鈍感になったような気がしています。
無駄なことを考えなくなった、感じなくなったとも言える。

逆に、
失恋した時が1番感受性豊かだった気がする。
何の歌聞いても感情移入して泣けて、悲劇のヒロインごっこがめっっっちゃ楽しかった。
あと思春期に対人関係で悩んでた時。
その頃大好きだった小説とか、今読むと寒いな???メンヘラか???ってなる。
深い〜!!って思ってた歌詞、全然浅い。
(私が勝手に深い!って評価を下していただけなので、歌詞そのものの価値は何ら変わりません。今もいい歌詞だと思う。)

結局どっちが良いのかよく分からないけど、
感受性が死んでいくのが怖いので、定期的になんか書きたい。

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