”嫌われる勇気”は無理だった。
森本実言です。
「ミニマリスト × お寺の息子 × サラリーマン」
「Nothing is Beautiful」
をコンセプトにしています。
はじめに
今回の記事では、私がミニマリストになったキッカケ、というテーマでお届けする。
物で溢れかえる生活
幼少期から、物で溢れていた。
実家がお寺ということもあり、衣服や生活用品だけでなく仏具なども数え切れないほどの量があった。それが影響していたかどうかわからないが、気づけば自分も色んなものを買っていた(買ってもらっていた)。
幼少期、記憶に残っているのは、プラレールである。
お寺の本堂で遊べるくらいの量はあったと記憶している。相当の量があった。イメージがつかない人もいると思うが、大体、学校の教室4つ分くらいだと思う。
兎にも角にも、モノが多かった。こちらにも詳しく記載しているので是非読んでほしい。
言葉のブーメラン
そんな私は今、ミニマリストと名乗って何かと発信しているのだが、なぜミニマリストになったのかを改めて考えることにした。
キッカケは二つ。
①姉と一緒に住んだこと
②大学時代、T氏とY氏による正当すぎる意見
大学2回生の春から3回生の冬まで姉と暮らした。その理由はさておき、やはり兄弟は似ているのだろう。やたらと家電を集めていた。それも一度しか使わないのに。そんな姉を見てウンザリしていた。モノが多いことによって掃除もやりにくいし、モノ探しは増えるし、良いことは無かった。唯一あるとすれば、友達が来た時に、お料理ツールがたくさんあることで楽しめるくらいだった。何度も何度も言った。
「それ、いる?笑」
また、T氏とY氏には否定され続けた。気分良く買い物した次の日にそれを持って学校へ行くと、なりふり構わず文句を言われた。服、靴、装飾品、カバン、他にもたくさんあった。今思えば、否定というより、正当すぎる意見なのだが当時はそう捉えていなかった。そして、何度も何度も言われた。
「それ、いる?笑」
ここまでを簡単にまとめる。
私は、家電を集める姉に対して、「それ、いる?」と言っている。しかし私は、気に入って買ったモノに対して、T氏とY氏に「それ、いる?」と言われている。何とも滑稽である。完全に言葉がブーメランになっていた。
このようなキッカケがあり、4回生になり、姉と別居する際に多くのモノを手離した。こうして私のミニマリストロードがスタートした。
自信がない
この経験から、私はダサい人間だったなあと感じている。
これまで、モノを所有することで承認欲求を満たしていた自分がいることに気づいた。
人は限定100個のモノに惹かれる。限定品を持っている人は少ないので、限定品を所有している人はチヤホヤされる。「お前、それ限定のやつちゃん!」みたいな感じに。
私はそういう人間の際たるものであった。
そんなかつての私の評価基準はこうだった。
どんな人間かではなく、どんなモノを所有しているのか。
今、考えるとなんて卑屈な人間なのだろう。しかし、それには理由がある。
森本実言という”人間”に自信が無かった。
だから、
森本実言という”人物”にしていたのだ。
森本実言という”人間”で勝負できないから、色んなモノで取り繕った森本実言という”人物”を作り出して、人と向き合っていたのだ。
「人間」という言葉は「人の間」と書く。人の間にあってこそ、人のためになってこそ、人間と呼べる。
by 野村克也
完全に「人間らしさ」を見失っていたと常々思う。
ミニマルな考え方が森本実言を人間にしてくれた
話を戻すが、私はミニマリストになった。そしてモノが減っただけでなく、考え方や生き方が大きく変化した。ミニマリストになったキッカケは、私の人生を幸せにするキッカケにもなった。
最後に伝えたいことが一つある。
私は”嫌われる勇気”を持つことはできなかった。
しかし、”好かれない勇気”を持つことはできた。
何度も『嫌われる勇気』を読み込んで、身体に染み込ませていった。でも、やっぱり嫌われるというワードのインパクトは強かった。そんな私は、無理に好かれないことを意識した。すると、何だか気が楽になった。ああ、心に「余白」ができてきてるんだろう、と感じるようになった。
ミニマリストを推奨しているわけではない。私が伝えたいのは、もっと楽な生き方を見つけて欲しいだけである。その手段として、ミニマリストになるも良し、テレビを捨ててみるも良し。
どうすれば、楽に生きて人生を幸せにできるかを模索してはどうだろうか。
嫌われるな!でも、好かれるな!
↑ my room
最後までお読みいただきありがとうございました。
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