ゲド戦記 書評 1作目 影との戦い

児童文学について書く!と投稿しながらも、その時は酔っ払いの勢いで投稿したので、これは恥ずかしいしやる気もないのでやらないな、と思ってたけど、今酔っ払いなので書けそうなので書く。
ゲド戦記を知ったのは、そもそも宮崎吾朗のジブリ映画から。
映画自体はものすごく浅いなぁと思ったんだけど、なんとなく、伝えたいことや哲学がこもっているように感じていた。
その時は原作を読もうとはおもっていなかったんだけど、読むきっかけとなったのは老子だった。
大学時代、哲学の授業で老子にめちゃハマって、ゲド戦記の作者であるアーシュラ・K・ル・グウィンが、ファンタジー好きで、現代(といってもそれももう昔の話なのかな)のファンタジーを築いたトールキンに影響されたのに加えて老子の思想に影響受けていたようだ、という情報を知ったから。
(実は指輪物語はゲド戦記読んだあとに読んだんだけど、どちらも共通してかなり作者の思想が盛り込まれている)
ごめん、酔っ払ってっから脈絡はない。
ちなみにゲド戦記は児童文学というよりかはそこからの大人のファンタジー小説。
(老子の思想との関係はめんどいから説明しないね。とりあえず老子は無為自然がテーマ。)

ま、いいや。

▼1作目、影との戦いのあらすじ
アースシーのゴント島に生まれた少年、ゲドは自分に並外れた力が備わっているのを知り、真の魔法を学ぶためロークの学院に入る。進歩は早かった。得意になったゲドは禁じられた魔法で自らの<影>を呼び出してしまう。

↑↑↑↑
やばい、↑は本の背表紙に書いてあるあらすじなんだけど、すでにネタバレしている。。。。。素敵すぎる。。。。。

ゲドは、ジブリ映画のゲドと同一の人物ね。一作目は彼が魔法使いになる話です。
彼が生まれたゴント島はね、田舎なんだけど、かなり優秀な魔法使いになる人材となる人たちの出身地なんですよ。
あ、だめだなぁ、良いなと思うところがバラバラしてる。
まぁいいや。
とりあえず話の筋を話そ。
そんでね、まぁゲド戦記って最終的にはゲドがかなり悟りを拓くんだけど、若きゲドを、かなり初めのページで「雑草のように大きくなった。騒々しく、傲慢で、すぐにかっとなった。」と描写している。
↑の通り、彼は世紀どころじゃないレベルの逸材なんだけど、それを自覚してるが故にプライドの塊だったんだわ。。。
それで近所のずる賢い悪い魔女の娘にそそのかされて、使ってはいけない魔法を使うんだよね。
自分が馬鹿にされている瞬間、自分はもっとすごいんだっていうことを見せつけたいがために。
この感覚すごくわかるし、この感覚って本当浅はかだよなぁ。。
自分のプライドが傷つけられることによって平静でいられなくなる。
まぁそんで死の世界の呪文を唱えるんですね。何も知らないのに。
あー、、だめだ。。あらすじ説明したくなっちゃう。。全部伝えたくなってしまうとダメね。
ようは死の世界の呪文となえたら、影の自分がでてしまって、それにめちゃ追い詰められるんだけど。
彼はものすごい力を持っているからそれに飲み込まれると世界が破滅するレベルでヤバい感じになる。
でもそれって単純に自分と向き合うことがテーマなんだよね。
自分に向き合って受け止めることがこの話の最後。
こんなん児童文学じゃねぇくらい難しいわ!

もういいや、全然また話したいこと変わるけど
ゲド戦記の初めの作品から、真の名前、というのが大切なんだよね。そこが私すごく良いなと思っている。なんだろうな。
魔法使いが魔法を使えるのは、真の名を知らないとその対象を操れないんですよ。
それはつまり物事の本質を捉える、ということなのかな。。。?まだ私にもわからないレベル。。なんか高尚な感じするから好きなのかも。
そこからの小説の割とはじめのほうで、ゲドの師匠オジオンの言葉
「聞こうというなら、黙っていることだ」
これ、なんだろう、すごくない?????
なんだろう、なんだろう、、、結局何にも、伝えられないけどとにかく深いんだよな。。わしにとって。。。。。。。

なんかね。なんとなく。わかってきてる気がしちゃうんだけど、ゲド戦記は三部作から始まって、それで終わりだと思ってたら十数年後に続編がでて、またその十数年後?(多分)に続編がでて。。という作品でね。

なんかその長い月日で作者が感じたことや得たことがかなり抽象的かつ具体的に描写されていくんです。

ものすごく価値が有る、と思ったんです。

わかりたい、わかりたいと思わせる、いくつになっても気づきが得られそうな、読み続けたい作品です。

2作目3作目とか書評する感じじゃなくなったけど、まぁゲド戦記、しゅき!
そこから指輪物語も読んで、それはそれで別の良さあったから、次は指輪物語のことかこーかなー!!

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