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ローマ人への手紙3:9 〜 20★2022/10/25掲載分
デボーションガイド*ハーベストタイムより
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【御言葉】ローマ人への手紙3:9 〜 20
9 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。
10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」
13 「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」
14 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」
15 「彼らの足は血を流すのに速く、
16 彼らの道には破壊と悲惨がある。
17 また、彼らは平和の道を知らない。」
18 「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」
19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。
20 なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
《参考》
すべての人は罪人(2)
*パウロの論理展開
パウロの論理展開を復習。
① 異教徒の罪(1:18 〜32)
② 文化的異教徒の罪(2:1〜 16)
③ ユダヤ人の罪(2:17〜3:8)
*有罪の証拠(10〜18節)
パウロは、すべての人が罪人であることを証明するため、旧約聖書から7カ所を引用。
(1)これもラビ的論法の一つ。
ある事項を証明するために似たような聖句を「真珠の数珠つなぎ(英語でpearl-stringing)」のようにつなげる論法。
ヘブル的視点で聖書を読むことが重要であることが、よく分かる。
(2)ここでの引用は、詩篇と預言書から。
パウロは、第一義的にユダヤ人に向かって語っている。
ユダヤ人の有罪を証明すれば、全人類が有罪であることの証明になる。
これが「大から小へ」の論法。
(3)7か所の引用は、意図をもって並べられている。
引用は、4つに分類することが可能。
*第1番目の分類
「すべての人が罪の束縛の中にある」というのが、第1番目の分離の内容。
「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない」(10〜12節)。
(1)パウロは、詩篇14:1 〜 3、53:1 〜 3を引用。
詩編14:1~3
1.愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、善を行う者はない。2.主は天から人の子らを見おろして、賢い者、神をたずね求める者があるかないかを見られた。3.彼らはみな迷い、みなひとしく腐れた。善を行う者はない、ひとりもない。
詩編53:1~3
1.愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき不義をおこなった。善を行う者はない。2.神は天から人の子を見おろして、賢い者、神を尋ね求める者があるかないかを見られた。3.彼らは皆そむき、みなひとしく堕落した。善を行う者はない、ひとりもない。
詩編14:1
「愚か者は心の中で、『神はいない』と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行っている。善を行う者はいない」。
この詩篇は、内的確信が間違っていると、結果として行為が堕落することを教えている。
すべての人が罪人であるという教えは、パウロが創造したのではなく、旧約聖書がすでに啓示していたこと。
心の中の思いが神から外れると結果、行為が堕落する。
このことをしっかりと受け止め、御子イエスを通して父なる神との和解を求めよう。
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