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1次産業DXは成立し得るのか

もはや「DX」って何だっけ、から始めないといけないくらい、スベリ倒している「DX」を使って語るのはナンセンスなんだが、そこから挑むのが面倒なので、敢えて無神経に使うことをお許しいただきたい。

その上で、農業や漁業といった1次産業にテクノロジーを持ち込む「1次産業DX」について、現時点の私の考えをつらつら書いてみる。

ちなみに1次産業DXで先行しているのは、農業分野だろうか。「スマート農業」「アグリテック」と言った言葉で語られる試みがそれになるだろうか、と思う。

何のためにやるのかを考察

識者が口酸っぱく言うように、DXも手段だと考えると、1次産業DXも何らかの目的があっての手段ということになる。では、その目的とは何だろうか?

私の知る限り、どの1次産業DX も、とことん掘り下げれば「食糧資源生産の効率化」を目的にしているように思う。もちろん、掲げられた目的はそれではなく、「過疎高齢化した限界集落を盛り上げたい」とか「世界の食糧危機を救いたい」などなどもあり得る。それら掲げられた目的をも、掘り下げて本質的目的にしてしまうと、結局は、「食糧資源生産の効率化」になる。

なぜ、食糧資源生産の効率化、は必要なのか

そこで更に考えてみる。私が見る限り、「食糧資源生産の効率化」はほぼ全て、「1次産業の工業化」で実現する建て付けになっている。

例えば、魚介類の陸上養殖や、農業における「植物工場」が分かりやすい。人類史上これまで、農業はほぼほぼ、天然天賦の資源にほぼ頼り切ってきた。突き詰めれば、天然の大地・大海というフィールドで、太陽エネルギーの恩恵のもと、天然の他生物を肥やし収穫してきた。

産業革命後、世界的な人口増加で食糧危機が見越された(T・R・マルサス『人口論』を読まれたし)。そんな中、1913年 ハーバー・ボッシュ法が確立され、大気中の窒素を化学的に取り出して利用することができるようになり、養分・土壌改良が効率的に行えるようになった。このことで、荒地も耕作地として開墾でき、単位面積あたりの収穫量も爆増した。さまざまな加工法・保存法の発達、物流網の発達の貢献も加わり、危惧された食糧危機は回避され今の今まで人口爆発し続けて人類は繁栄してきた。(ちなみに、だからと言って、世界中どこも飢餓が無かった、というわけではなかったが)

21世紀になって、地球という球体全体における拡張余地の限界が自覚できるようになった今、「このままではサステイナブルではない!」となって、食糧増産や生産維持のブレイクスルーを模索する向きが出てきた。その中でも日本では、少子高齢化や都市への人口集中に伴う担い手不足の深刻化が加わり、人間が少なくても食糧生産を維持するという「省力化」「無人化」が強く志向されていると思う。

人類が現時点で持っている生産性向上手段は、工業化だけ

以上のように、世界では「増産」の意識が強い一方で、日本では「省力化」「無人化」の意識が強いように私は見ている。ただ、それに対する解のイメージ・プランは、どっちも大差は無いとも感じる。

今の人類が考える解のプランはどれも、「1次産業の2次産業化」だ、ということだ。いわば、プラント化だ。

例えば農業。天然フィールドで雨ざらし風さらしの中で行う「露地栽培」より、植物工場やハウス栽培が好まれる。理由は簡単だ。環境制御がしやすいから。不確定要素(日照不足・降雨不足・害虫飛来・近隣からの薬物飛来といった)を排除しやすい。それに何より、機械には稼働条件があって、野生の不確定要素は機械の安定稼働を脅かす。収穫ロボットに、吹き付ける砂埃は大敵。ゲリラ豪雨で壊れるかもしれないし、強い日差しも劣化を早める。人類が編み出した効率化の最大の武器である「機械様」が安定して快適に稼働してもらうために、機械様の安定稼働条件を実現して差し出さねばならないのだ。

漁業に関しても、魚介類の「陸上養殖」という試みがそれに当たるだろう。天然の海は不確定要素が大きすぎる。波浪、潮位変化、潮の流れ、漂流物、捕食魚類や捕食鳥類、航行船舶など、天然の海で「機械様」が安定稼働できる環境を維持するのは非常に困難。そんな都合の良い場所は限られてしまう。だったら、陸にそんな環境を作って、育てる魚介類の方を都合の良い環境に放り込んで育てれば良い。そういうことだ。

無論、ドローン等を用いた露地栽培DX(またDXとか敢えてあっさり使うが)や天然海域での水産DXも試みはなされている。ただ、まだまだ目立った成果を上げ始めているところは無いのではないだろうか。成果らしきものが見えているのは、いずれもプラント化施策だというのが私の見立てだ。

