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"みんなで"リテラシー学を学ぶ

第一回 紀北"海と川"コース 10/17-10/18

1日目

集合時間の20分前
僕はパンパンに膨らんだ水泳大会用のリュックを背負って下宿先を出発した。

江戸橋駅に着くと、ホームに大きなバッグをもった集団が見えた。
僕は少し前まで、県内の知り合いが大家さんしか居なくて、人とちゃんと話せるか不安だった。
初めての顔合わせで少し緊張したが、その運動着姿の集団になぜか少し安心も感じられた。

長い移動時間をかけてやっと、シーカヤックステーション小山ハウス(http://www.oyamahouse.dohmo.jp/)の倉庫に着いた。
1日目はカヤック体験はせず、ガイドの森田 渉さんからPFD(ライフジャケット)の装着、着ける意味の説明を受けた。

「PFD(ライフジャケット)」とは、「Personal Floating Device」の略で、シーカヤックなどのパドリング(カヤックを漕ぐ)用に作られた装備である。
よく言う「救命胴衣(ライフジャケット)」はパドリング用に作られてない一般的な浮力のある装備で、パドリング動作の妨げになったり、ゆるやかな流れでもすぐに脱げてしまうことがある。
PFDの説明の前にこの2つが大きく異なることを、前提として知っておく必要がある。

PFD(ライフジャケット)を着けるうえで大事なことを学んだ。

まず、着ける意味だ。
意味は全部で4つあり、
①浮くため
②直接的な体への衝撃から守るため
③体温が低くなりにくくするため(保温性)
④救助の際に遠くからでも人だとわかりやすくするため(視認性)

次に、着る方法である。
[1]腰のバックルを留めて、同じく腰のアジャスターを少し強めに締める。
[2]中央のチャックを閉めて、同じく中央にあるバックルも留める。
[3]横腹と肩にあるアジャスターを、身体にPFDが密着するまで締める。(締めすぎると呼吸しづらくなるから注意!)

この正しい着方を守らないとPFDとしての意味を成さないようになってしまう。
例えば、[3]できちんと締めてないと、身体とPFDの間に空間ができてしまい保温性を失う。
さらに、[1]で腰のアジャスターをきちんと締めていないと、救助をしようとPFDの肩の部分を掴んだ際にそのまま脱げてしまうことがある。
このように、PFDを正しく着けるというのはとても大切なことである。

こういった知識は普段滅多に使うことはないが、いざ使うとなると命に関わることなのでそういう意味ではとても大事である。
こういった知識を増やしたり、経験をするのが生きる力、リテラシー学だと思った。

説明が終わり、
"みんなで"ご飯を食べた。

飯が終わり、
サプライズ打ち上げ花火を"みんなで"見た。

寝る時間になって、
"みんなで"寝た。

僕は4月から下宿を始めて、それから約半年間、ひとりの時間を過ごすことがほとんどだった。
誰かと一緒に行動したり、「おいしい」「綺麗」といった些細なことの感想、感情を共有することなんて全く無かった。
僕は、下宿生活、リテラシー学を通して、改めて人と何かをすることの楽しさを知ることができた。

2日目

待ちに待ったカヤック体験。
お昼休憩を挟みながら、きれいな銚子川と船津川を約8km漕いだ。

ゆっくりと流れる時間。
遠くから手を振る小さい子。
橋から話しかけてくるおじさん。
無駄な音がない空間。

平和だった。
魚に脅かされてカヤックから落とされかけたけど。
抽象的な表現しかできないが、少なからず2日目の僕は充実していた。

自然環境リテラシー学に参加して本当によかった。
僕はこの活動自体、もちろん良いと思っているが、参加メンバーも最高だと思った。
多少の入れ替わりはあるが、こんな最悪な社会の状況のなかで出会えたこの特殊なメンバーと少しの間だが、いろんなことを学び、楽しむことができることが何よりも嬉しい。
少なからずこのリテラシー学での、これまでとこれからの思い出は一生忘れることはないだろう。


【おまけ】
リテラシーの洗礼 ※下品な話注意!!

1日目、昼食を終えてゆっくりしていたとき、僕はトイレに行きたくなった。しかし周りには山と海と砂利しかない。まさかとは思いつつ森田さんにトイレの場所を聞く。


僕「すいません、トイレどこですか?」
森田さん「トイレ?トイレそこ。(海を指さす)」
僕「!?!?」


やっぱり海だった。
僕の目の前に『羞恥心』の壁が立ちはだかる。
僕は迷った。ここで用を足すとなにかを失う気がした。

「でもやるしかねぇ!」

僕は壁を乗り越えた。なぜか僕は達成感を感じ、森田さんに報告しに行った。


僕「もう、すぐそこでやっちゃいましたよ!」
森田さん「癖になるやろ。」


わからなくもなかった。

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