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パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命

行っていたのにレビューを書いていなかった展覧会シリーズ、第7弾。去年(2023年)の秋に国立西洋美術館で開催されていた『パリ ポンピドゥーセンター キュビズム展ー美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ』です。

今気がつきましたが、タイトルがめちゃくちゃ長いですね。


生涯で2度とない(だろう)キュビズムがテーマの大展覧会

キュビズムは、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックによって生み出されたとされています。

キャンバスという二次元の世界に描く空間を、それまでの遠近法や陰影による表現を捨て、複数の平面の組み合わせで、まるで立体描くようにように再現するという試みで、この表現があまりに画期的だったため、彼らの試みは当時パリで活躍した芸術家に大きな影響を与え、それがヨーロッパ中に波及する20世紀初頭の芸術運動になったものです。

初期のキュビズムの作品、結構好きで、セザンヌ、ピカソ、ブラックの作品は、ここまでの人生でかなりの点数見ている私。最初に企画展のチラシを見つけた時も、期待値薄めで眺めていました。

でも会期が近くなって、街中のポスターを目にすると ”50年ぶりの大キュビズム展、ついに開催” とのこと。一生に一度しか見れない企画展というなら見に行ってやろうじゃないの、と有給休暇を半日取って上野まで、で見に行って半年以上放置、です。いけませんね。

結論から言うと、確かに大展覧会。ポンピドゥーセンターと国立西洋美術館の共同企画によって集められた約140点の作品が14章に分けて紹介されており、ピカソとブラックを見たくらいでキュビズムを語ってくれるな、という感じが企画に現れてました。

初期はブラック推しで

キュビズムと言って私が思い出すのはジョルジュ・ブラック(Georges Braque)。無彩色の図形で構成されたキュビズム的な人物画や静物画を多く残しています。それらを見るたびに、これだけスタイルを突き詰めるってすごいな、と毎回感心するんですが、あまりに同じような絵が多いのも特徴です。

そう、絵を見ればブラックの作品なのは明らかなのに、その作品が前に見たものなのか初めて見る作品なのか、判別するのが難しいんですよね。

ただ、ここで展示されていた『大きな裸婦 (Large Nude)』や『レスタックの高架橋 (The Viaduct at L'Estaque)』はちょっと趣が違って新鮮でした。いずれも彼がキュビズム的な作品を描き始めたばかりの頃の作品で、前者はピカソに影響を受けて、後者はセザンヌに影響をのがはっきりわかるんです。こうも器用に他人の画風に似せられるのって、すごいですよね。

こういう作品を見ることができると、結果として抽象性が増していく20世紀前半の芸術家が、どういうプロセスを経て彼らが確立したスタイルに行き着いたのか、というのがわかるから、理解が深まります。

キュビズムの様々な発展形

初期の作品紹介は14章中、最初の4章まで、残りはピカソ、ブラック以降にキュビズムを進めたスペイン人画家のフアン・グリス(Juan Gris)やら、ピュトー・グループと呼ばれたアーティストたち、またフランス以外のヨーロッパ各国からやってきたアーティストにどう受け入れられていったのかをあとの8章で紹介しています。

レジェやロベール・ドローネー、シャガールとか、キュビズムという文脈で作品を見たことがなかった画家も多かったので、彼らの芸術活動のとある一時期にキュビズムが影響を与えたなんて、深く考えてこともなかったけれど、展示作品を見ればモチーフそのもの、または背景に展開される形を見れば、確かに幾何学的。

でも個人的にどれが響いたかといえば、フランティシェク・クプカ の『色面の構成 (Planes by Colors)』を筆頭に挙げたいと思います。なぜならこの展覧会、この人の作品を見たくて行ったようなものだから。

フランティシェク・クプカ『色面の構成』より

フランティシェク・クプカ(František Kupka)はチェコ(当時はオーストリア=ハンガリー帝国領の東ボヘミア)出身でパリで活躍したグラフィックアーティストで画家。キュビズム的なフォルムと色彩論に影響を受けた作品を残しています。

この展覧会で展示されたのと同名のタイトルがついた裸婦の油絵が、ソロモン・R・グッゲンハイム財団 (Solomon R. Guggenheim Foundation)に所蔵されていて、今は亡きセゾン美術館で開かれた展覧会で見た時に、一目惚れしちゃったんですよね。それ以来、この人の作品を生で見たことがなかったので、どうしても今回は見ておきたかったんです。

女性の体はシルエットのみですが、体にフィットしたドレスを着て、左腕を腰に当てて少し俯いており、それを大胆で平面的な形とオレンジから緑という比較的近い色で描き分けています。デザインとしても洗練されていて、複製でもポスターでも良いから、家に飾っておきたい。

あと初めて知ったアーティストの作品で印象的だったのが、エレーヌ・エッティンゲン(Hélène d'Oettingen)の『無題』。解説に男爵夫人と紹介されていたので、東欧貴族がどうしてフランスまで、と思ったんですけど、この方、早々に離婚されてて、いとこであるセルジュ・フェラ(Serge Férat、この人の作品も展示されていました)と一緒に絵を習いにパリに来て、そのまま永住しちゃったんですね。

彼女の『無題』という作品、黒の背景に数人の横顔が描かれているのですが、肖像というよりもイラストっぽく、これが1920年頃に描かれたと思うと非常にポップな感じがします。

エレーヌ・エッティンゲン『無題』より

クロージングが弱かった

このキュビズム展、最後の2章で、第一次世界大戦下でのこの芸術運動の姿、そしてその後の紹介で締め括られます。

ここまでの作品群でお腹一杯だという気持ちがあったのは否めないのだけれど、どそれにしてもこのクロージング、個人的にはちょっと弱かった気がします。

第一次世界大戦の戦禍はパリにまでは及ばなかったものの、そこでの芸術活動に影響を及ぼさないはずはなく、特にピカソをはじめとする芸術家を支援し、キュビズムの作品を多く買い付けていた画商、カーンワイラー(Daniel-Henry Kahnweiler)がドイツ国籍だったこともあって、キュビズムが政治的にドイツ寄りな扱いを受け始めたということなど、解説はよくわかるんですけど、そのキュビストたちが戦時中に制作したという以外に、そういう社会情勢と展示作品の関係性が弱かった気がします。

第一次世界大戦下で、キュビズムがドイツ的とされていたというのは初耳で、その後ヒトラーが近代絵画を退廃芸術として扱ったことを考えると、本当に皮肉なものだと思います。戦時中って、物の見方も短絡的になりがちなんでしょうね。

最後のキュビズム以降の作品についても同様で、ここでなぜ急にル・コルビュジェ?って思ったんですけど、それって会場が国立西洋美術館だから、って言う理由くらいしか思い浮かばず。個人的には、この展覧会で散々紹介してきたそれぞれのアーティストによって、そのキュビズムの試みが昇華されて様々な方向に進んでいったのが、「以降」なんだろうと思っています。

そう考えると、もうちょっとどうにかならなかったのか?という気がしてしまうんですよね。なんか、壮大に議論展開していったけど、結論で弱くなっちゃった論文みたいな印象が残りました。

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