それは仕方がない。人類が今のところ、生産性向上のために使える武器は、工業化しか無いからだ。

従来の農業や水産業だって、人工化してきた

ただ一つ留意すべき点は、別に食糧生産活動を人工化するのは、この度のDXが初めてでもなんでもない、という点だ。化学肥料だってそうだし、内燃機関の農業機械・船も作って使ってきたし、食糧となる生物への品種改良も加えてきた。人間が工業の力を加えて、食糧生産を増やす取り組みは、もうずいぶん前から行われていて、現代の我々が「昔ながらの農業」と見えてしまうものですら、昔ながらでも何でもない工業化農業だったりする。

更に突き詰めちゃえば、最初の産業革命は農耕だという見方すらある。もともとは「毎年、毎日が出たとこ勝負」な狩猟採取生活をしていた人類が、定地居住して決まった土地を耕して(穀物や芋類中心に)保存しやすい作物を栽培・収穫するようになったのが、人工的な食糧生産の始まりだという見方もある。そうすると、日本で言えば、少なくとも弥生時代には人工的食糧生産が始まっていたというわけだ。

ただ、これまでは、「人工的」と言いながらも人間がコントロールできる割合が低かったのだ。だから農耕を初めても、ひどい飢饉で苦しんできた。肥料も人間や動植物の死骸や糞に頼っていたわけだし、未解明な食物連鎖のエコシステムの力に基本は頼りながら、微々たる人工的努力を入れていたに過ぎなかった。複雑なエコシステムの解明は、実はこの現代においても成し得ていないと言えるが。

で、日照り、冷害、火山噴火、疫病流行、河川氾濫など、微々たる人工的努力では補えない天然の例外事象によって、やはり飢饉にやられていた。長い人類の知恵でより良くはなり続けてきたが、それでも野生のボラティリティの前に無力さ痛感、という状況がずっと続いた。

化学肥料、内燃機関の機械発明、土木技術、物流技術、そういったものが高度化した今、ようやく、天然エコシステムの不確定要素から自由になって、完全に安定的に食糧も生産できる、かも???という夢をまともに見れるところまで来た、ということだろう。

安定運用期までの揺籃期を乗り越えられる人を確保できるか

機械様が動ける人工空間に栽培・養殖対象生物を引き込んで生産するのか。はたまた、従来から栽培・養殖・捕獲してきた天然フィールドに機械を持ち込んで効率化をするのか。そのいずれにしても、一度構築・導入しちゃえば人間は寝てても勝手に回る、というものは未だ無い、といって間違いないだろう。

ということは、だ。「増産」の場合は、従事するマンパワーは現状維持の中でアウトプットを増やす試みなのだから良いとして、日本で主に指向される「省力化」「無人化」の方は時間切れになって実現しない可能性も高い。何しろ、どんどん生産人口が減っていて、増加の見込みも立たない。人間の一生は限りあるので、時間経過するとともに担い手不足は悪化していく。その中で、トライアル&エラーも伴うし失敗リスクも高い、つまりむしろ余計な手間が今より掛かってしまう揺籃期の実証実験を、乗り切れるのだろうか。

そういう意味でも、揺籃期が短いと見込める、工場化(機械様が動きやすい環境に、栽培・養殖対象を入れ込んで生産する)の方が現実的というのもよく分かる。不確定要素が多過ぎて実装・運用まで長い時間を要すると思われる、露地栽培や天然養殖や漁獲漁業に取り組むより、確度は高いだろう。

やっぱり、平地・盆地の時代なのか

そう考えても、やはり傾斜地には不利だ。農業も水産業もプラント化による効率生産を指向するならば、人も機械も効率的に配置・動作させられて、生産物などの物流にも有利な、平地や盆地に構えるだろう。

ミカン畑が広がるような勾配地・傾斜地というのは、工場を構えるのも一苦労だし、人も機械も効率的に動かしてメンテするのも一苦労。多くの勾配地・傾斜地は物流でも不利な立地が多い。

せいぜい立地させられ得るとすれば、平地・盆地の際にある傾斜地だ。ここならば、メンテ運用に要する人や具材の確保もしやすいし、生産物等の物流もあまり苦労しない。感覚的には、イオンモールから車で20分圏内にある南斜面な傾斜地、といったところだろうか。こういったところで、開閉式屋根や屋根が可動式遮蔽板になった巨大柑橘工場、なんてのは成立し得るのかもしれない。

果たして、エコシステム未解明は支障にならないのだろうか

天然作用の影響力を徹底的に下げ、人工的に制御し人が望むように一次産業を変えようという、一次産業DXの壮大な試み。果たして、近々に食糧生産に再度の革命を起こし得るのだろうか。

