日記:Day17 長野・川上村 → 東京帰着
ついにこの日が来た。
43歳のおじさんになって、大学生のような諸国漫遊の旅(阿波・安芸中心)も、今日が最後となった。
朝は、私が会員の他拠点居住サービス「ADDress」を使って、長野県・川上村の別荘地で迎えた。
そこから東京帰着までの道のりをレビューする。
標高1,400mの朝、パネェっす
前日の夕方に、標高1,400mの威力(寒さ)をバイク上で痛感していたので、ADDress川上村拠点ではしっかりと毛布も羽織って就寝していた。そのおかげか、疲れのせいか、見事快眠!6時過ぎに目が覚め、高原別荘地の秋の朝風景を優雅に眺める。
だが、出発は遅めの9時半過ぎとなった。日が高くならぬうちの高原の空気は冷いので、心が萎れるのではないかと危惧したからだ。UNIQLOフリースにウインドブレーカーを羽織って前をしっかり締めて、帰着の途に就いた。
川上村から山梨県北杜市北部の風景を楽しみながら、県道610号線の高山ワインディングを下っていく。道行くほど(高度を下げるほど)に、通り抜ける風があたたかくなっていくのを感じる。ほどなく、塩川と本谷川が流れ込む塩川ダムに差し掛かる。
地元の方が掃除をしていた。ダムの説明を引き出そうと、「これはダムですね?」と聞いたら、「これはダムです」と中1英語の教科書の和訳文のような回答だけ返ってきて意気消沈。コミュニケーションは難しい。
県道23号に移ってグングン山を下り、ついに山梨県北杜市の益富・江草・須玉あたりまで来ると、刈り取りを終えて干している稲や、南アルプスの山脈をバックに秋の花が映える様が見れるようになった。この頃には、川上村仕様で冬並みに着込んだ状態では暑いと感じるほどにポカポカしてきた。うん、俺はこれくらいが良いやw
その後、農道に入って、瑞牆山・金峰山といった山々のふもとをぐるっと回るように東へ。徐々に、韮崎市・甲斐市あたりで、両脇をブドウ棚が埋め尽くす情景に。車だったら、家族へのお土産にと買い求めるところだが、原チャでは帰路に確実に痛むだろう、と後ろ髪惹かれながら通過・・。
甲府市を抜けて国道140号線を北東に向かう。山梨市に入ったところで県道を経て国道411号線(大菩薩ライン)へ。両脇を桃・ブドウの畑・直売所に囲まれながら、またも125ccエンジンでは速度が上がらぬほどの急こう配を登っていく。ツーリングの二輪の姿が目立っていた。
県道218号で大菩薩峠も良いかな、と思ったが、大きい道でないと原付では不安があったので、国道411号線をひたすらワインディングしながら登っていく。相当の高さまで登ったピークは、「柳沢峠」だった。
賑わう小菅村を視察。そして東京都入り!
柳沢峠を越えて国道411号線を気持ちよく下りのワインディングしていく。二輪てやっぱ楽しいわ、と感じる。でも、あと1か月もすると落葉が激しくなって、それはそれで前輪スリップが怖くなるんじゃないか、などと頭をよぎる。
山梨県丹沢山村に入ったところで、県道18号線の誘惑に負けて、山梨県小菅村へ向かう。ここは、道の駅や「まちやど」の取組みなど、村おこし・地域創生でかなり有名な場所なので、一度その場を体感しておきたいと思ったのだ。
県道18号線は、あまりメンテも行き届いていると思えないガタガタの、森の中のワインディング。幅狭い原付のタイヤでは安心して傾けることができず、慎重にノロノロと谷越えをする。ホンマにこの先にあるんか?と不安になったころに、「サミットの森」が出てきた。杉並区に本社を置く住友系列のスーパー「サミットストア」がメンテなどに携わるところだった。
サミットの森を超えると、ほどなく丹沢山村から小菅村に変わった。しばらく林間の暗いガタガタワインディングを走ったころに、ようやく道の駅の案内が出てきた。急峻な坂道を上ると、こじんまりした「道の駅こすげ」が登場した。
普通、道の駅といえば国道など幹線道路沿いにあって、そこを通りがかる人の休憩・手洗い・逗留ニーズを当て込む施設が多い。しかし、小菅村の場合は、そこを目的地にして行かないとたどり着かないような所にある。斬新な道の駅だな、と思った。
そして入場すると、平日の昼に関わらず、こじんまりした駐車場を埋め尽くすかのように、近県ナンバー(足立、八王子、相模、横浜、練馬、習志野などが私の目についた)の車が4,50台駐まっているのに驚いた。道の駅には「小菅の湯」という温泉施設もあり、そちらにも多くのお客さんが入っているであろうことがうかがえた。
ちょうど昼飯時だったので、私はレストランで、100%土地のもので作られていると言われるパスタを食した。本当は「鹿汁」を食いたかったのだが、今年の夏は顧客が多く接客に人手を取られて、鹿ハンティングができずに品切れなんだそうだ。これも、コロナ禍の副作用なのかもしれない。
腹ごしらえが終わったら、ここまで来たのだからと、「まちやど」の拠点として有名な「NIPPONIA 小菅 源流の村」の大家へ。
プラッと様子を見よう、くらいでのれんをくぐると、いきなり株式会社さとゆめ嶋田社長が、若い人達に囲まれて説明をしているど真ん中に出てしまった。気まずい雰囲気に、「あ、ちょっと覗きに来ました」とそそくさと中を覗かせてもらう。中は中で、20名ほどの一団が、ノートPCを開けながらトークセッションを始めるところだった。
このクソ山ん中(失礼・・)にこれだけの若人が集っているのが、なんとも新鮮な後継だった。後で聞くと、もしかしたら、「ALIVE」ご一行かもしれないとのこと。さすがALIVE。目の付け所が違う。
小菅村を後にして、国道411号を更に下りていくと、ついに東京都奥多摩町に!都の銀杏マークを見て少しホッとしたのは、私がまだ都民である証拠だろうか。
奥多摩舐めんな。そこからが長かった・・・
奥多摩町に入り、すっかりマイホームに着いた気分が湧いてきたのだが、後から考えたら甘すぎた。自宅に近い大宮八幡宮にお礼参りするまで、なんとそこから2時間超も掛かったのだった・・・。過去にも奥多摩湖には何度か来ていたので、すっかり庭気分になっていた。が、よく考えたら過去は奥多摩湖を目的地にして日帰り旅してたくらいだから、近い訳がない。
国道411号から都道45号を経て、都道5号(新青梅街道)を新宿方面へ。さすがは東京都、車線数が多い一方で走っている車も多いので、渋滞・滞留しがち。西東京市で東伏見稲荷神社の交差点で右折・南下し、浄水場の東端で都道7号線(井の頭通り)へ。もうここまで来ると、名実ともに庭先感覚だが、今まで四輪でしか走っていない地を二輪で走ると、感覚が違って斬新だった。
都会ロード、というか慣れ親しんだ地を走っていると、新鮮味が少ないせいか、余計に長く感じる。大宮八幡宮に着くころにはぐったりしたが、相棒の原チャに感謝を込めつつ、八幡様にお礼参りをした。
家に帰着後は、感謝を込めて相棒を水洗いし拭き上げた。またよろしくな!
次回から、数回に分けて旅の総括と今後への教訓を取り出してみたいと思う。
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