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傾斜地ベンチャー構想という種

きっかけは、知り合いからの一つのメッセージだった。あなたの住んでいる地域にある、高齢の親御さんが所有する傾斜地の畑を引き取れないか、という相談だった。

思い出詰まった地が、家族思いで発電地に

うーむ、いかに田舎の傾斜地とはいえ、不動産を譲り受けるというのは大ごとだ。己の資力も、余裕だぜというには心細い。第一、畑仕事はほぼ素人な上に、本業はリーマンだ。

・・と躊躇いも持ちつつ、実は今冬から1年のレモン栽培教室に通うことを決めていて、技能を学んだら実践したいなぁ、という漠たる願望を持っていた。とはいえ、そんな簡単な話じゃないからな、という警戒感も持ちながら、相談してきた知り合いの親御さんと現地でお会いすることにした。

お会いしてみると80歳前後の、物腰柔らかだが行動的な紳士だった。もともと大手メーカーにお勤めで早期退職後、メーカーの営業に転じた後に、役員など歴任して75歳で完全リタイヤされたそうだ。

この圃場は、老後のセカンドハウスという野心があったそうだが、結局は「ハウス」は建たずに、通いでメンテする圃場であったそうだ。ただ、お孫さん生誕記念で植樹された木が大きく育っていて、また電車で1時間以上の距離があるところをご高齢でも足繁く通って居られるのか、草もしっかり刈られてメンテができている様子が見てとれた。

そんな圃場も、奥様がオーナーだそうで、その奥様が病気になり片時も離れず近くに居て欲しいとの願いを表明するようになって、遂に通いメンテを今年で終える決意をされたということ。紳士は、大いに後ろ髪を引かれながらも、早期処分に気持ちが傾いていたところだったそうだ。

アクセルとブレーキで言えばブレーキ多めだった心境から、お話を聞いていてアクセル偏重になってきてしまった。幸いなことに、お話する中で紳士の方も私を気に入って下さった様子で、早期処分を思い留まるような心境を見せ始めた。

その日は、ひとまず活用の可能性がある知り合いへの紹介も鑑みて、持ち帰りさせてもらうことにした。

私の心境の変化

活用可能性のある知人へ話を紹介したが、その間も紳士からは連絡があった。曰く、私を信じて賭けることに決めたので、別口の早期譲渡の話は見送ったとのことだった。これはエライことだ。私は、紹介した知人の前向きな判断を期待したが、知人には現地も見てもらったものの反応は芳しくなかった。

冷静に理屈で言えば、慎重に判断すべきだし、むしろ力になれないとお断りする方が無難で賢明な状況だ。知人は柑橘栽培業をしていて、そのプロが敬遠したわけなので、素人の私がそこを(少なくとも業としては)どうこうできる余地は大きくないと考えるのが普通だ。

ただ、私の直感は、GOを出した。最初に相談してきた知り合い(オーナーのお子さんにあたる)から送られてきた圃場での思い出の写真、圃場のよく手入れされた状態、お会いした紳士の紳士ぶりと真摯なご理解、お伺いしたその地への思い、そしてオーナーたる奥様と紳士の私への信頼と賭け。もちろん、懸念は少なくないのだが、私はオーナーご夫妻の心意気も算入した上で、私の直感に従って、管理を引き受けると答えていた。

話の当初から相談していた先輩には、呆れられた。私も、冷静な理屈と計算より、理屈も計算も未処理段階で直感に従ってしまう自分の性分が、恐ろしくもあり愛おしくもあり、と我ながら半ば呆れている。

さぁ、どうするよ。起業の構想を発起

そんな状況下、すなわち頼みに考えた強力なプロが撤退し、素人の自分1人が重大な責任を直感で引き取った今や、どうやって「何とかする」かに私の注意・思考は一気に傾いた。明日から草は刈ること出来ても、それではすぐには飯は食えない。時間・労力・注意を一定投じなくてはならない訳なので、その機会コスト分も加えて生計を立てねばならない。これが、今後の計画における所与の要件・前提として確定した瞬間だった。

