藤枝・安曇野での出会い
10/8木に東京を出て、車で静岡県藤枝市・長野県安曇野市へ行ってきた。
ただの旅行ではない。藤枝・安曇野、それぞれ目的を持った訪問だった。その旅を振り返ってみる。
お茶どころ藤枝で、お茶農家さん農泊
今回の旅は、自分が人生の在り方を大きく転換するために、と参加している「くるまざ大学」の対面セッション参加が主目的だった。
その対面セッションは長野県安曇野市で行われたのだが、私と同じ受講生のりょー君と共に、安曇野入りの前日に藤枝へ向かった。藤枝には、同じく受講生でもある、お茶農家のタミコさんの拠点があるのだ。
台風接近で雨が本降りのあいにくの天気だったが、新東名を新静岡まで行って、静岡市内へ。旅行代理店で手続きした後、駿府城を一瞥したのち、買い物を済ませて藤枝へ。
静岡県藤枝市は、静岡県にしては珍しく、海に面していない。焼津市の山側に位置し、瀬戸川・朝比奈川が流れる山・谷の多いところだ。市の南部を中心に静岡市のベッドタウンでもあり、サッカーでも有名である。
今回、私たちが訪問したのは、市街地ではなく北部の山・谷エリアにある、滝沢・瀬戸ノ谷だ。清流の滝沢川に面した谷あいの農泊ゲストハウス「NaturaliTea 椿邸」にお邪魔したところ、タミコさんが出迎えてくれた。
タミコさんの家は、1970年代から有機無農薬茶づくりに取り組む「人と農自然をつなぐ会」を経営しておられる。そんな無農薬お茶農家さんが、農業体験ができる滞在場所として、100年超の古民家を改装して一棟貸しする農泊ゲストハウスとして設けられたのが、この椿邸だ。
築100年超とは思えぬとてもキレイに改装された椿邸を見て、そのシックかつラグジュアリーな雰囲気に驚いた一方で、タミコさんやタミコさんが案内してくれた「ゆるびく村」で引き合わせて下さった方々が温かくチャーミングだった。
個人的には、タミコさんのふんわり温かい人柄と対照的に、茶畑に向かう狭い山道を登る軽自動車の軽妙でキレのある運転が印象的だった。タミコさんの運転する軽自動車は、一度乗る価値があることを保証できる。
そして、「ゆるびく村」でいただいたチャイティー、「椿邸」でいただいた緑茶・紅茶の優しい味が、身体に染み渡った。
安曇野地球宿でイントロ・ドン
10/9は、「NaturaliTea 椿邸」を出て、長野県安曇野市にある「安曇野地球宿」へ。増田望三郎さん(望さん)が経営する「農ある暮らし」を体験・実践できる"ホームステイ型ゲストハウス"だ。そして何より、望さんやスタッフの方とゲストが、溶け合うように語り合う「出会いと語らいの場」である点が特徴的。
「くるまざ大学」の対面セッションは10/10-11の日程だったが、この日は「前乗り」する形で、講師の方と生徒の半数ほどが集まった。前乗りだったので予定されたカリキュラムは無く、リアル初対面が多い講師・生徒や望さん・スタッフの皆さんとの親交を深めた。
もちろん、食事中やその後の時間で語らいも大いに生まれたのだが、印象的だったのは「イントロ・ドン」で大盛り上がりしたことだった。トランプ・カードゲームやボードゲームが、心の垣根を低くしてくれるのは認識していたが、イントロ・ドンでもイケるのだなと思い知った。
皆で一緒に、各自が「真に目指したい姿」の発見支援
10/10-11の2日間は望さんをゲスト講師として、ワークが行われた。安曇野地球宿の名物「ドリカム新年会」と同等のワークを、くるまざ大学の講師・メンバーで行ったうえで、各自が「真に目指したい姿」を発見して、そのためにどうしたいかを明確にするものだった。
個人的には、玉造温泉のキーパーソン、角幸治さんに関するお話が興味深かった。気になる方は(そこに私も含まれる)、角さんのnoteや講演を聞いてもらうと良いと思う。「また聞き」なので詳細は書かないが、「神様との約束とセンサーの話」、とだけ書いておく。
そのお話が、今まで私なりに考えてきたことと筋が近かったので、嬉しく心強く思った。自分の真の願い・想いは、自分の感覚や気持ちをシャープに捉えることから見えてくるように思っている。脳で積み上げるロジックではなくて、ハート・身体で感じ取る「感覚」。そして、真の自分の願い・想いを探り当てる/掘り当てるのには、自分の感覚を体感的に自覚している必要があるのかもしれない。
当然、感覚には快適なものだけではなく、不快なものもある。イライラ・モヤモヤ・ビクビクといったものだ。そして、普通はそういう不快な感覚を抱え続けて掘っていくのは辛いので、無かったことにしようとしたり、「自分がショボいから」と決めつけたり、目を背けたりしてしまう。でもそれでは根本的に不快な感覚が消えない上に、行動意欲を削がれていくので、ずーっと無自覚なままに不快を感じ続けるハメになってしまう。
不快から目を背けるのは、その存在を認めて向き合うのが怖いから、なのかもしれない。独りでその恐怖を乗り越えて不快とも向き合う、というのは、それなりに強靭なハートの足腰ができてないと難しい。また、快適・快楽だって、独りよがりに陥る可能性だってあるし、「はしゃぐな」「調子に乗るな」と自制しがちではないだろうか。
だから、同志と集うことでお互いの心理的安全性を作ってお互いに恐怖を乗り越え易くして、独りではなかなか向き合うことができない感覚をも直視して掘り下げる。そんな場が、「ドリカム新年会」であり「くるまざ」なのかもしれない、などと思った。
ちなみに、「くるまざ大学」は、北は新潟・福島から南は鹿児島まで、それぞれ異なる広い地域から集まっている。その中には、既に活動をやっておられる方もいる。これから歩み出す仲間たち、活動をさらに発展させる仲間たち共に、今後の活動の発展を後押しし合えれば最高だ。
To BeとTo Doを宣言して、自分に覚悟を促す
2日間のワークの締めくくりでは、心から「ありたい」と思う姿と、そうなるために何をするかを講師陣や他メンバーの前で宣言しあった。私は、向こう15年をタームとしてありたい姿をイメージし、向こう1年でやることを決めて宣言した。
ここでは、向こう1年間でやることの一部だけ披露しておく。それは、「呉と仲良くなる」である。
この活動は、実はもうすでに始めているところなのだが、明確に言葉にして宣言したのは今回が初めてだ。今後のくらしを呉で始めるつもりなので、まずその地とそこの人々と仲良くなろう、というシンプルな目標である。
「その地と仲良くなる」に関しては、私は2つのアプローチを考えている。一つは文献・資料による情報収集。歴史・地理・産業・文化習俗などの全容を、それらから把握しようと思っている。もう一つは、実地見分。スクーターで市内各地をなるだけくまなく回り、どこがどんな町なのか肌で感じてこようと思う。
既に、「これから」のスタートは切った。今回宣言した「ありたい姿」(To Be)と「1年間でやること」(To Do)は、今のところ修正が要らない自信がある。今日からTo Doを邁進するのみ。驀進しろよ、オレ様。
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