10月のお客人
10月の半ばは、夫のお見舞いが殺到した。
3組。
…殺到ではないのではないか、というご意見もあろうかと思う。
しかし、5日間で3組のお見舞いはちょっとした記録だったのだ。
友人と、わたしの父母、夫の叔父叔母。
みなさま、明日いくわ、っていう感じで気軽にきてくれたので、大変にありがたかった。
というのも、コロナによる面会制限や、自宅から遠方の病院ということもあって、夫はほとんど人に会えていないのである。
夫が病を発症したのは、正にコロナ渦真っ只中で、
面会は、できても10分、親族1名のみ。
はたまた全くの面会禁止。そんな条件が続いていた。
そうこうしているうちに、転院した病院が自宅から遠い場所であったり。
でも病態が病態ゆえに、もろ手を挙げて、遠くまで会いに来てください!!という感じでもない気がして。
人に会うのもいろいろ考えてしまう。夫は誰かに会いたいかな。
元サッカー選手の中村憲剛氏は、現役時代に18年間在籍したチーム、川崎フロンターレがシルバーコレクターと呼ばれてなかなか優勝できなかった期間、優勝できないのは、自分のせいではないかと考えていたという。
かなり唐突に全然違う話をぶっこんだが、夫が人に会えていないことを思うとき、よくこの話を思い出す。
状況はまったく違うけど、自分のせい、と考えることで、ふっとよぎる。
夫が人に会ってないのはわたしのせいだよな。
そんなことをぐるぐると考える折。
友人から、
「おはよう。今日明日はいかがかな?」
とお見舞いの日程調整の連絡がきたとき、迷う気持ちはあったけど、明日、と答えて、来てもらえて本当によかった。
夫はちょっと緊張した面持ちだったけど、なんでこんな辺鄙な(=自宅から遠い)場所にきたのか、という友人からの質問で、はるばるここまでやってきた理由を改めてまともに聞けたと思われる。
前にも説明したけど、改めて転院までの顛末を話すことができた。
人とかかわることで、新しい風が入ってくる。
一方で、わたしの父母に会ったときは、意外とリラックスした面持ちだった。まあ、既に数度あったことがあるからかな。
父母は、最初こそ、聞こえるか?わかるか?などと声をかけていたが、ふつうに実家に帰省したときと同じように、好き勝手に話して帰っていった。
まあ、ほんとに好き勝手。
母の
「夫さんー!
あのね、首相がね、こないだまで「増税メガネ」って呼ばれてたんだけど、「増税クソメガネ」にあだ名が変わったのー!」という話にはいささか驚き、
「夫もこんな病になってまで、政治のゴシップ聞かされるとは思わなかったと思うわ…」をいう感想が口をついて出た。ほんと、何を聞かされてんだ。
母は「こういうのがいいのよ!!」と言って、おかまいなしにさらに政治やらロイヤルやらのゴシップを並べたてた。
そうかもしれない。こんなでいいのかも。夫は終始、リラックスした表情だった。
うちの家族のおかまいなしさ加減にこんな風に救われることがあるなんて。
やっぱり人とかかわることで、新しい風が入ってくる。
叔父叔母の面会の際には、叔父が
「なんか、わかってる感じがするけど」とふとつぶやいた。
いや、わかってるんですとも。
叔父叔母は、唯一、病院の最寄りに住んでいるので、たびたびお見舞いにきてくれる。
でも、叔父がそんなことを述べたのは初めてだった。
今回のお見舞いの殺到においては、こうしたお客人とのふとした話によって、夫よりも、むしろわたし自身が救われたような気がする。
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