そうしてしばらく、「うーん、どうやったら何とかなりそうかのぉ」と腕を組み考え込んでいたら、ふと、「傾斜地ベンチャー」を着想してそこに釘付けになっていった。もはや現状からの積み上げをフォアキャストして出てきたものではなかった。むしろ、この傾斜地を何とかしている、という状態を想定して、そこからバックキャストしてたらしてたら捻り出てきたようなものだ。

ちょうど仕事で、創業・起業を支援するスタートアップ支援者の資格の一つ「IM(インキュベーション・マネージャー)」の養成講座を受講中ということも作用しただろう。ちょうど実習を終えて修了フェーズに掛かっているのだが、私はこの実習において、起業者(起業家の卵とまぁ同類だ)への助言やプロンプトが刺さらない状況にほぞを噛んでいた。なぜ刺さってくれないか考えた時、自分が起業経験も無くて、言葉に重みが掛かって無いのだろう、という仮説に至った。そんなことも作用したのだと思う。

もちろん、シードステージの最初の最初、ってな状況であり、種のまま腐って終わるかもしれない。ただ、これがうまく育てば、一石二鳥・三鳥に発展もし得る。このタイミングでこう構想してることも、何かの運命かもしれない。

そんなわけで、私も一介の起業者としてこのシードを温め栽培してみよう、と決意したわけなのだ。

誰に伴走支援してもらうか。それが問題だ。

このシードが立派に育っていくとすれば、もちろん、チーム組成も協力関係構築も必要であり、私1人では到底ピースが足りない。そのチーム形成する前の段階に関しても、1人で捻り出すのでは独りよがりや見落とし偏りが出るだろうから、伴走支援者についてもらうのが良かろうと思っている。

シードステージのその壁打ちを、さぁ誰にやってもらいにいくか。そこが問題だ。自分の職場には色んな面で伴走相手を依頼できない。中小機構か、県や近隣市町の公的支援機関か、金融機関か、さまざまなアクセラレーションプログラムか。

そんな観点で、他所の施策を色々眺めてリサーチしてみよう、と思っている次第。

打ちひしがれよ、俺よ

きっと今の、生誕間も無き弱々しいシードは、誰にぶつけても、一笑に付されて粉々に論破されるだろう。一言で言えば、我ながら馬鹿げている。まだ色んな資源も条件も足りなさ過ぎて、今これで実装に走ったらコテンパンになるだろう。それくらいは、直観タイプでイカれてる俺でも分かるほどだ。

しかし、足りない資源や条件が揃ってきた時に、私だけじゃなく少なくない人の心意気を託して貰い得る可能性は秘めてる気がするのだ。今、箸にも棒にもかからないと見捨てるのは、可愛そうな気がしているのだ。しばらく頑張ってみよう。色んな人にぶつけてみて、意見をもらったり助言をもらったり、もしかすると助力ももらえるかもしれない。それを根気よく続けると、足りなかった資源や条件が足りてくるかもしれない。その可能性は、未だあると思う。

可能性を見切って種を捨てるのは、いつでもできる。捨てるなら捨てるで、「これは俺には無理だ」と自分の直観が自分に宣告するところまでは、可能性に賭けてみたい。賭けるったって、最初から全賭けしなくったって良いじゃないか。逆に言えば、俺様の直観は、「見捨てるには惜しい可能性がある、しかし今は全賭けするには弱い」と訴えている。直観様がそう告げるのにも関わらず、今 全賭けしにいったら、多分俺には心の余裕も無く、無理を無理やり通そうと横車押しオーラが出て、まともな人は遠ざかっていくだろう。

軸足は硬い地盤に置きながら、もう一つの足でこの種の可能性を模索するのが良いのではないか。それを、限られた時間と労力をうまく配分してベストミックスする、というのが今の俺の課題なんじゃないか。「1人両利きの経営」「1人二階建て経営」が必要とされてるんじゃないだろうか。

そう考えていくと、硬い地盤にしっかり据えるべき軸足を、今動かすのは危険かもしれないと思う。軸足をズラすにしても、相当保守的な選択をせざるを得ないだろう。軸足ブレブレでシードも育てるってのは、餓死リスクに怯えて伸び伸びできず、却ってシードを腐らせる危険性が大きいと思われる。

さ、今日はここまで。この先は、明日の俺様、頼んだぜ!


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