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こころ と からだ

ずっとボディメンテをお願いしているアーユルヴェーダのお友達がいる。
お願いしてからもう10年にもなるだろうか?

その人はからだの声を聞きながら施術してくれる。
わたしの考えとして、からだに関してはどの分野の声も大切にしたいと思ってる。

たとえば、西洋の医学だけを信じるのではなく、東洋の医学や、長い間伝えられてきたもの、そして、「自分のからだが何を欲しているか」に沿うこと。

なのでスピリチュアルと一括りにされているものを、全て鵜呑みにはしない。
それが自分のからだにとってベストなのか、あるいは必要のないものなのか、
判断するのはいつも自分だ。

アーユルヴェーダの考え方は、わたしのからだにとてもフィットしていると思うので、ここ数年ずっとお世話になっている。
自分だけでは気づけなかったことを、施術を通して伝えてもらえるのはありがたい。

毎回言われることは

「肝臓が疲れてるから…欲に負けちゃだめよ… もっとからだに意識を向けていたわってあげて…」

ということ…( ;∀;)

酒飲みですまん( ;∀;)

そんなわけで。
今回は全摘後初のメンテだった。

自分自身のメンタルの様子などは何も言わずに施術に入った。

いつものようにヘッドからボディをスキャンするように施術してもらったのだが、
子宮近辺に到達すると、患部に直接触らずに周辺をケアする形で各部位との対話をしながら進んでいく。

「結構心配してたけど、さすがだね」

終わった瞬間の第一声。

「んお?? どゆこと??」

「子宮はなくなったけど、ちゃんと『ある』よ。 なんというか、生まれ変わったというか、進化したというか。
何も失われないままで進化した感じ」

「ああ!そうなんだよ!なんか、失っちゃったようえーんみたいな気持ちがまるでなくて、『別な生き物』になった感じがすごくてさ。
とはいえ、物理的には確実に『無くなった』わけで、それに対する若干の喪失感はあるけど、そっちだけを見て生きるのか、違う方を見て生きるのか、選択の仕方が全て自分に委ねられてることをハッキリ感じるわ」

「うん!そうだね!大丈夫だよ!楽しいことに焦点当てながら生きていける!」

と言われて、より楽しい気持ちになった(・∀・)


相変わらず厭世観はすごいけれど、
この感覚を抱いたままで楽しみを見出しながら生きていくことは可能だ。

厭世観がある=何一つ楽しくない
というわけではないからね。

この座標からしか見られない景色もあるのだろうと思う。


もう少し元気になったら、焚き火をしにデイキャンプにでも行こうかな。

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