M-1と漫才について

M-1グランプリ2020
みんな面白かったですね~!カッコよかった。

僕らはコンビ結成18年で三日月マンハッタンとして出れないけど。
でも正直みんな羨ましいな~。
まず戦いの場所があるってのはありがたいし、このご時世においてもすごく幸せな事だと思いました。
当時コンビで出てた頃はめっちゃしんどかったけど。。
まあとりあえず今年も無事開催出来て良かった良かった。

本題に入りますが、
一部ネット上などで「マヂカルラブリーのネタは漫才じゃない」って批判があるらしいです。
そして、それを発端に「漫才」の定義とは…という論争が上がってます。

僕はマヂカルラブリーは立派な漫才をして優勝したと思います。

僕が思うに漫才のルールなんてハッキリ決まっていません。
もしも漫才というモノのルールブックがあったとして、それにちゃんと従ってる人達の漫才には進化がないと思う。
みんなと違う事をしたいし、その熱が芸人になるきっかけになったから。

だけど難しいのは、
M-1には競技(スポーツ)的な要素も含んでるからそこの線引きが難しい。フェアにするにはルールを明確にしなくてはならない。
例えば道具を使ってはいけないっていうルールを作ったら、昭和の三味線などの楽器を使った漫才師を全否定する事になってしまうんじゃないか?あとボケが手紙を読むネタとか。個人的にはワイヤーで客席に飛んでいってもいいと思います。(堂本光一みたいに)ウケるかな~?

例えばナポリタンや天津飯って日本人が考えて本場には無い料理ですけど、イタリア人や中国人が怒ってもどうでも良いことなのです。
こっちの文化で出来上がった素晴らしい発明品です。日本人が考えた中華料理も中華料理だと思います。
僕はそう思います。

ちなみにM-1が鬼滅の刃より視聴率が良くて、漫才が世間的にこんなに注目されて論争が起きてるという事は喜ばしい事ですね。

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