最大の危惧としては、そうは言っても未だ、人間が生命誕生の謎を解明し切っておらず、エコシステムの全体の因果を分かっていないことだろう。

なぜ、この種は今この瞬間に芽吹くのか。なぜこの苗は害虫がつく一方で、あちらには着かないのか。なぜあそこの圃場は今年実入りが良い一方で、あっちはからっきしなのか。なぜ去年は取れ高が良かったこれが、今年は取れないのか。それは太陽運動の問題か?降雨量?海水温?偏西風?・・・

追いきれないほどの因子(でも元を辿ると太陽エネルギーただ1つなのかもしれないが)が、多段階に因果絡み合って成立していると思われる、このエコシステム。この複雑なシステムの因果ロジックが、断片的にわかっているものがあっても、全体像としては全く把握できていないのが人類の現在地だ。

にも関わらず、因果が分かっていない栽培・養殖を引っ張り出して工場にぶち込む。これで果たして、永続的に工業生産化できるのだろうか。

我が地域には、フィリピンから稚エビを仕入れて工場内の水槽に入れ、大きく育てて売るビジネスをされている事業者が居る。そこが昨年末だったろうか、稚エビが急性肝膵臓壊死症(AHPND)に感染していて、全量廃棄せざるを得ないという状況になったことがあった。

「伝染病」というのも、結局はウイルス・細菌といった微細生物を含めたエコシステムの作用だ。人間が望まないウイルス・細菌に、バナメイエビの稚エビがちょっかい出されている状況を、認識・排除できずに工場に持ち込んで、工場内のエビを全部捨てざるを得なかったという訳だ。

工場というのは一元的な環境を作って効率管理するのに都合よくできているので、うまく回っている間は、単位時間・単位面積あたりの生産量も高くなる。ただ、望ましくない要因(伝染病感染とか)についても、そこで効率的に拡大生産されてしまう。もちろん、工場に持ち込む前の検査を強化して入口対策で排除しきれれば良いのだろうが、果たして望ましくない因子を漏れなく洗い出して検知できるか、というと現状厳しいと言えるだろう。それに想定外因子を徹底排除するとなると、半導体工場並みのクリーンルームを用意するようになり、それは莫大なコストと手間も掛かる。そうやって作られるエビは、いったい一尾いくらになるだろうか。

工業化ってのは、設備投資(資本集約)が前提

もう一つ、工業化の懸念というのは、工業化が漏れなく設備投資を要し、それに耐え得るだけの資本蓄積した者しか手出しできない点だ。

特に工場という工業化度数が高いやり方になると、その投資規模も莫大になる。そうすると、一次産品を効率的に拡大生産するために、大資本が投資しないと始まらない、ということになる。

そうなってくると、過疎高齢化する地方の零細農家が支えてきた農業の継続、といったテーマと乖離していく。まさに、都会近くの傾斜地に工場構えて生産集約し、今の日本各地の里山にある傾斜地の畑は漏れなく放棄、という方向に力学が働く。

露地栽培&傾斜地で、今使い物になる省力化・無人化テクノロジーは、せいぜいモノレールとパワースーツに、精度の荒い施肥・薬剤散布・圃場管理ドローンくらいじゃないだろうか。しかし傾斜地露地栽培で厄介なのは、傾斜地に分け入って行っての、剪定・目かき・除草・収穫などだ。モノレールとパワースーツ以上に、今の所 それなりのコストですぐ役立つものは無いのではないか。

「傾斜地」ったって十人十色。平地と違って、機械様が活躍できるフィールドに仕立てるのが簡単ではない。モデル化もしづらい。そうなってくると、結局、今の所は人の介在無くして、傾斜地でまともに活躍するものが無い、といって過言ではないだろう。

少しでも楽になる、補助的なものがいいんじゃないか

柑橘なんかが典型だし、魚類養殖なども平地・盆地の面積が狭い日本ではそうなんだが、やっぱり天然フィールドでの栽培・養殖にチャレンジする方が、社会的インパクトは大きいだろう。

その中で、無人化のような劇的な効率化を狙うのは、非現実的な気がする。むしろ、草刈りや餌やりといった、栽培・養殖の数多ある工程・作業の1箇所ずつ、楽にできるとか機械に任せられる、というところを目指すのが良いように感じる。

ただ、人工空間である屋内で実績を積んでいるお掃除ロボットルンバですら、家の段差や階段を越えられていない。その状況で、どれひとつとして同じものがなく、時事刻々と環境因子による作用を受けて変わってしまうのが天然フィールド。例え1工程、1作業であっても、まともに稼働できる工業製品が簡単に生み出せるのか、疑問も感じる。

長年、そういった過酷で多様な天然フィールドで製品を生み出してきた、クボタ・井関・コマツといった企業の知見・技術・取り組みに期待したい。またそういったところに買い取ってもらってEXITできるような、要素技術ベンチャーの力も、進歩の力になってくれると期待できる。

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